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リチャード・アダムズ『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』

読書

 

ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち (上) (評論社文庫)

ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち (上) (評論社文庫)

 

 

故郷の村を抜け出した若い野うさぎ達が、知恵と勇気と個性を武器に、未知の山河を駆け巡り、人間や天敵、他の村のうさぎ達など、様々な相手との戦いを乗り越え、ウォーターシップ・ダウンの地に新しい村を創り上げていく物語です。

 

すごい物語だった。野生の世界で死闘を繰り広げるうさぎたちの格好良さに、驚かされっぱなしでした。とにかくもう、野生のうさぎの世界は壮絶です。人間やキツネ、猫など、外敵に殺される死の危険とは常に隣り合わせであり、一日一日を無事に終えるだけでも必死です。それゆえに読者も、うさぎの愛嬌に癒されている暇はまるでなく、先の読めない野生の世界の過酷さにハラハラドキドキするばかりです。負傷なんかは日常茶飯事で、仲間割れもしょっちゅうだし、恐怖のあまり「サーン状態」と呼ばれる恐慌に陥ってしまうこともあるし、時には仲間が命を落としてしまうこともあります。そんな不安定な環境の中にあっても、決して諦めたりすることなく、原野を開拓し、巣を作り、繁殖のため他の村からメスを奪い、荒々しく逞しく新しい村を創造していく若いうさぎたちからは、本当に多くのものを感じることが出来ました。

 

児童向けの物語なのだけれど、文庫本で上下二巻と、かなりボリュームがあります。そして、内容もボリュームに劣らず重々しく、一見単純なうさぎの習性に起因するような出来事にも、嫉妬や臆病、功名心など、人間の持つ悪徳と同じものが仄めかされていたり、数々の失敗や危機からは、チームで協力することの難しさを嫌という程思い知らされるようになっていたりと、深い人生経験がふんだんに託し込められたような、荘重さ・重厚さが感じられます。「上士」とか「大哨戒」とか、独特な味のある漢語がちりばめられていたのも、重々しく格好良かったです。各章の冒頭には有名な古典文学の文句が引用されており、その章で起きることを暗示するようになっているのですが、こうした格言じみた古典の断章はとても思わせぶりで意味深で、うさぎたちの軌跡と人類の叡智とが一体になるように感じられ、重厚さにますます拍車がかけられていました。

 

主人公のヘイズルたちは、故郷を離れた後に、自分たちとは違った文化をもつうさぎを知ることになります。自然との戦いや外敵との戦いも大変なのだけれど、一番印象に残るのは、こういった他の文化のうさぎたちとのぶつかり合いです。ヘイズルたちが出会ったうさぎの中には、生かさず殺さずの絶望に閉ざされ、マインドコントロールを受けたかのように虚ろなうさぎたちもいれば、生きる術を持たない弱々しい飼いうさぎもおり、外敵よりも上官を恐れる、まるでソ連軍のように鉄の規律で鍛え上げられた屈強のうさぎたちもいたりします。この世界で生きるためにうさぎたちが選んだ道、選ばざるを得なかった道は、実に様々です。

 

ヘイズルたちは、はじめは寄せ集めみたいなものです。未知のうさぎに出会った時は、相手がどんなうさぎかもわからないし、何をされるかもわからないから、不安や戸惑いを感じてしまいます。ヘイズルたちにとってみれば、出来上がった組織には、自分たちにない強みがあるので、余りにも巨大に見え、打ち拉がれる気持ちになります。しかし、そこで屈服してしまうのではなく、相手の習性をよく見極め、自分たちに何が出来るのか、懸命に考えて挑んでいくのがヘイズルたちです。規則を持って動くうさぎたちは整然としていて非常に強力ですが、規則的であることには弱みもあり、逆に利用する余地もあります。無力なヘイズルたちが融通無碍に知恵を巡らし、困難を克服していく姿からは、大きな勇気を与えられるし、学ぶ所も多かったです。

 

ヘイズルやファイバー、キハールなど、個性的で魅力あるキャラクターは多いですが、何だかビグウィグが一番面白かったですね。最初のうちは、どうもヘイズルにとって敵とも味方ともつかないような所があって、面倒くさい先輩を抱え込んでしまったなあとしか思えなかったのですが、冒険を重ねるにつれどんどん成長して行きました。もともと血の気が多いもので、ことがあると真っ先に飛び出して行き、いつも満身創痍で凄絶で、始終かたわらに死の影を漂わせているようなうさぎでしたが、対エフラファ戦の頃になると印象がガラッと変わります。エフラファの村からメスを強奪するため、ビグウィグはスパイとして村に潜入するという大役を任されるのですが、ここではそれまでの気性の悪さはすっかり鳴りを潜め、実に器用に役目を果たします。当然相手も手ごわくて、危うく身元を感づかれそうになり、ギクッとする場面は何度もあるのですが、その度に機転を効かせて、際どく危機を乗り切ってゆきます。こうした意外な方面での活躍は、敵中にあっても動じない度胸の良さもさることながら、ビグウィグが決して蛮勇だけではない、知勇兼備のうさぎなのだということを正しく証明していました。

 

そしてなんといってもこの場面、抑圧され辱められる反逆者・ブラッカバーを、意地でも助けようとするビグウィグの侠気が素晴らしかったです。決して自分の身だけを考えることをせず、その瞬間の怒りや義憤を大事にし、直情径行に突き進んでいくところが本当に良かったですね。助けたら助けたで、その後は優秀なブラッカバーに嫉妬して意地悪をするというのも同じビグウィグなのですが、そんな欠点も愛嬌に思えてくるくらい、戦地で魅せる勇敢さには惚れ惚れさせられました。しかも、こんな活躍を見せた上でもなお、ビグウィグの奮闘は終わりません。ラストには、さながら長坂橋の張飛のように、皆を守るため一人敵前に立ちはだかり、怪物・ウーンドウォートと流血の一騎討ちまで繰り広げるというのだから、本当に物語の後半はビグウィグの見せ場たっぷりで、むしろヘイズルよりも主人公らしく見えてくるほどでした。

 

ことほど左様に、この作品のうさぎたちは格好良く、逞しいのですが、もちろん弱いところも沢山あります。野菜畑を見つけたら、命の危険があると分かっていても盗みに行かずにはいられないし、ブーブー文句を言ったりグズグズすることも多いし、長い旅路の末にようやく住処を見つけたと思ったら、今度はメスを巡って喧嘩しだすというような、浅はかなこともします。カウスリップの村のうさぎもエフラファのうさぎも、はた目にはおかしな所もあるけれど、ヘイズルたちにとっても決して他人事ではありません。けれども、自分たちのもつ習性に振り回されざるを得ないうさぎたち、この無垢でもなんでもない生身のうさぎたちは、その脆さや儚さゆえにかえって一層愛おしく感じられるし、動物だから極端に見える所もあるけれど、そこは畜生の浅ましさ、本質的には人間と変わりないと思うのです。

 

価値観は、賛否両論あるかもしれません。メスは奪い合うもので、飼いウサギは情けないもので、野生の世界で生きられる逞しさ、とりわけエル・アライラーのようなズル賢さを持つのが良いという価値感は、そのまま人間に当てはめるのは古すぎるかもしれません。ヘイズルの仲間たちの関係性を見ていると、臆病と思われるのを何よりも恥じていて、名誉のためにみんなが切磋琢磨しあっていて、どこかでこういうのを見たことあるなと思ったら、『飛ぶ教室』の友情がこんな感じだったなと思い出しました。このリチャード・アダムズと言い、ケストナーと言い、ヨーロッパの大戦を間近に見て来た人たちの物の捉え方には、どこか通じるものがあるのかな。エフラファのうさぎたちのあまりの恐ろしさに、勇敢なビグウィグですら心変わりしそうになったりブラッカバーの救出を諦めかけたりしましたが、そんな時に辛うじてビグウィグを支えたのは、仲間から怖気付いたと思われたくない、という名誉の気持ちでした。命がけの使命に立ち向かっていく時、こういう価値観がないとやってられない、というのもあるのかも知れません。

 

それはともかく、習性に振り回されながらも、各々がうまく折り合いをつけられるよう努力し、なおかつ仲間の習性ともうまく合わせていこうとする姿勢は、暗黙のルールや鉄の規律で秩序を保っていた他の村とは違う、ヘイズルたちの優れた所であったと思います。習性は命取りにもなりますが、うさぎがより良く生きるための原動力にもなります。ヘイズルの功名心がかえって良い方向に転ぶこともあったし、あの恐ろしいウーンドウォートの抑圧から抜け出すための原動力になったのも、ほかならぬハイゼンスレイたちの「穴を掘りたい」という習性でした。もって生まれた性質や、やむに已まれぬ性質は仕方が無いとして、そこに向き合っていけるかどうか、巣穴を抜け出す勇気があるかどうかで、どんな英雄にもなれるし、どんなつまらない者にもなれる。新しい村の創造という大仕事を成し遂げたヘイズルたちはみな立派な英雄で、ゆくゆくはエル・アライラーやラブスカトルのように、神話になって末永く語り継がれることでしょう。小さな野原にキラリと光る、露の命のうさぎたちの、ロマンあふれる夢の足跡が忘れられない物語でした。