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那須正幹『ぼくらは海へ』

 

ぼくらは海へ (文春文庫)

ぼくらは海へ (文春文庫)

 

 

小学6年生の夏、立ち入り禁止の埋め立て地で筏作りをはじめた5人の男の子たちが、家庭環境や人間関係、そして筏作りという事業そのものにより、無情に翻弄されていく物語です。

 

アーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』を読んだあと、この本を手に取りました。どちらも航海に惹きつけられた子供たちが登場しますが、内容はかけ離れておりました。ランサムの方は、湖畔の別荘で過ごす優雅な船遊びのひと時でしたが、こちらは立ち入り禁止の埋め立て地に集まり、廃材で船を作るという、まるで禁じられた遊びのような趣き。人間関係の重みもあり、読者にも体力が求められる物語です。進学塾に通う子供たちの中に、1人立場の弱い劣等生が加わるという所から、もう嫌な予感がしていましたが、案の定、破滅的な結末が待っていました。

 

この物語を読んで、冒険者の資質について考えさせられました。最初に4人から始まり、あとあと仲間が増えて全部で7人の手で行われた筏作りですが、最後まで残ったのは誠司と邦俊の2人でした。あの7人の中で、わざわざこの2人というのが面白かったです。この2人は、はじめはむしろ嫌な方の部類でした。誠司は、立場の弱い嗣郎に対して辛く当たるなど陰湿で嫌な性格でしたし、邦俊は自分の手を汚さずいつも得なポジションにいるいけすかないタイプでした。最初のメンバーで言えば、陽気で屈託の無い勇とか、卑屈な所はあるけれど一途な嗣郎とか、控え目で優しさのある雅章らの方がよほど良い子で、楽しく遊びが出来る子だったと思います。そして、逞しさや能力の点で言えば、後から加わった康彦や茂男の方がずっと優れていたでしょう。しかし、最後に誠司と邦俊が残ったというのは、すごくしっくりと来て、納得感がありました。最も冒険に相応しくないように見えた2人が、実は最も冒険者の資質があったというのは不思議なようですが、冒険ってそういうものなのかなとも思います。最後の場面、比喩でも何でもなく、まさか本当に航海に乗り出してしまうとは。でも、これはこの2人以外には、例え康彦だろうと絶対出来ないことだなと言うのが、それまでの出来事を見ていると分かるのです。

 

それから、人が何かを成し遂げること、事業というものの本質についても考えさせられました。物語の最初の内は、あまり主人公の子供たちが好きになれなかったです。進学塾に通う子供たちが集まるという点で、まず同じ那須正幹の『ジエンドオブザワールド』を想起させられる所がありましたし、実際、嗣郎に対する他の子供の態度などを見ていて、白々しく感じる所があったからです。ところが、物語が進み、それぞれの家庭環境や葛藤などが明らかになっていくにつれ、次第に欠点ばかりのこの子供たちに肩入れするようになっていきました。やはり、色々嫌なことがありながらも、読者ともども一緒に一つの事業に取り組んでいるという意識が自然とそうさせるのでしょう。康彦や茂男が登場した時には、誠司たち同様に反発を覚えましたね。確かに、知恵や実行力で言えば康彦や茂男は優れているかも知れない。康彦など、能力だけでなく人間的にも優れていて、進学塾組などよりはるかに良い奴でしょう。しかし、船を作ること、航海に乗り出すということになると、最初の5人で無ければならないという気がするのです。

 

康彦や茂男は、ある意味どこへ行ってもそれなりにやっていけるタイプだと思います。康彦は社会が自分に求めるものを良く理解し、しっかりと己の務めを果たしていけるでしょうし、茂男は自分より弱い人間のいる場所に狙いを定め、弱肉強食の論理に忠実に生きていくのでしょう。言わば、この2人は世の中の正論に従い、正論と共に生きていくのだと思います。ところが、大きな事業を成し遂げるということになると、必ずしも正論が味方になってくれるとは限りません。これで無ければならないのだという、自分自身の論理が必要なのだと思います。だからこそ、事業を最後までやり遂げたのは、誠司であり邦俊であり、また嗣郎であったということなのだと思います。

 

もっとも船作りに熱心だった嗣郎は非業の死を遂げてしまいました。誰かのせいではなく、事故による死であることは明らかなのですが、悲しさだけではなく、後ろめたい気持ちや、死の意味を感ぜずにはいられません。なぜ嗣郎は命を落とさなければならなかったのだろうか。家庭環境の問題や、環境の違う者同士が集まってしまったこと、力を持った異分子が加入してきたことなど、遠因になるものは色々と考えられますが、どれも決定的と言える程ではありません。原因を求めるとしたら、一つ一つの出来事の影響が問題なのではなく、もっと大きな見えない力が働いているような気がしてしまいます。

 

船のロープが小さな嗣郎の身体を海中に引きずりこんでしまったように、航海という事業そのものが、強力なパワーで人を否応なく巻き込んでいくような所があるのかなと思います。仮に因果応報の理屈で、嗣郎自身に原因を探るとなると、卑屈な所や手癖の悪さよりも、康彦や茂男に心を動かされ、最初のメンバーを裏切る気持ちが芽生えたことに罪があるような気がしてなりません。そのことを嗣郎自身も直観していて、だからこそ、先行きの怪しくなったこの事業を、何としてでも死守しなければという気持ちに駆り立てられたのだと思います。7人の子供たちを結びつけたのは、筏作りという事業でした。社会の要請でやらなければならない事ではなく、子供たちにとっては自発的・本能的にやりたい思えることであり、とりわけ嗣郎にとっては、人と人とを繋ぐかけがえの無いものでもありました。嗣郎の死や、周りの人間に与えた影響の深さを見ると、何かのために命を捧げられるようになること、それが人を惹きつける事業の力であり、その何かのために生きることが、人間の運命なのかなと感じました。