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内省の記録

塩野七生『ローマ人の物語 ハンニバル戦記』

 

ローマ人の物語 (4) ― ハンニバル戦記(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (4) ― ハンニバル戦記(中) (新潮文庫)

 

 

ハンニバルのことを知りたくて、いくつか本を読んだ。文庫本の長谷川博隆『ハンニバル』は、ポエニ戦争のことが一通りわかり、研究史の解説や参考文献も充実して、入門書にぴったりだった。モムゼン『ローマの歴史』は面白そうだったのだけれど、訳が読みづらかったのでやめにした。塩野七生ローマ人の物語』は、やはり一番読みやすく、ポエニ戦争をもっとも魅力的に語ってくれた。

 

高校生の頃に読んでいた本なので、昔のことも思い出す。昔から近代よりも古代の方が好きだったし、古代ローマの小説なんて珍しかったものだから、シリーズ通して夢中で読んだ記憶がある。中でも、ポエニ戦争を描いた「ハンニバル戦記」は熱かった。孤高の英雄に弱かったので、ナポレオンや謙信などと並んで、ハンニバルは好きな人物の一人になっていた。

 

今、『ローマ人の物語』を再読してみると、今度はローマ側に魅力を感じることの方が多かった。ハンニバルの魅力は相変わらずだ。だからこそ、今さらそこよりも、思い入れの薄かったローマ側のことが相対的に面白く映ったのだ。

 

ローマ人の物語』は、叙述に飾り気が少なくて、小説というよりも歴史の本のよう。図書館に行っても、だいたい世界史のコーナーに置いてあるし。一人称でも三人称でもなく、もっと高く遠い視点から、淡々と出来事を語っていく。史上の人物の顔が近すぎない所が好きだな。顔が近いのは塩野さんの方で、隙あらばヌッと出て来て持論を語り始めたりする。それなのに、古代の世界に引きずり込まれるような没入感があり、当時のムードが活き活きと伝わってくる。

 

ポエニ戦争一のハイライト、カンネの戦い。史上類例のない完璧な包囲殲滅戦で、ローマ軍は7万の兵を一挙に殺戮される。ハンニバル視点で見たら痛快で仕方ないのだけれど、ローマからしたら絶望以外の何者でもなかっただろうな。私も競馬で1日で7万飛ばしてしまったことがあるけど、その時は顔面蒼白になったもの。勝負レースがことごとく外れ、気がついたら取り返しがつかないことになっていた。完全にお通夜状態で、何もかも投げ出したくなる。でも、頭を抱えながら、どうやって取り返そうか必死に考えるね。そこから、大きな勝負をするのは辞めにして、小さな勝ちを長く続けるファビウス作戦で行こうと決めるのも、ローマ人と同じだった。

 

ローマの執政官は任期1年で交代するため、様々な人物が登場する。グズと罵られながらも、ハンニバルに「負けないこと」を徹底したファビウス、何度も何度もハンニバルに挑み続ける不屈のマルケルス、奴隷軍団を率いるグラックス、猪突猛進のネロ、等々。たとえ失敗をしても、そのこと自体で責められたりしないシステムと文化がローマにあるので、執政官たちは個性をのびのびと発揮出来るようになっている。これがあるからローマは強い。どんな強敵を相手にしても、多様性を武器に組織の力で戦っていける所は、ローマという国の一番の強さだと思う。ただ、スキピオだけは例外で、この人だけはローマという括りを超越している気がする。

 

一番印象深かったのが、執政官マルケルスの死の場面。なかなかハンニバルを倒せない焦りと苦悩から、偵察中に襲撃を受けて頓死するまで、死の影が静かに迫って来ている感じが何とも言えなかった。マルケルスの死を知ったハンニバルは、遺体を丁重に葬るように命じたという。ハンニバルにとっては、本当に邪魔で仕方のないキャラだったのだけれど、不思議と強敵を倒したという達成感はなかった。サグントゥム攻撃にはじまるポエニ戦争は20年近くも続き、アルプスを越えたハンニバルは、本国カルタゴで過ごした以上の歳月をイタリアで戦い続けていた。その心中はとても推し量ることは出来ないけれど、往年の宿敵マルケルスが死んだ時に漂う、憎しみの果てのような寂しい雰囲気は、何となく分かる気がした。