運は天にあり

内省の記録

IQと人間性

『アルジャーノンに花束』を昔読んだ。知的障害をもつ主人公が突如天才に変わり、主人公の見える世界や、周りとの関わり方が、大きく変わっていってしまう物語だった。この物語では、IQの違いから生まれる断絶が問題提起されていた。

 

先日、後輩が左遷された。仕事の進みがいまいち芳しくなかったので、見切りをつけられたのだと思う。今年の4月に入ったばかりなのに、早すぎると思った。もう少しうまいやり方がなかったのかと思う。

 

今の上司はとても頭の良い人で、物識りで頭の回転も速い。しかし、それゆえに人を人とも思っていないような所があり、この後輩に対して、いつも理詰めで攻めるようなことばかりしていた。こういうタイプにありがちだけど、絶妙に嫌な言い回しとか粘っこい声音をするものだから、側で聞いているだけでもこのやり取りはイラついた。チームの空気はとても重い。しかし、そんな周りの感情などお構いなく、本人はおためごかしで恩着せがましいことばかり言っている。後輩の方も、今まで散々言い負かされて来たものだから、何を言われてもペコペコしている。

 

人間性から溢れたIQは、本当に邪魔で余計なものだと思う。IQの違いが断絶を生みやすいというのは正にその通りで、下手をすると差別や暴力にも繋がりかねないものだ。人間のもつ能力の一つでしかないはずなのに、ここだけは何かと格差を生む原因になるんだよな。智に溺れて情を知らない人間は本当によく見るし、なまじの賢さはかえって害になることの方が多いと思う。

 

この上司と、営業の人とを交えたミーティングが少し前にあった。営業の人が、なぜかずっと喧嘩腰だったのが不思議だった。そのうち、「頭のいい人はそう言うけど」とか「僕の方が現場に近い」とかいった言葉が出てくるのを聞いて、事情が飲み込めてきた。これまでに、上司がこの営業の人を理詰めでやり込めるようなことを繰り返して来たのだ。相手ははじめから感情的で、ムキになってしまっている。ミーティングはさしたる進展もなく、物別れのようなムードで終わる。こんなことをやってちゃダメだ、と呆れた。

 

相手が何を言っても否定するような人間関係というものがある。開口一番、「でも」とか「いや」とか否定の言葉が常習的に出てくるようだと、もうそう言う関係だと言っていいだろうな。上手に負けることがとても大事だと言うのは、博打打ちの色川武大の言葉。これは、大いに納得した。頭の良い人、弁の立つ人は完璧に勝ちばかり追いすぎる。正論を盾に、相手が何を言っても否定するような関係性は、暴力による支配と同じことだし、悪い結果にしかつながらないと思う。

 

私は、生まれ持った資質や能力よりも、その人の乗り越えてきた個人史に一番の魅力を感じる。能力の部分をどれだけ見せられようとも、今の上司に魅力を感じることは全くなかった。

 

自分の人間性で抱えきれない力は、思い切って捨てるべきだと思うな。それに見合う人間力が追いつくまで、中途半端な力に頼ってはいけない。そうじゃないと、身に余る能力が自分の身を滅ぼすことになると思う。才知に身を任せるような歳の取り方をしている人は、どうしてあんなに嫌らしく見えるのだろうか。どんなにすぐれたものを持っていても、それだけだと単なる才子。きっと、大成はしないだろう。昔は鋭敏さへの憧れもあったけど、今はもっと大きい器を目標にするようになった。