運は天にあり

内省の記録

悪の魅力

とある任侠映画で見た印象的なシーン。

 

任侠団体の事務所でごねるケバケバしい婆さん。覚醒剤の売人をしていたが、よその団体にシマを荒らされて困っているという。親分はまあまあと宥めるが、婆さんは親分を激しく詰る。あいつらを何とかしろ、それが出来ないのは腰抜けだ、と。一を言えば十返すの勢いで、婆さんは罵詈雑言を浴びせ続ける。側から見てもウンザリするぐらい、ヒステリックに喋り続ける。思わず、親分も閉口する。

 

おもむろに若い衆が動く。ガラスの灰皿を手に取ると、婆さんの脳天を勢いよく殴りつける。婆さんは一瞬で伸び、悲鳴をあげる暇もない。若い衆は続けざまにガラスの灰皿を振り下ろす。何度も何度も、婆さんの脳天に直撃を食らわせる。こらこら、死んでしまうがなと、親分は軽く嗜めるが、止まらない。

 

婆さんは死ぬ。骸を引きずってゆく若い衆。事務所に訪れる静寂……。仮に命があったとしても、間違いなく重篤な後遺症が残ったであろう。

 

「一方的に喋りまくって相手を黙らせる」ことを、処世術として身につけている人間がいる。ちょっと弁の立つことを鼻にかけた才子にありがちである。この婆さんも、そういう人間のひとりだろう。相手に考える暇を与えず、暴力的に言葉を畳み掛け、相手を追い詰める。確かに、それで「ゴネ得」できることは多いかも知れない。

 

しかし、いざという時に、そんな処世術は何の役にも立たない。

 

本人は自分の力だと思っていたことが、実は善良な人を困らせているだけだった、ということは往々にしてある。善良な人々とのやりとりの中では、マナーや常識が見えないバリアになってくれて、だからこそ許されることもある。悪人相手には、そんなものは通用しない。一線を超えたとき、必ず裁きが下される。

 

図に乗った婆さんに与えられた制裁は、殴る蹴るなどという、生やさしいものではなかった。もちろん、恫喝や脅迫という言葉の暴力でもない。淡々と急所に打撃を撃ち込み続けるという、殺すためだけの合理的な暴力である。粉砕された頭蓋骨、飛び散る脳漿。有無を言わさぬ暴力の前には、小賢しい処世術など無意味である。本当に、残酷なまでに、小細工が無意味である。

 

悪というも、職能のひとつである。他のあらゆる職業と同様に、素人が軽々しく真似出来るようなものではない。悪には悪で道があり、悪の道にはプロがいる。暴力団組織は厳しい縦社会であり、しがらみも多く、とても生半可な気持ちでやっていけるものではない。世間からは指定暴力団の烙印を押され、白い目で見られ、カタギと同じような幸せを享受することは出来なくなる。そういう困難も承知の上で、それでも悪の道を進みたい、進まざるを得ないというのが、プロの悪人である。

 

ものがものだけに、もちろんカルチャースクールでつまみ食い出来るような道ではない。素人は、一切真似すべきではない。ふつうの人間は、ふつうに善良であることを目指すべきだ。

 

一方、本物のプロとは別に、アマチュアの悪人というのも存在する。いわゆる半グレという奴である。カタギの世界にいながら悪事を働く、つまりは自分の身に保険をかけながら甘い蜜だけ吸おうという、腐った連中である。

 

いわゆる半グレというのは、特定のチームを指したりすることが多いが、私はもっと広い意味で捉えている。個々人のレベルで見ても、カタギの世界の恩恵を受けながら、反社会的なことや違法なことをしている人間は沢山おり、そういうのはほぼ同類と見なして良いと思っている。本業で稼げないから悪事に手を出す人間。権力を利用してやりたい放題する人間。知識を悪用して他人を騙す人間。そういうのを包括して、「半グレ化」と私は呼んでいる。

 

半グレ化した人間ほど胸糞悪いものもない。卑怯で陰湿で狡猾で、なんの美学も覚悟もなくただただ利己的に生きている。任侠道にあるような筋を通すという考えもないし、自分が生きてきた社会への恩義もない。悪いが、中途半端な半グレが本物の悪人にめちゃくちゃに破壊されるのは、爽快である。

 

私はマフィア映画や任侠映画が好きだし、ギャングスタ・ラップも聴く。『水滸伝』や『レ・ミゼラブル』に登場するロマンチックな罪人にも惹かれる。それは、魅力があるからである。

 

はっきり言って、悪にも資質がいるから、資質のない奴はこの道にいらない。魅力のある悪人はかっこいいからアリ。才能のないワナビーはダサいから死ね。悪ぶってるサラリーマンなんか、おぞましくてゾッとする。善にも悪にもなれないうえに、資本家になる才能もない雑魚が、たかだか自分の周りの半径数メートルの世界で粋がって調子に乗っている。善人にも失礼だし、悪人にも失礼。こういう輩が一番見苦しい。

 

善良であれ、さらに善良であれ、つねに善良であれ。善の魅力も悪の魅力も知った上で、誠意を持って善良であれ。