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吹っ切れて来た

日記

坐禅を続けること数週間。普段の生活に、目に見えて効果が出てきています。姿勢を正しくすること・呼吸を整えることで、身体の動きが折り目正しくなってきて、自然と頭の働きも良くなってきました。今までまとまり無くフワフワとしていた考えが、きちんと筋道の立った堅牢なものになってきた感じです。やはり、精神と肉体は本来直結しているものであって、どちらかに偏ったり、別々に分離させてしまったりしてはいけないのだなと痛感しています。

 

坐禅をしていると、雑念をスルーする力が身についてくるのも良いです。坐禅のやり方を教えてもらった時に印象に残ったのが、浮かび上がってくる雑念を「放っておく」という表現です。脳が働き、感覚が動いている以上、どうしても雑念は浮かんできてしまうものですが、座禅をする時にはそれを考えないようにするのではなく、浮かんだまま放置しておく、というのです。確かに、思考を封印しようとするのでなく、放置するつもりでいる方が、変に気を張らずに自分と向かい合うことが出来ます。雑念は無意識に浮かんでくるものなので、下手に抑えつけずに距離を置いて雑念を観察してみると、自分は今こういうことが気にかかっているのだなと、自分自身を客観的に見つめ直すことも出来ます。

 

最初は、慣れない緊張感のおかげで集中して坐禅が出来ていましたが、慣れてくるとそれも無くなって来るので、却って気持ちに緩みが出てきます。毎日課題が見つかるので、どうすれば解決できるのだろうかと、呼吸を整えながら頭の中で試行錯誤しています。こうして坐禅の時間に試したことが、自然と普段の生活に応用され、少しずつですが、静かに、柔らかく時間を過ごしていけるようになってきた気がしています。

 

十月もそろそろ終わります。十月という月は私にとって、とりわけ苦しい思い出のある季節です。数年前からつけている日記を読み返した時に気付いたのですが、ショックな怒られ方をしたり、断腸の思いで決断をしなければならなかったりと、心に応える出来事が不思議と10月ばかりに重なっているのでした。ただ、気持ちの変化が大きいだけに、それだけ自分を変革させてくれる月でもあります。そういう意味では、今年の十月は大きな出来事こそありませんでしたが、新しい仕事が始まったことで、内面に大きな変化がありました。

 

新しい環境では、無欲で働けるようになりました。はじめは、怒られることも多いです。自分自身では、頭も悪い・見た目も悪い・性格も悪いで、何のプライドを持つ必要があろうかと思っていたのですが、意識ではそう思いつつも無意識では謎のプライドがあったようで、働きはじめはカッと熱くなってしまうことがありました。が、ここまで未熟であったか!と改めて自分に絶望し、今はこれを何とかすることが課題なのだと、狙いを定めて取り組んでいる内に、だんだん受け身をとることが出来るようになってきました。坐禅をはじめたことの効果も大きかったと思います。この仕事自体に興味があった訳ではないので、逆にそれが良かったのかなとも思っています。下手な功名心を出さず、今ある一つ一つの仕事を着実にこなすことに集中する毎日です。

 

そうしている内に、またいつか、やりたかったことをやれる日が来るかもしれないなと思うようになりました。何をやってもダメな時はとことんダメですが、一つでもダメじゃなくなると、他のことも上手くいくような気がするのです。どんな仕事でも仕事は仕事なので、新しい仕事を始めたとか辞めたとか、実はそんな断絶など無いのかもしれない。同じ人間が生きているという地続きの事実があるだけで、どこへ行っても何をやっても、成功と失敗が同じように繰り返されていくだけなのかもしれない。そう考えると、この先何があったとしても、大抵のことが慣れと諦観で何とか凌げるんじゃないかという気になりました。