運は天にあり

内省の記録

泣いて馬謖を斬る

この故事のことを、最近よく考えている。三国志が好きだったので、言葉自体はずっと昔から知っていた。しかし、それは知識として知っていたというだけであった。最近になって、この言葉を生きた実体として捉えられるようになり、その意義をより進んで考えるようになった。

 

馬謖は才子だった。官僚的な才覚に秀でていた。自分を優秀に見せるのが上手かったので、孔明に寵愛されていた。しかし、いざ大任を任されるとその傲慢さが災いし、周りの諌めも聞かずに独断で動き、大敗を招いてしまう。街亭の敗戦は致命的となり、蜀軍は遠征を続けることが出来なくなる。孔明は、北伐を台無しにしたこの男を、泣く泣く斬らざるを得なかった。

 

一番格好悪いタイプだと思う。しかも、期待を持たせて裏切る分タチの悪いタイプだ。例えば、孔明に嫌われながらも、実力でしっかり功績を上げ続けた魏延なんかの方が余程魅力がある。

 

馬謖みたいなのが物語中の人物であるうちは良かった。さすがに、ここまで戯画化された人間もいないだろうと思っていた。だが、現実にはこういうのが一杯いる。呆れるほどの馬謖っぷりを発揮する奴が何人もいる。今ではむしろ、物語を読んで、こういう奴いるよなと頷くぐらいになった。

 

才子肌の人間ほど信用できないものはない。机上の空論ばかりで中身がなく、口ほどの成果を出せない。プライドが高く尊大で、他者への敬意が全くない。それなのに、なまじ小才がきく分、実力以上に評価され、身に余る権力を持ってしまっていたりする。本当に迷惑千万な存在だと思う。

 

以前の会社の上司Kが、今までみた中でトップクラスにひどい才子だった。なまじの才、なまじの口のうまさ、なまじの意識の高さ、どれをとっても甚だしく、上からの覚えのめでたさを良いことに、増長して手がつけられなくなっていた。この男の言動を見ていて、勘違いしたアマチュアが幅を効かせることが、どれだけ組織や仕事にとって害であるかを思い知らされた。

 

特にひどかったのが、新卒の大学生を相手にした時の話。やはり、立場の弱い人間に相対した時に、その人の人間性如実に現れる。一年ぐらいバイトで雇っていた学生を、新卒で採用した。他の会社の内定も貰っていたというその学生を、かなりの好待遇で招いたらしい。ところが、いざ働き始めると、思い通りにならないことが多くなった。適切な指示を出すことも、分からないことを教えることも、Kには出来なかったのである。挙句、高い給料が惜しくなり、パワハラで辞めさせるという暴挙にでた。

 

街亭の敗戦もそうだけれど、逆にどうしたらここまで酷いことになるのかと思うぐらいの大失敗を、才子たちはやらかす。一年間の試用期間付きという超簡単な採用の仕事で、なぜ違法な行為にたどりつくのか。百歩譲って判断ミスは置いておくとしても、他で取り返すことはいくらでも出来たはず。仕事の頼み方や作業の割り当て方などでもリカバー出来るのに、駄々っ子のようにヒステリックに喚き立てることで、そういう余地を全部自分で失わせてしまう。

 

こんな体たらくであるから、もちろん本業でも成果が出せるわけがない。大見得切ってチームの責任を引き受けたKだったが、素人芸がそう通用するはずもなく、内実はボロボロだった。根拠のない自信と万能感の前に、現実の壁が立ちはだかる。モラトリアムもいよいよ終わり、年貢の納め時が来る。その訪れをKも薄々気付いていたのか、「結果よりも本質が大事」などと持論めかして抜かしていた。無論、結果が出ていればこんなセリフを吐く必要もないわけだから、まともに取り合う価値もない。

 

この男はT大の大学院を出たとか言っていた。T大にはこんなのがゴロゴロいる。IQが偏重されすぎる今の世の中、たまたまIQが高く生まれついただけの人間が、こうしてタチの悪い失敗作に成り果てて行く。こいつら、内面の幼さの割にIQとプライドだけが異常に発達してて、本当に奇妙で気持ち悪いんだよ。こんな下品な連中のために、どれだけ国は貪られていくのだろう?社会は「頭の良さ」というものを定義し直さなければいけないと、いつも思う。

 

本をこれだけ読んだ。こんなに色んなことを知ってる。ハイハイ、すごいねすごいねって感じ。そんなことを自負している奴で、頭が良いと思うのは一人もいなかったよ。小賢しいIQ型の才子ばかりで、むしろ馬鹿が多かった。知識と知恵は全くの別物。いくら小難しい言葉を使おうが、ものの分かったような話し方をしようが、そんなのはフェイク、偽物だ。

 

才子というのは、属性ではなく本質だと思っている。今まで出会った才子たちは、皆申し合わせたように同じような性質をもってる。机上の空論ばかりで実践が出来ず、いざという時に頼りにならない。人の話を聞かずに一方的に喋り続ける。思い通りにならないとすぐに癇癪を起こす。倫理感のなさは特にひどくて、見た目ヘナチョコだが中身はDQNと変わらない、と言うか「外ヅラのいいDQN」といった方が良いくらい罪の意識に乏しい。

 

才子の陰に才子あり。馬謖を抜擢したのは孔明である。とかく美化されがちな諸葛孔明だが、これもまた一個の才子だと思っている。街亭の将の人選は、果たして適切だっただろうか。もっと堅実な仕事の出来る将がいなかっただろうか。 斬るものを泣かせるタマネギ野郎・馬謖。だが、実は泣いてるのは孔明だけで、周りはずっと馬謖は信用できないと諌めていたんだよ。

 

Kのいる会社に入るまでにも、才子の陰があった。こちらは、今まで見た中で最も言葉を蔑ろにし、最も言葉の価値を貶めている人間だった。Kほど酷くはないものの、自分を大きく見せようとしたり、優等生然としていながら遵法意識が全くないところはそっくりで、私が「才子」という人種の存在をはっきりと悟ったのは、この二人のあまりにも多い共通点に気付いた時からだった。

 

平和な日常に流されて、ややもすると忘れそうになるが、罪の記憶は語り継いでいかなければならないと思う。才子たちは悪だ。反面教師だ。罪を暴いて晒し上げ、こうなるまいとの戒めにすべきだ。縁を切った以上、自分の中では死んだも同然だが、記憶と経験はなくならないので、この屍を担いで歩いて行く。この先もずっと、Body bag (死体袋) に詰め込んで、殴りつづけていく。