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同窓会の誘い

高校時代、同じ部活動をやっていた同級生から連絡が来た。同じ部のメンバーで同窓会みたいなことをやるので、来てみないかという誘いだった。

 

唐突だったので、驚いた。もう10年近く連絡をとっていないので、連絡を受けた時、まず第一に宗教かマルチを疑った。同窓会と聞いて一安心したが、今度は別の意味で戸惑った。

 

私は、例によって人間関係を苦にしてその部を辞めている。はっきり言って、良い思い出はない。何年も連絡をとっていないと言ったけれど、私以外のメンバー同士のつながりは深く、卒業後も定期的にあっていたりしたらしい。なので、同窓会といっても、他のメンバーにとっては定例会のようなもので、今回はどういう風の吹きまわしか、私にも連絡が回って来たということだった。

 

なぜ今さら、と思った。会いたくないという気持ちが先立った。嫌な記憶に苦しめられている間は、歩み寄りが前進のきっかけになったり、救いになったりすることもあるかも知れない。しかし、今では高校時代のことなど、ほとんど意識することも無くなっている。わざわざ、思い出したくないことなのだ。

 

部員の一人が亡くなったという話も聞いた。しかし、何年間もつながりがなかった訳だし、もとより人間関係が原因で辞めたのだから、聞いて素直に悲しむことは出来なかった。むしろ、知ったこっちゃないというのが本音かもしれない。正直に言って、そいつの人生など私にとってどうでも良いことだし、もっと正直に言えば、死……やめようか。こんな感情しか出てこないのだから、今さら会える訳がない。

 

強い者や多数派にとってみれば、過去を消費するのは楽しいことだろう。弱い者や少数派にとっては、必ずしもそうではない。消費するより前に、呑み込まなければならない感情がある。良い思い出はないけれど、決して悪い人たちではないのは分かっているし、むしろ自分の方が悪いのだということも分かっている。今会ったら、以前とは違った接し方も出来るのだろう。ただ、今はとても、全てを呑み込んで忘れられる心境には、届いていなかった。

 

こういうつながりは、とても貴重だと思うし、楽しいだろうなと思う。悔しいけれど、同窓会の誘いを受けたとき、本音のもっと奥の方では、懐かしい気持ちや嬉しい気持ちがあった。しかし、それをきっかけに昔のことを思い出しているうち、余計なことも沢山思い出し、苦しんだ。過去の自分、今の自分、色々考えた。そうしていると、あっという間に食欲がなくなり、仕事の集中力もなくなり、生活がままならなくなってしまった。ずっと封印していた、タブーだったのだ。会いたい気持ちがあったとしても、もう心や身体がついて行かなくなっている。それぐらい、持つ者と持たざる者との断絶は深い。

 

人間関係は全て捨てて来たので、何も残っていない。改めて、貧しい人生だと思う。