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連休中の修行

3連休中、ふと思いついて断食をしてみました。普段あまり食べる方ではないので、一日食べなくても、お腹が空くのはそれほど苦にはならなかったので、意外と断食って大したことは無いのだなと思いました。

 

しかし、そう思ったのも束の間、一日が終わる頃に頭痛が始まり、眠れば何とかなるだろうと思うものの激しい頭痛と腹痛でとても眠られず、これはまずいと思い慌てて食べ物を口にし、それで頭痛は少し収まったのですが、今度は吐き気がこみ上げてきて眠るどころではなく、結局全部吐いて、ヘトヘトになりながら、ようやく床に就くことが出来ました。とにかく、空腹感よりも、食べ物が入らないことに対して起きる身体の異常反応が苦しかったです。苦しさのあまり部屋中をのたうち回りました。しかし、思いっきり苦しんで、吐いて楽になって、収まった後には、悪いモノが全部抜けていったような充実感が得られました。

 

断食の翌日は、一転して思いっきり食べました。朝は近くの喫茶店でハチミツをかけたイギリスパンのトーストを平らげ、昼には高架下のイタリア料理屋でたらこスパゲッティを食し、夕食にはマクドナルドでハンバーガーやフライドポテトをたらふく食べ、最後に夜食の肉そばで一日を締めました。いやあ、美味しかった。一日食べていないので、これでもまだ足りないくらいです。断食後にわかる、食の有り難さ。食べるって、何て幸せなのだろう! この幸福感のために断食をするのもアリだと思いました。

 

連休の最終日には、近くの禅寺で座禅をしてきました。最近、脳の働かせ方や呼吸の使い方のコツを覚えてからというもの、薩摩のいろは歌を唱えながら瞑想するということを毎日しているのですが、この集中は禅に通じるのではないかと思い、ぜひ挑戦しようと思い立ったのです。

 

禅寺はとても緊張します。座禅の会には座禅以外にも会の流れがあるので、初心者には一通りの作法を教えてくれます。そう沢山覚えることがある訳でもないのですが、いざ始まると周りの人についていくのが精一杯で、ついオロオロしてしまいがち。座禅は25分を2セットやりました。その後に、住職からの講話が45分間ありました。

 

警策で叩かれるのはどんなものだろう、と覚悟していたのですが、今のご時世問答無用でバシバシ叩くことはなく、自主的に合図を送ってきた人だけを叩くようにしているそうです。集中力が欠けて来た人、眠くなって来た人は、合図をしてくれれば、叩いて気持ちを切り替えさせますよ、とのことでした。しかし、警策の音はかなり響くので、誰かが叩かれると確実に周りの人も集中を立て直せます。

 

50分間の禅は、長いようで意外と早く終わりました。瞑想とも通じるものがあるので、崩れそうになることはあったもののその度にうまく立て直し、(自己判断ですが)幸いにして警策の助けは無しに50分を終えることが出来ました。座禅が終わった後の、脳がジンワリと温かくなったような感覚……これはちょっと、世界が違うなと思いました。今まで散々苦しめられてきた雑念や嫌な記憶などを、全く寄せ付けないような強さが漲り、かと言って、過集中でハイになった時のような危うさもなく、泰然自若のエネルギーが宿ったような気になれます。

 

神経症や注意散漫などに、禅はかなりの効果があるのではないかと思えました。最近つくづく思うのが、集中にはコツがいるということです。努力しようと思っても出来ないことがあるのは、集中の勘が掴めていないからだと思うのです。禅をやってみると、その時間は集中力を鍛えるためだけの時間に出来るので、どうすれば集中できるのか、試行錯誤している内に、身体がだんだんやり方を覚えてくれます。瞑想にも同じような効果があると思うのですが、座禅の会で人が大勢いると緊張感もありますし、独りではなく社会との繋がりの中で鍛えられるのが良いなと思いました。これから、ちょっと禅に取り組んでみたいと思います。