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斉藤洋『ジーク 月のしずく日のしずく』

読書

  

ジーク―月のしずく日のしずく (偕成社ワンダーランド)

ジーク―月のしずく日のしずく (偕成社ワンダーランド)

 

 

舞台は、中世ヨーロッパを思わせる、銀の神の国・ジルバニア。オオカミ猟師として平穏な暮らしを送っていたものの、とあるきっかけで都に向かうことになった隻眼の少年・ジークが、類まれな剣の腕前を武器に、悪しき因習に立ち向かっていく物語です。

 

ファンタジーの世界で、隠された過去をもつ天才剣士が大活躍するという、ロマンあふれる作品でした。久々にこういう物語を読んだので、すらすらと面白く読めました。物語にもっと広がりがありそうで、300ページ足らずだと物足りなく感じるくらいでした。

 

設定に、色々と味がありましたね。例えば、主人公のジークが隻眼という設定だとか、幼馴染のバルが百人隊長に任命される設定とか。ジークは小さい頃から片方の眼が見えず、遠近感が掴めないので弓の稽古に苦労したりするのですが、この隻眼にはちゃんと意味があって、物語の後半から見えない方の眼が重要なキーになっていったりします。けれど、そんなことよりも、隻眼には謎の魅力があるものなので、隻眼という設定だけでもう色気充分、ロマネスクな美意識に浸れます。幼馴染のバルの方は、ジーク程ではないものの剣の腕に優れ、都に出てあっという間に出世し、百人隊長に任命されます。私はローマの時代や中世ヨーロッパの時代にはあまり詳しくないのですが、以前読んだサトクリフの『辺境のオオカミ』でこの辺りの時代が扱われていて、主人公が百人隊長だったので、ここでも同じ言葉が出てきて、おやと思いました。ローマの時代に実際にこういう役職があったらしいですが、ジークの世界はこれを借りているようです。小隊長や中隊長では無く、百人隊長という言葉を選んでくるのが嬉しいですね。ケレン味があると言うか何と言うか。

 

ジルバニアという国の名前に少しかかっていますが、物語の舞台となるこの国は、銀の神の国です。そして、隣国のゴルドニアが金の国・太陽の国であるのに対して、こちらは月の国でもあります。そのためか、物語全体を通じて、どこか影のある暗い雰囲気が漂っているのを感じます。ジークの背負った孤独も、その一因かなと思います。雲隠れの月夜の晩、禁断の秘密を知ってしまい逃亡する兵士たちの姿がプロローグで語られましたが、その場面がずっと尾を引いているような、後ろめたさや陰鬱さが根底に流れているような感覚を、読んでいる間、受けました。

 

と言いつつも、登場人物自体は結構お気楽なものでした。バルは、有頂天になると後先考えずペラペラとジークのことを喋ってしまうお調子者だし、サランも近衛兵とは言え、ジークの養父の忠告を聞かず、褒美をもらいにノコノコと城に帰ろうとして、危うく王から消されかけたようなお祭り男です。ジークの周りには、割とおちゃらけた人物が揃っているのです。ロッカに至っては、神妙に働いているようでその実はもと密売商人という、何とも人を食ったような男。ジルバニア国の威信を背負った銀の騎士は、よくよく見れば曲者揃いでした。

 

面白かったのが、古めかしいファンタジーの世界が舞台にもかかわらず、案外、登場人物が合理的かつ批判的な精神を持ち合わせていた所です。ジークなんかは特にそうで、神との約束のために人を殺すことに反発を感じたり、大魔アーギスなど迷信だと決めつけてしまったり、とかくこの世界の決まり事に突っかかって行きます。これは、ジークが長いこと娑婆っ気のない生活をしていたからそうなのかというと、そうでもなく、百人隊長として体制に染まっているはずのバルも、ジルバニアの国王やゴルドニアの王族も、主要人物はたいてい、因習に黙々と従うのではなく、どこかで疑問や怒りを抱いています。

 

しかし、疑問を抱きつつも、それを口に出したり行動にしたり出来ないのが勤め人の辛さ。心中では葛藤がありますが、国を守るためには神との契約は絶対なのだと、守らなかった場合に起きるかもしれないリスクを慮って、国王は因習を守り続けます。しかも、タチの悪いことに、因習は無意味そうに見えて無意味でない所があり、国王の言うことは筋が通っているし、長く守られてきた決まりにはそれなりの重みがあります。ジークは、そんなことはお構いなしに己の信ずる所に従って行動しましたが、ゴッカルを助けようとした行為が却ってゴッカルのためにならなかったり、迷信だと決めつけていたアーギスが本当に存在したりと、現実を前に信念をことごとく打ち砕かれます。

 

しかし、自分の誤ちに気付かされてもなお、おかしいと思う根本的な所とは、あくまでジークは戦ってゆきます。現実を知って、諦めと共にそれを受け入れていくのではなく、それを克服しようとするのがジークなのです。この物語は、無知から来る蛮勇などでは無く、恐るべき迷信の正体を正視した上で、そこに立ち向かっていくことこそが真の勇気なのだと教えてくれました。