運は天にあり

内省の記録

人望

新しい仕事を見つけ、半年が経ち、暮らしはいよいよ落ち着いてきた。季節も気づけば秋になる。飽きることなく今の仕事を続けられたのは、やはり人間関係が一番大きい。探り探りの時期を終え、一緒に働く時間を過ごし、職場の人たちとはほど良い距離感が出来ている。

 

環境を変えるのはとても良いことだ。今までの自分を知らない人と、新しい生活を始めることが出来る。自分はこういう人間だと決めつけてくる相手がいないと、本当にのびのび過ごすことが出来る。以前よりずっと、自由に生きられる。

 

今の自分には居場所がある。これは、幸せなことだと思う。周りが敵ばかりの時は、仕事や勉強以外のことにあまりに多くの気持ちを持っていかれた。思考も体力も、全部奪われてしまっていた。同じ状況が何度も繰り返されると、将来にも希望が持てなくなる。努力出来るということは、それだけで大いに恵まれていると思う。

 

自分に人望がないのは痛感してる。また、人望というものが、求めれば求めるほど得られないものでもあるということも知ってる。振り返れば色々な試行錯誤をしてみたけれど、どれも上手くはいかなかった。苦労せずとも産まれながらにもっている人もいるし、どんなに頑張っても得られない人もいる。結局作為ではどうにもならないものなのだと思う。

 

今の自分に人望はあるだろうか。まあ、可もなく不可もなくといった感じ。なくはないが、あるとも言えない。贔屓目に見てもそんなところだ。経験に基づくバランス感覚でなんとかマイナスを抑えてはいるが、かと言ってプラスになっている訳でもない。ようやく居場所は出来たとはいえ、そう色々なことが急に変わるわけじゃない。

 

人との関わり方や言葉の使い方にはかなり気をつけてる。他人は滅多に意識しないようなことでも、細心の注意を払っていたりする。けれども、そういうのは必ずしも人望に繋がる訳ではないし、往々にして報われないもの。下手をすると、裏目に出てしまうことさえある。

 

Kという人と一緒に仕事をしていた時のこと。やっていたのは小さな作業で、Kと私の二人だけで担当していた。Kはこの作業の経験が無かった。なぜかゆき違いでそこに割り当てられてしまっていた。途中でそれに気づいたものの、もう動き出してしまったことなのでそのまま行くしかなく、私の方にはいくらか覚えがあったので、丁寧にやり方を教えたり、また励ましたりしながら、一緒に作業を進めていった。

 

自分としては、やるべきことをいつも通りやっていたつもり。特別普段と何か違っていたわけでもない。初めての作業でKが苦労していた分、気を回すことが多かったくらいのものだったと思う。

 

しかし、二人の様子を見ていたある人が呟いた。「Kさんにうまくやらせてる」。何の他意もなくポツリともれた感想だったように思う。それが耳に届いてしまった。

 

驚いた。「やらせている」という言葉にギョッとした。まめに気を配っていたことで、かえって悪目立ちしてしまったらしい。その人の言い方からは、私がKを体良く使役しているというニュアンスが読み取れた。普段、決して仲の悪い人でもないからこそ、この呟きは一層真実らしく聞こえた。

 

さすがにこれは心外だった。Kにやらせて楽するなど、全く思いもしなかった。簡単なことをKに任せ、大変なのは自分でやった。説明するのも手間がかかるし、なんなら全部一人でやりたいぐらいのものだった。でも、そういう仕事のやり方は良くないと思うから、Kと細かくやりとりをして、一緒に出来る形を作っていた。邪推も甚だしいと思った。

 

なるべく自分も相手も気持ち良く仕事が出来るように気をつけていたつもりだったけれど、これを聞いてガックリした。どうも、気配りがわざとらしくなってしまうらしい。

 

けど、そう見られた以上はどうしようもない。悔しいが、弁解の余地はない。こういうのはむしろ、うだうだ弁解するとダサくなる。大人は何も言わないが、そう思われた時点で終わりである。

 

親切だと思ってしたことが、親切だと受け取られれば、それに越したことはない。現実はなかなかうまくいかない。気づかれないだけならまだしも、正反対の印象を持たれるのは辛い。「やらせてる」とは、ほんと嫌な言い方するなと思った。

 

どうすれば良かったのかと考えた。しかし、他に良いやり方は見つからなかった。伝えるべきことはちゃんと伝える方が良いし、ぶっきらぼうに仕事を投げるようなマネもしたくない。あまり手取り足取りでは仕事が進まないから、内容とか量を加減して作業を割り振るようにもしていた。協調してやっていくには、これが精一杯だった。

 

言葉が過剰だろうか。言葉を控えるべきだろうか。どうしても、そうは思えなかった。おだててやらせているように見えたとしても、わざとらしく見られたとしても、そういうのがないよりかはマシだと思わざるをえない。なくなったらどうなるだろう。放っておけば細かいことが面倒になり、おざなりになる。確認不足によるすれ違いが起きる。照れや羞らいが出来て、なんとなく気持ちを伝えづらくなる。そうしてどんどん溝が深まる。一旦、だらしない関係性になったら、そこから立て直すのも大変だ。

 

最善ではないかも知れない。自分の能力の限界もある。けれど、次善のやり方に過ぎなかったとしても、今の自分に出来ることを精一杯やっていくことしか出来ない。

 

自分のやっていることが、人望につながらなかったり、逆に反感を買ってしまうことについて、気にしても仕方がないと思うようになった。批判は甘んじて受け入れるしかない。思い当たる節がないではないしな。本当に心にもなく儀礼的に喋っていることもあるし、我ながらわざとらしいと思うこともある。それでも、目に見えないものを無視することは出来ないし、そこにこそ大切なものがあると思うから、やるしかないと思っている。

 

不本意なことはあるが、信じていることが一つ。長い目で見たときに、色々なことがきっと良い方向に向かうに違いないということ。目先のことばかり追うと、どんどん悪い循環に入っていってしまう。今まで、反面教師を何人も見てきたから確信してる。こうすればこうなるというのを、知ってて見過ごすことは出来ない。同じことを繰り返したくない。自分の経験してきたことを、物事がちゃんと良い方向に向かうように活かしたいと思う。それは、仕事の成果にとって良いことでもあるし、自分や相手にとっての良いことでもあるし、ひいては社会全体にとっての良いことでもあると思っている。

 

人望というものは、きっかけ次第で逆転することもある。これは、結構色んなところで見たり聞いたりしている。嫌われたり疎んじられたりすることも、それが一定の限度まで行くと、反動で一気に逆転することがある。嫌悪が罪悪感に変わり、見方が一変する。そこに至るまでは、やはり中途半端であってはいけなくて、何かしら一貫したものがないことには、そういう逆転も起きない。

 

そんなことを考えつつ、目先のことはあまり気にしないようにする。