運は天にあり

内省の記録

もしかして

またこの感じか……とウンザリしたくなる日々。気づけばまた、泥沼のスランプに落ち込んでしまった。休もうとすると落ち着かないし、何かに手をつけようとすると頭が働かなくなる。どうにもならず行き詰まる。

 

休みたい。けれども、うまく休めない。どうしてこう上手くいかないのかと、いつも頭を抱えたくなるよ。少し休んだところで大した不都合もないのに、なぜこんなに囚われるのだろう?

 

大学の頃、教授に「君は真面目過ぎるので心配だ」と言われたことがある。そんな風に見られているとは知らず、ひどく驚いた。

 

この頃は、躁鬱が一番激しい時だった。頭の中で延々と嫌な記憶を繰り返すだけで、毎日が過ぎていった。相当焦っていた。たまに躁の時があるので、表面的には頑張っているように見えたかも知れない。しかし、頭が弱く、集中力がほとんど残っていないので、中身が伴っていないのは自分で良く分かっていた。

 

真面目に見えるのは、そうするしか他に方法がないからでもあった。ゼミは休まないし、研究室の掃除など良く手伝っていたけれど、それはただ、出来ることをしないという状態に、耐えられなかっただけのことだ。他に充実感を得られるものがないから、隙間を埋めるために、目の前の出来ることに取り組んだ。自分の居場所を見つけたかったのだ。

 

ひたすら消耗戦の日々だった。頭が悪いので成績は上がらないし、嫌われ者なのでいつまでも居場所は出来ない。全て無意味なのは分かっているのだけれど、焦りと不安で行動せずにはいられない。本当に、他にしようがないからそうだった、というだけなのである。

 

真面目と言われると、相手を騙している感覚になる。色々な葛藤を、そんなありきたりな言葉で片付けられるのは嫌だったし、誰にも頼らず生きていた自負もあったから、心配されるのも心外だった。もとより期待などしていなかったが、他人の理解はここまでいい加減なものかと、ガッカリした。

 

ところが、今になって、一周回って教授の言葉が気にかかって来た。真面目というのは嫌いな言葉だが、他人から見たら、そうとしか説明出来なかったのだろうと思う。何の意味もないことをやり続けるのは、はっきり言って異常だ。なぜ、そうせずにはいられないのだろうか?

 

自分でも気付かない、見えない義務感や罪悪感に縛りつけられているような気がする。長い時間をかけて、それが当たり前になってしまっている。義務感というのは美化し過ぎか。罪悪感なんて言ったら、善人のようだ。根源の行動原理は、そんな大層なものでは無いのだろう。考える余裕がないと、そんな得体の知れない所にさえはまり込んでしまうのだろう。

 

何もしないことにしよう、と思った。早起きも自炊も掃除も、辞めた。好きな時に寝て、好きな時に食べて、やりたい放題に暮らすことにした。