運は天にあり

内省の記録

アゴタ・クリストフ『悪童日記』

 

悪童日記 (Hayakawa Novels)

悪童日記 (Hayakawa Novels)

 

 

 

戦争中、疎開先のとある「小さな町」でおばあちゃんと暮らす風変わりな双子の少年が、暴力・犯罪・貧困・虐め・強制収容・略奪など、ありとあらゆる社会の闇に晒されながらも、強く静かに生きていく物語です。

 

無力感や怒り、哀しみなど、様々な感情を沸き起こす物語でした。満足に食事も出来ず風呂にも入れない子供たちや、誰にも愛されず自分を傷つけてしまう女の子、そして毎日空襲に脅える町の人達などの姿を見ていると、自然と気持ちが引き締まります。人によって感受性は違うものだから、必ずしも外から見えることが人の幸不幸を左右するとは思いません。しかし、戦争や搾取には、絶対的な悲しみがあると思うので、それに比べて今自分の身の回りにある世界がどれだけ恵まれているかと、改めて気付かされました。この物語のモデルになっているのは二次大戦だけれど、今だって世界から戦争が無くなった訳ではない。派手な戦争以外にも、社会には様々な暗部がある。それを思うと、自ずと意識が外へ向かっていきます。

 

主人公の双子の少年ですが、率直に言うと、この二人には少し複雑な感情を覚えました。好きとも言えないし嫌いとも言えません。体を鍛えたり心を鍛えたり、時には生き物を殺す訓練などもして何ものにも動じなくなったこの二人に対して、それが可愛げが無いとか言う意味ではなしに、怖さを感じるのです。内向的な人間が黙々と鍛錬に励むというのは良くあることなので、それ自体には何も思いません。躊躇いなく人を殺すような、非人間的な能力を訓練によって身につけるというのも、対人恐怖症の本や小説の中でそういう症例をいくらも見たので、無力な人間が生きていくためにはむしろ必要なことだと思います。例えば三島由紀夫の『仮面の告白』でも、視線恐怖に打ち克つために、主人公が電車の中で赤の他人の眼をジッと見つめるという訓練をしていたりしたので、そこには違和感はありませんでした。

 

しかし、この双子には、強くなっていく過程の中に葛藤がありませんでした。ある日、おばあちゃんの所に預けられたかと思うと、苛酷な環境の中あっという間に訓練で強くなっていきました。苦しみや悲しみは、少なくとも描かれてはいません。強くなった後にもそれは同じでした。隣人の「兎っ子」が図体のでかいガキに虐められている時も、すぐには助けず、その子がどんな風に振る舞うのか「観察していた」と言います。助けない訳では無いけれど、一面では自分たちの見識を増やすために「兎っ子」を利用している。そのことに、双子が何を感じているのか分からないのが怖いのです。感じてる余裕など無い、というのが実際かもしれません。しかし、自分達は傷つく素ぶりもなく、ひたすら労働と自己鍛錬に励み、大人も凌ぐ賢さで強かに勝ち続けるというのが、小さな子供にしてはあまりにも強すぎるために、不気味に感じるのです。タイトルは悪童日記と付けられており、確かにその通り盗みも殺しもやるのですが、よくよく見れば双子の行為は全て筋が通っており、大悪とも大善ともどちらともつかない、底知れぬ闇の深さも感じました。

 

傍観者で居られるというのは、それだけの力があるか、そういう恵まれた身分にある時だけです。そうでない人間は、争いや憎しみの渦中で必死に生きなければいけません。ただ、渦中で生きることにどうしても耐えられない状況もあって、そういう時には、感情に振り回されるのを辞めて、感情を殺したり、心理的に傍観者に徹してしまうしかありません。そういう意味では、この双子のような人生に対する態度が、今を必死に生き延びざるを得ない読者にとって、生き方の規範になるかも知れないと思いました。双子は生き物を殺すことに慣れており、死を直視することが出来ます。哀しいことですが、一つ上の現実を生きる人間は、誰にも負けないものだと思います。

 

考え方や感じ方が分からなさすぎるのが双子に対する不安の原因ですが、とは言え、双子はただ分かりづらいというだけで、人間みな、他人の考えなど分からないし、もっと言えば自分の考えだって分からないものです。最初はあれだけ仲の悪かったおばあちゃんと双子ですが、いつの間にか双子がおばあちゃんの側を離れたがらないようになっていたり、あまり双子と打ち解けず、しばしば悪態までついていた従姉が別れ際には涙を流すなど、人間の単純ではない色々な側面が見られたのは救いでした。

 

物語の終わり、薄情な父親を騙し討ちにして殺した後、双子のうちの一人は国境を越えて逃走し、これまでずっと人生を共にしていた二人は、離れ離れになります。振り返って見れば、ずっと冷静で賢く見えた双子が唯一弱い面を見せたのが、学校で離れ離れにされてしまった時でした。おばあちゃんの所に疎開してきた後も、二人は知恵を使って学校へ行かなくても良いように計っています。そんな二人が、なぜ自分達から離れ離れになる道を選んだのかは分かりませんでしたが、賢明な二人のことなので、いつか引き離されてしまう時のために、今の内に別々に生きる訓練が必要だと考えたのではないかと思います。

 

これまで、とても強く生きていた二人ですが、忘れてはならないのが、二人はいつも二人であり、決して一人になったことは無かったということです。虐められ、屈辱的な仕打ちを受けていた兎っ子は、なぜ自分で身を守らなかったとでも言いたげな双子に対し、三人の大きな男の子を相手に自分に何が出来ただろうと言いました。一人というのはあまりにも無力です。二人と三人、三人と四人の違いに比べて、一人と二人の違いは圧倒的に重いのです。二人一緒にいることで強く生きて来られた二人が、別々に離れてしまった後にどうなってしまうのだろうか、多分違った成長があるのだろうと思いつつも、その先に何が待っているか分からない怖さも感じました。