運は天にあり

内省の記録

人を知る

この前の飲み会で、色んな人と話しをした。初めて話しをする人も沢山いた。話してみて、この人はこんな人だったのかと新しく知ることもあり、色々と思うことがあった。人を知るということについて、考えていることをまとめたいと思った。

 

私自身が良くも悪くも異色の人間なので、自分のことを知られるうちに、よく「意外」という言葉を使われたりする。この「意外」という言葉を人に対して使うのが、とにかく嫌い。こういう感想は聞きたくない。人との関わりの中で、絶対に使うまいとしている言葉だ。

 

凝り固まった頭でものを見るから、意外に感じる。世の中に意外なことなんてありはしない。現実はずっと前からただそこにあって、その人の無知や偏見で見えなくなっていただけ。たかだか人ひとりの一生、人ひとりの知なんて限界がある。世界の広さや深さを前にして出来ることは、虚心に自分の認識を磨き、ありのままを受け入れていくことだけだ。

 

特に、人間に関することはわからないことばかり。これは、色川武大の言葉の中にもあって、大いに共感したところ。賭け事にはセオリーがある。仕事にもセオリーがある。だが、人間を相手にするときには、セオリーは通用しない。例外ばかりだから、無理に当てはめようとすると必ず失敗する。勝負の名人は、そう戒めている。

 

小才のきく奴ほど、方程式で人間を分析しようとする。しゃらくさい。こういうのが、まったく的外れなことを自信満々に吹かしてるの、何度も見たよ。IQ型の才子は人間に関してびっくりするぐらい無知で、自分自身の浅さと同じレベルでしか他人を測ることが出来ない。そのくせ、万能感に溺れている。方程式が外れると、嘘をついたり、言い訳をしたり、ヒステリックに怒り始めたりする。結局のところ、人を舐めているんだよな。

 

人を理解するときには、常に足し算でいきたい。

 

出来る限り個を見る。属性や先入観にはとらわれたくない。もし、その人の知らない一面を見たとしても、驚く必要はない。そういう人だったのだと、ただ認識を変えるだけで良い。後からバレる外ヅラの良さは、むしろマイナスになる。良いことも悪いことも全て足して、その人を理解していく。

 

その上で、これ以上なにもないと分かれば、その人から離れてゆく。欠点は誰にでもあるけれど、それを上回る魅力や期待がなければそれまでだ。怒りも失望もなく、二度とその人と関わらないという選択をするだけ。それが縁。変わることの出来る人は貴重だが、現実にはそんな人ほとんどいないだろうし。