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ディック・キング=スミス『ゴッドハンガーの森』

読書

 

ゴッドハンガーの森 (ユースセレクション)

ゴッドハンガーの森 (ユースセレクション)

 

 

大西洋に面するゴッドハンガーの森には、鳥や獣など様々な生き物が暮らしています。この森に、生きるためではなく、慰みに狩りを楽しむ森番が一人おりました。この物語は、秋のゴッドハンガーの森で繰り広げられた、鳥獣たちの指導者であるスカイマスターと森番の人間との、命を賭けた戦いの記録です。

 

森番の男一人以外、人間は全く登場せず、カラスやフクロウ、アナグマにイタチ等々、動物ばかりが沢山登場する物語です。その点では、同じディック・キング=スミスの『子ブタ シープピッグ』と共通しています。とは言え、こちらには牧歌的な雰囲気はまるでなく、狩る者と狩られる者が同じ森に共生し、日々命の危険と隣り合わせに生きざるを得ない畜生道の世界が描かれています。生に対する深刻さが、家畜の動物たちの世界と、野性の動物たちの世界では、やはり全く違っていました。ただ、『子ブタ シープピッグ』の世界でも、緩慢なヒツジたちを機敏で戦闘力の高い犬が恐怖で支配するという、生き物の残酷さを表現することがあったので、毛色は違うなと思いつつも同じディック・キング=スミスの作品だなと思いました。

 

この作品は、冷酷な現実を突きつけてくるような物語でもあります。人間の社会とは違い、野性の動物たちの世界には法も倫理も何もないので、弱い者は強い者から付け狙われ、捕まったが最後、餌食となって食い殺されていきます。善悪などという概念は存在せず、この世界で生きていくということには、弱肉強食の論理以外の何物もありません。動物が主人公だからと、愛玩動物のような可愛らしさを期待したり、生半可な倫理観を期待していたりすると、手ひどく打ちのめされるような物語です。

 

とりわけ印象に残ったのは、野良猫のギルバートの死でした。ギルバートは孤高の野良猫でしたが、やむにやまれぬ猫の習性で、わざわざ人間の住む小屋に近づいていってしまいます。ある時、不良少年のようなキツネの兄弟に絡まれ、エサを横取りされぬよう威嚇のために鳴き声を上げたのですが、その時に森番に見つかってしまい、あえなく撃ち殺されてしまいました。殺される動物自体は沢山いるのですが、モブキャラではなくちゃんと名前があって、どんな個性なのか紹介までされたキャラクターの中で、真っ先に死ぬのがギルバートです。物語の後半まで行くと、キツネの兄弟の片割れ・フレムとイタチのリッピンも死ぬことになるのですが、フレムはスカイマスターの忠告を無視して鶏小屋を襲おうとした結果の頓死だし、リッピンは森番の鶏小屋に浸入して大量虐殺を行った末の討ち死にだったので、どちらも身から出た錆の感があります。ギルバートの死は少し質が違います。天涯孤独に育ったギルバートは、世の中の全てを憎んで生きています。そして、死を迎えた時というのは、ネズミのローデンに対する憎悪に支配され度を失っていた時であり、そこを運悪くキツネの兄弟に付け込まれ、命を落としてしまったのです。同じように人間の住処に近づくのでも、鳥やキツネは協力して見張りを立てることが出来ますが、孤独なギルバートにはそれが出来ません。ギルバートは、ただただ無力だったから死んでしまったのです。

 

それから、オオガラスのロフタスのことも印象に残りました。ロフタスは、恐らく最高齢の長老格のキャラクターですが、好人物という感じではありません。森番に命を狙われる可能性のあるゴッドハンガーの森から離れた場所に住んでおり、わざわざ危険な森で暮らしている生きもの達をバカだと思っています。そして、力の弱いトンビの夫婦をいじめて慰み者にしています。けれども、スカイマスターはこんなロフタスを気に入り、打ち明け話をしたり、一緒に飛び回って遊んだりしています。何故かと言えば、ロフタスが賢くて、優れた飛行能力を持っているからです。鳥獣たちの指導者であり、人格者のように見えるスカイマスターですが、スカイマスターが一番重要視するのは、生きるための能力や強さです。冷笑的で虚栄心も強く、決して人格者とは言えないロフタスですが、そんなことはまるで問題にされません。

 

生きるとは何か。ロフタスがトンビの夫婦を虐げること、人間が生き物を殺すこと、どちらも生きるために仕方なくというのでなく、娯楽のために他の生き物を傷つける行為です。ところが、スカイマスターにとっては、ロフタスの行為は赦されるもので、人間の行為は赦されないものと見なされます。二つの行為の違いは、命を奪うか奪わないかの違いですが、そうすると、殺しさえしなければ何をしても良いものなのだろうか。いや、良い悪いなど関係なくて、現実のありのままがそうだというだけなのか。

 

スカイマスターの存在に意味があると思うのは、現実の畜生道の世界を少しでも変えようとしている所です。とは言え、スカイマスターはこの世界をまるっきり変えようとはしている訳ではなく、生きるために他の生き物を殺すことは大いに結構だとしています。スカイマスターが守ろうとしているラインは、食物連鎖の流れを自然に続けるということだけなのだろうか。その範囲なら何をしても許され、優秀な者や能力の高い者が賛美される世界が望まれるのか。確かに、人間は勝手気ままに生き物を殺すようなことをしていますが、動物たちだって純粋に必死に生きている訳ではなく、ロフタスのように安全圏から他の動物を見下していたり、ユースタスのように面白半分に他の動物をからかっているような者もいます。人間と鳥獣がそこまで本質的に違うように見えなくて、やや腑に落ちない物語でした。