運は天にあり

内省の記録

責務

バイト先に新しく、人が二人やってきた。ともに若く、一人はスーパーの仕事もしてる二十代の女性で、もう一人はまだ未成年の大学生だ。こないだ面接に来てたあの人かと、思えば今はもう机を並べて働いている。職場の空気も若返り、変化で人も活気づく。

 

年長者の醜態を散々見てきたので、若い人と接するのは特に気を遣う。年上のことはいい。その人が敬意を持たれるかどうかは自己責任だし、魅力がないと思えばこちらから距離をとるだけだ。若い人の場合は違う。その人の未来に多かれ少なかれ自分も影響を及ぼすことになるから、今の自分に何が出来るのかを考える。

 

伝えたいことが伝われば、それは嬉しいことだ。けれど、そればかりではないだろう。日常の言動はいつも見られているし、一緒に過ごす時間が長いほど、素の自分がさらけ出される。嫌な部分も含めて、全人格が評価される。それは、良い意味でも悪い意味でも他人に影響を与えずにはおかないし、年長者や地位のある人なら、なおさらだ。

 

若い人と接していて、ハッとしたことがある。職場で以前からよく話をすることのあった人が、ある時、私の受け売りで話しをしているのを聞いてしまった。驚いた。どこかで聞いたことがあると思えば、他ならぬ自分の言葉である。吹き込むでも何でもなく、何気なく発した言葉が相手に乗り移ってしまった。これは、普段の言動に相当気をつけないといけないぞと思った。

 

作られたものには、限界がある。自分をどれだけ良く見せようとも、中身がなければすぐにバレる。言葉はいくらでも飾れるが、言葉に偽善が多ければ、相手もそのまま偽善者になってしまう。

 

昔、会社を辞めた時のことを思い出す。「なぜ俺に相談しなかった」と言ってきたオッサン上司に、心底から呆れたことがある。なぜも何も、そこに「信頼していない」以外の理由がある訳がない。メシに連れて行き、おだてて自尊心をくすぐれば相手がなびくと思ってるのか。それで人心収攬成功と、一人で勝手に勘違いしてるのか。作られた人望に、作られた信頼。それを本気で信じてることこそ噴飯ものだ。下手の考え休むに似たり。他人を作為で操ろうとする、考え自体がおこがましい。

 

年をとって経験が増える。地位が上がる。それを、自分の魅力や人望と勘違いしている人間が多すぎる。実態はどうだ。頭が固くなったり、傲慢になったり、下品になったり。そんなのばかりだ。でかくなるのは態度と声ばかり、器の大きさはちっとも変わりゃしない。

 

振り返れば、今まで困った時に助けてくれた大人がいなかった。こういう言葉をかけて欲しいと思ったことの、一つとして叶えられたことはなかった。力を持ったら持った分だけ濫用する。弱い相手を搾取したり、支配欲を満たすのに利用したりする。今、自分より若い人に接していて、とても同じことは出来ない。あの時、こういう人がいて欲しかったという思いを、自分自身で果たそうとしている。