運は天にあり

内省の記録

得意なこと、苦手なこと

一ヶ月ほど前に、病院で心理検査というものを受けてきた。絵の中の間違いを探したり、積み木を使って指示された形を作ったり、言葉の意味を答えたりと、色々なことをテストする検査だった。カウンセラーに一対一でやってもらい、全部終えるまでには3時間以上もかかった。

 

先日、その結果を聴いて来た。テストの内容だけでなく、事前に書いたアンケートの内容も含めて、総合的に診断してくれた。

 

まず、エネルギーがとても弱っていると言われた。これは、今の状態の話。本来の力を、十分に発揮できない状態にあるとのこと。

 

それから、適性の話。視覚の能力が低いと言われた。言語や計算に関してはまだマシなのだけれど、目に移る情報を読み取ったり、目で見て真似して動作に移したりすることが苦手だと言われた。

 

たしかに、思い当たる所がある。身の回りのことでも、すぐ目の前にあるものを見落としたり、見た目の異変に気づかなかったりすることがある。絵も下手だ。文字を読むという行為自体は苦痛ではないものの、集中して内容を読み取るのは大変だとも言われたが、これもその通り。読書は好きだけど、内容が頭に入らない。

 

聴覚の方が得意なので、出来るだけ声を使ってやりとりするのが良いと言われた。低い能力を克服するのはかなり大変なので、出来ることで何とかした方が良いとアドバイスを受けた。

 

言われた言葉ひとつひとつを、消化してゆく。思えば、改めてハッとするような言葉は無かった。今までの経験でおおよそ分かっていたことを、整理して教えてもらったという感じだった。

 

苦手なことよりも得意なことで、という言葉が心に響く。こういうことを言ってくれる人は、なかなかいない気がする。

 

苦手なことに対して、罪悪感を植えつけてくる人間が絶えなかった。努力不足、努力不足。自分でもそう思うようにしていたから、かえって萎縮してしまったり、力んで失敗してしまったりの悪循環に陥っていた。

 

そう言っている人たちが何でも出来るかといえば、そんなことはない。誰にでも出来ないことは沢山あるのだが、その時々の役割や人間関係などで、うまいこと隠されている。逃げてること、ノーカンにしてることなんて、山のようにある。

 

自分の出来ることは努力の賜物で、他人の出来ることは恵まれていたおかげ。自分の出来ないことには言い訳がつくが、他人の出来ないことには即努力不足。放っておけば、人間はそう考えてしまうものだと思っている。

 

独善的な説教が心に響かないのは、こういうところだ。言ってる本人が気持ちよくなっているだけで、誰も何も変わらない。なんか、ヒステリックだもんな。偉そうなこと言っておきながら、その実感情に呑み込まれてしまっている。

 

専門家の言葉には、重みがあった。的外れでないし、人を変える力があった。

 

これで、色々と割り切りがつくようになった。これが出来る、これが出来ないが分かれば、それに合わせたやりようがある。出来ることは活かせば良い。出来ないことは気持ちよく負け、他人を頼ろう。これからは自分のやり方で、やって行く。