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イプセン『ペール・ギュント』

 

ペール・ギュント (論創ファンタジー・コレクション)

ペール・ギュント (論創ファンタジー・コレクション)

 

 

理想を追い求める放蕩息子のペール・ギュントが、様々な遍歴を重ねるものの何者にもなることが出来ず、最後には自分を待ち続けた女・ソールヴェイに救われるという物語です。

 

この物語を手にしたきっかけは、ソルヴェイグという競争馬でした。ソルヴェイグはGIIフィリーズレヴューを勝った馬で、名前が知れた頃にはポっと出の良く分からない馬だったのですが、一方で不思議な渋い魅力を感じさせる馬でもありました。何となくこの馬が気になっていた所、桜花賞では惨敗するものの、クラシックシーズンを終えて古馬戦線に出るとあっという間に重賞を勝ってしまい、間もなくGIスプリンターズステークスで3着という素晴らしい成績を残すようになりました。GIで一流の牡馬たちを相手に活躍するところを見て、断然この馬が好きになり、以前から名前が良いなと思っていたことから、名前の由来である「イプセンの戯曲『ペールギュント』に登場する金髪の美少女」について知ろうと思いました。

 

そうして手に取った『ペール・ギュント』ですが、読み始めてみると、思っていたよりも重い話だということが分かりました。事前に調べた知識で、何となく悲しい話なのだと思っていたのですが、泣ける話というのではなくて、罪の意識や身につまされるような教訓を示してくる話でありました。はじめはソルヴェイグ(訳ではソールヴェイ表記)への興味が先でしたが、ソルヴェイグ自身は作中ほとんど登場しないので、興味はもっぱら主人公ペール・ギュントに移り、この愚かな、しかし他人事とも思えぬ主人公の末路がどうなってしまうのか、怖いもの見たさのような気持ちで恐る恐る読んだのでした。

 

ペール・ギュントは、田舎の村に住む若い荒くれものです。父親に甲斐性はなく、ほとんど母親オーセの手ひとつで育てられました。酒に酔うと手の付けられない暴れ者で、度々問題を起こしては母親を悩ませます。結婚の話があったものの先延ばしにし、その内に花嫁に別の相手が決まるとなると、村の結婚式で花嫁をかどわかして逐電します。花嫁のことが好きだったのかと思うとそうでもなく、式場では一目惚れしたソルヴェイグを口説こうとするし、奪ったら奪ったで花嫁もすぐに捨ててしまうし、捨てたと思う間もなく山でトロールの娘たちと乱れるという、節操も何もないひどい有様でした。

 

しかし、母親が亡くなる時には、ペールも様子が違っていました。普段はガミガミとペールをどなりつける母ですが、いよいよという時には、己の手一つでペールを育てて来た苦労を振り返り、ペールへの愛情をしみじみと述懐し、ペールもまたそれに応え、真率な感情を曝け出して涙に暮れます。この場面、ならず者のペールにも、根本には善になれる資質があるのではと感じさせるものでした。

 

ところが、母の死後に場面は一変し、ペールは50歳になっています。時間が一気に飛ぶのです。故郷を飛び出して境遇こそ変わっているものの、ペールは相変わらずの放蕩者です。若い頃には、一面に儚さや美しさも感じられたペールの放蕩も、中年になってはもはや醜いばかりで、とても見ていられません。母親の死を契機に、ペールの自分自身との闘いが始まるのかと思いきや、恐らく色々な葛藤があったであろうその間の人生はバッサリとカットされ、いきなり末路を突き付けるような所が、この物語の怖さだと思います。

 

ペールは国王や学者、占い師など、その時々の思い付きに従って様々なものになろうとします。故郷のノルウェーを発したペールの旅は、モロッコからカイロにまで及んでゆきます。しかし、どんな時にもペールは逃げ道を用意しています。危なくなったら逃げ道を用意して、自分が傷つかないようにしておくのが自分のやり方だと、ペールは語っています。そんな料簡のペールは何者にもなることが出来ず、次第に幻覚や幻聴に脅かされるようになり、ついには故郷に戻ってきます。

 

「おのれ自らである」ことが出来なかったのが、ペールの罪でした。おのれ自らであるということは、自分の思い・言葉・涙・生活を大切にするということです。母親から沢山の物語を聞かされて育ったペールは、空想的で夢を追うばかりになってしまい、おのれ自身が見えなくなっていました。おのれ自らであるといのは、善か悪かとは関係がありません。ペールと対比して描かれるのは、徴兵を逃れるために自分の指を切り落とした臆病な人間の話です。この人物は、戦争に行きたくないという自分の思いに忠実であるために、身体を傷つけることも、臆病者と謗られることも受け止め、思い通りに徴兵を逃れることが出来ました。そして、徴兵を逃れた後には実直に生き、幸福になったと語られています。徴兵は嫌だと思いつつも、徴兵を逃れるためにそこまでは出来ない、自分の身を犠牲にすることは絶対に出来ないというのが、ペールという人間です。ペールに突き付けられるのは、夢に見た何かになることが出来ないというだけでなく、大悪人や大罪人にすらなることが出来ない、どこまで行っても中途半端な存在であるという現実でした。

 

おのれ自らであるために、おのれの身体を犠牲にすること。ペールと対比された男の、徴兵を逃れるために指を切り落とすという、つまり、自分の身体を傷つけるという行為は、かなり重要なことなのではないかと思いました。勿論、指を切り落とすというのは、自分の中の何かを犠牲にするということの比喩だとは思います。しかし、あながち全部が全部比喩とばかりも思えないのです。意識で考えていることは、脆いものだと思っています。逃げ道を残しているとは思っていなくても、意識で考えているだけの場合、無意識では別のことを考えている可能性もあるので、必ずしも考えていることが正しいとは限らないのです。しかし、肉体はそうそう嘘を尽きません。痛い時には痛いし、食べていなければ腹が減る、だからこそ、痛みを乗り超えた思いというのは、本物だと思えるのです。昔、誓いを立てる時に、血を流して判を押したりすることがありましたが、これは、血を流すのでなければいけない理由があったからなのでしょう。心にも肉体にも不退転の決意を叩き込むというのは、それだけ意義のあることなのだと思います。

 

この物語が、100年以上も前に書かれていたということが驚きでした。作者が意図したような形かどうかは分かりませんが、「おのれ自身であれ」というテーマは、現代の人にとっても切実な問題なのではないかと思います。