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アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』

読書

 

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

 

 

悪童日記』の続編。残された双子の一人・リュカをはじめ、人心の荒んだ戦後の「小さな町」に住む孤独な人達が、誰かを求めながらも誰も得られず、心の傷を深めていく物語です。

 

前作の最後を見て恐れていたことが、果たして本当に起こってしまった……。目の前にある深淵を予感しつつ、それをどうすることも出来ないもどかしさを感じながら、この続編を読みました。今までずっと一緒にいた二人が離れ離れになったのだから、経験したことのない苦しみに二人は戸惑うはず。しかも、戦時中の略奪や戦後の圧制のために疲れ果ていた町には、とても主人公を受け止める余裕はありません。一人になった主人公はきっと誰かを求めるだろうし、それが恋愛なのか友情なのかはともかく、今までの生き方を想えばその誰かを傷つけずにはいられないだろう。常人には真似のできない悪事をやってのける双子が魅力的に映った前作から、一転して内面の脆さと破滅を描く今作との落差を受けて、悪漢小説という繋がりから『ゴッドファーザー』とその続編のことを思い出しました。

 

今作では文章の体裁も変わり、一人称での語りから三人称での描写に変わります。町に残った双子の一人はリュカと呼ばれていることが分かりましたが、前作とはかなり印象が違うので一人称と三人称との違いはこれ程大きいのかと驚かされます。前作の印象だと双子は才気煥発で商売も上手くて、哀しみを帯びつつも強かに世の中を渡り歩いているようでした。ところが、今作のリュカは町の人から「狂人」呼ばわりされていて、なおかつそれを気にしてはいけないと自分に言い聞かせているような所もあって、一見すると今まで通りの抜け目ない悪童なのだけれど、人生への疲れが所々に見え隠れしているように思えました。三人称から受けるそんな印象は、作中の町の人の視線とも重なっていて、司祭や党書記のペテールなど心ある何人かの人はリュカのことを強く心配しています。思えば前作でも、双子が巧妙にやってのけた女中殺しのことを司祭はちゃんと知っていました。今作でもリュカの悪童ぶりは健在で、物語終盤に読者をあっと驚かせるような事実も明らかにされるのですが、そういうことも町の人は大体わかっていたのではないかと思うのです。アリバイ作りみたいなことが得意なリュカは、罪に問われるようなヘマはしません。けれども周りの大人たちは、リュカのことをリュカ自身以上にちゃんと分かっていたのだと思います。

 

今作では年齢も境遇も様々なキャラクターが登場しますが、一番強く印象に残ったのは孤児のマティアスでした。相方を失ったリュカが次に自分の支えとして求めたのがこのマティアスでしたが、一方ではクララの元へ通ったり放蕩を繰り返したりと、リュカの愛情の焦点は定まりませんでした。マティアスは、良い意味でも悪い意味でも普通の子です。それゆえに、リュカが見ることの出来なかったことや見なくても済んだことを、子供ながらも見通していました。かつての自分を救うような気持ちからか、リュカはマティアスのことを慈しみ、スパルタ式の教育で生きる知恵を叩き込もうとします。醜いマティアスは学校で虐められてしまいますが、凶器をもって相手に立ち向かわせようとするリュカに対して自分はそんなことは出来ないと抗議します。そして、双子のクラウスと一緒だったために一人では無かったこと、美貌のために周りの大人たちから度々可愛がられていたことなど、リュカだからこそ出来たことをマティアスは喝破します。確かに、リュカと同じようなことをしろと言われてもそう簡単に出来るものではありません。前作『悪童日記』で、物語序盤で早くもリュカは生き物を殺す術を身につけてしまいますが、普通の人間にはそれが出来ないものなのです。その点、マティアスは読者の視点に近くて、私にとっては、リュカのことを魅力に感じつつもどこか好きになり切れない理由をマティアスが説明してくれたように思えました。

 

未亡人のクララや、同性愛を隠すペテール、父を愛したヤスミーヌなど、物語には孤独を抱えた人が沢山登場します。そんな登場人物たちの間で、色々な人間関係がありました。独りでは駄目だし、三人でも駄目、二人が一番安定する関係なのだけれど、相思相愛でない二人が繋がったり嘘が混じっていたりすると、却って破滅的な結果になってしまう。前作では、気に入らない人間は殺せばそれで済んでいたリュカですが、今作ではそうした悪事が祟って一番失いたくないマティアスを失うという結果を招いてしまいました。形は違えども、姉を愛していると自分に言い聞かせ、姉との同居生活を決意した結果、姉を殺すに至ってしまったヴィクトールの運命は、リュカの運命と似ています。生きるために仕方なかったとは言え、幼い頃に人工的に人間性を作り上げてしまったツケは大きく、マティアスの死を反省をする暇すらリュカに与えないまま、あっという間に20年30年の歳月が過ぎていく所には、運命の残酷さを感じました。一作目と比べると、謎の仕込み方が巧妙で、推理小説のように理知的になりすぎた感じは受けましたが、人間関係の難しさや心の傷の深刻さについて深く考えさせてくれる物語でした。