運は天にあり

内省の記録

生きるということ

先日、心療内科へ行ってきた。レクサプロとロゼレムという薬を処方してもらい、飲んでいる。近頃、悪夢にうなされることが多かったのだけれど、薬を飲み始めてから少しマシになって来た。

 

今回行ったのは、初めてのところ。心療内科自体には、何年も断続的に通っているのだけれど、敢えて新しいところを選んだ。気持ちを切り替え、改めて自分の抱えている問題を解決しようと思ったからだ。

 

普通とは何だろう。そういうことを、最近よく考えるようになった。少なくとも、オーバードーズをしたり、抑鬱状態が何年間も続くことは、普通ではないだろう。常に周りが敵だらけになるということも、普通では無い。

 

しかし、普通でないことが当たり前になってしまったら、それを自覚することが出来るだろうか?

 

他人に、自分の感情を否定されるということが良くあった。本当はギリギリのところで自分を保っているのに、平気なふりをする。すると、怠慢だと攻撃される。少しずつ自己開示を覚え始めると、今度は不幸自慢だと非難される。言われるたびに反省するのだけれど、根底にある苦しみは直視することが出来ない。そういうものなのだと無意識に割り切ってしまい、違った可能性があることが信じられなかった。

 

医者にも、心を開くことは無かった。身体が限界だったので、仕方なく通っていただけだった。それは、今までの話。そういう形だけの通院をやめにして、普通ではないかもと思う症状は思いつく限り話してみた。勧められた心理検査も、受けてみることにした。

 

生活が、前に進みはじめたような気がする。

 

今まで自分は、何を見て、何を学んできただろうか。善も悪も、強さも弱さも、全てまやかしだった。そんなものは所詮相対的なもので、立場が変わればあっという間に消え失せてしまう。精神論など、各々が都合よく自分を持ち上げるために唱えているに過ぎない。もっと根源的な、人間の習性に目を向けることなくしては、どんな言葉も嘘になってしまう。

 

自分自身を見つめよう。一瞬一瞬の感情の中に、確かなものを見出そう。そして、自分の心を動かすもののためにだけ、動くことにしたいと思う。