運は天にあり

内省の記録

働くことの虚しさ

 

転職して半年ぐらいが経ち、生活も安定して来た。この頃は、労働とは虚しいものだとつくづく思うようになった。

 

一日の労働を終え、充実感みたいなものが込み上げてくる度に、罪悪感を感じる。自分の性格が、どんどん悪くなってきている気がする。交感神経の働きに騙されて、勘違いした自信をつけてしまいそうなのが、とても怖い。

 

働けるということは、大変恵まれていることだ。身体がちゃんと動いて、頭をしっかり働かせられるというのは、当たり前ではない、有難いことなのだ。自分は今、たまたまこうして働くことが出来ているというに過ぎない。努力出来るということ自体恵まれているのに、それにことさら充実感を感じたり、偉いと思ったりするのは、罪深いことだと思う。

 

数年前、抑鬱状態がひどかった時には、とても今のようには行かなかった。8時間机に向かって勉強して、教科書が1ページしか進まなかったこともあった。しかも、その1ページの内容だってまるで頭に入っていない。何とかしなきゃという焦りは募るのだけれど、どうにもならない。そういう状態の時は、他人との関わりもままならなくて、何か言葉を発しようとしても、トンチンカンな言葉しか出てこず、とにかく怒りや嘲笑を浴びるばかりだった。

 

労働の大変さなんて、鬱やいじめ、人権がないことのストレスとは比較にならない。功名心のある時の労働なんて、ほとんど自己満足と変わらないし。本人がやりたくてやってるのだから、偉くもなんともなくて、それを他人に誇ることなんて以ての外だと思う。自分が今、本当の辛さから少し離れた所にいて、ふつうの社会人然として働いているのが気持ち悪くて仕方がない。でも、こうしている方が、人から褒められるんだよな。

 

過ぎていく時間の中で ピーターパンにもなれずに

ひとりぼっちが怖いから ハンパに成長してきた

何だかとても苦しいよ ひとりぼっちで構わない

キリストを殺したものは そんな僕の罪のせいだ

ーーTHE BLUE HEARTS「チェインギャング」

 

ただ働くだけなのが、本当に虚しくなってきた。何か、理想を持っていないとダメになってしまう。理想は空虚に見えることもあるけど、理想がないことの方がもっと空虚だ。

 

年を重ねるということが、放っておくと、言い訳がうまくなったり、狡猾になっていくばかりになりそうだ。だから、個人史を殺さずに、どうやって年を重ねていけるだろうか、考えなきゃいけないと思う。