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アゴタ・クリストフ『第三の嘘』

 

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

 

 

悪童日記』『ふたりの証拠』に続く、双子の物語。年老いたリュカとクラウスが、かつてあった出来事の真実を語ります。

 

一作目・二作目と続き、一気呵成に読みました。完結編のこの物語、これまでの作品と比べてあまりにも切なくて、読了後、やるせ無い思いに沈められました。今までの物語は、全てリュカの嘘だったらしいです。しかも、『第三の嘘』というタイトルから、この物語自体も本当かどうか分からない含みがあります。どこまでが嘘でどこまでが真なのかというカラクリについては、複雑過ぎるので深く考えるのは諦めました。何と言われようと、一作一作を真実として信じるしかありません。しかし、今までのことが全て、そうであって欲しかった理想なのだと言われると、理想と現実という新たな重みや、理想にすがらざるを得なかったリュカの無力さも思いやられ、前作までの哀しみが、一方では喪失感に変わり、また一方では再び違う形で込み上げてくるようでした。『悪童日記』には、悪の魅力がありました。『ふたりの証拠』には、激しい憎しみや苦しみがありました。現在進行形の前作・前々作には若さがあり、良くも悪くも熱い血潮が流れていましたが、回想の形になってしまう本作にあるのは、全てを終えた後の虚しさだけです。回想なので、痛みも少ない代わりに激情もありません。そして、取り返しのつかないことになることが分かっているので、回想の中の双子に希望を持つことも出来ませんでした。

 

真相はより現実的なもので、双子の意思が介在する余地は全くなく、ただただ運命に流されるばかりでした。悲劇の始まりは、父親の不倫です。不倫発覚で逆上した母は父を射殺し、自身も物狂いとなってしまいます。修羅場に居合わせたリュカは流れ弾を受けて障害を負ってしまい、病院送りになり、独り残されたクラウスは、父の不倫相手のもとで暮らすことになります。そこへ折悪しくも戦争という大波が押し寄せたものだから、リュカとクラウスはお互いの手がかりを全く失ってしまいました。その後、リュカは外国へ逃亡し、クラウスは物狂いの母と暮らします。リュカは離れ離れになったクラウスのことを慕いますが、クラウスはリュカだけを想う母に苦しめられ、三人の想いはすれ違ったまま無情に時が流れます。数十年後、リュカは故郷を訪れますが、そこに再会の喜びはなく、クラウスはリュカを冷たく突き放すのでした。

 

子供の頃というのは、人生にとって本当に重要な時間なのだなと思います。『悪童日記』と『ふたりの証拠』で語られたのは、主に双子が10代から20代の頃の話でしたが、今作でのリュカとクラウスはもう老人です。少年時代・青年時代から死までの道のりは、あっという間なのです。本当は、物語で描かれている以上の年数を、それぞれの人生の中で過ごしているはずなのに、死の間際まで二人を縛っていたのは、子供の頃の出来事でした。誰かを愛するということを知らずに育ってしまった二人は、たとえ何十年の時間があろうとも、失ったものを二度と再び得ることは出来ない定めだったのか。ふと、色川武大の言葉を思い出しました。阿佐田哲也ペンネームで悪漢小説を物した無頼のこの作家は、とある随筆でそれまで歩んできた人生を振り返り、作家としての成功や自身の資質については謙遜するのですが、ただ一点、小さい頃に誰かを好きになる経験が出来たのは自分の人生にとって幸いだったと書いていました。人を好きになることは、その後の人生を大きく左右する大事なことなのだけれど、その小さい頃の一時期を逃してしまうと、なかなか体験出来なくなってしまうとのことです。しかし、これ程重いことであるにもかかわらず、子供自身はそれを選ぶことが出来ない。子供を育む社会や、大人たちに課された責任の重さを感じます。

 

リュカの思い、クラウスの思い、そして母の思いは、どれも報われることなく終わってゆきました。悪漢小説らしいと言えばそうかも知れません。クラウスは母のために自己犠牲的な生き方を貫いていましたが、リュカの方は荒れていて、病院で度々人の嫌がることを繰り返していました。そして、因果なことに、自由の国に渡ってからのリュカは、どうやらクララと不倫していた形跡があります。根は善良で禁欲的なのだけれど、かと言って宗教に救われることも無かった二人は、「書く」という行為に救いを見出します。そうして出来上がった作品は、辛うじて二人をつなぐ縁となり、『第三の嘘』となって結実しました。本書の解説によると、作者のアゴタ・クリストフ自身が、書くという行為に非常に強い思い入れがあったと言います。書かれたことの真偽は分からないままでしたが、それゆえに、リュカとクラウスにとってある意味唯一の真実であった書くという行為について、アゴタの言葉をもっと聴いてみたいと思いました。