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リンドグレーン『さすらいの孤児ラスムス』

読書

 

さすらいの孤児ラスムス (岩波少年文庫)

さすらいの孤児ラスムス (岩波少年文庫)

 

 

孤児院を脱走した小さなラスムスが、偶然出会った浮浪者のオスカルについていき、さすらいの旅を続けていく物語です。

 

この物語は、寂しいラスムスの心理がとても細やかに描かれていて、思わずラスムスに肩入れするように読んでしまいました。まず、ヒョーク先生に対する愛憎入り混じった複雑な感情について。孤児院をとりしまる厳格なヒョーク先生は、みんなから恐れられる存在で、ラスムスもヒョーク先生のことを嫌がっています。物語の冒頭は、ラスムスが「世の中になくてもよいもの」をお題に思いつくことを列挙していくという、いきなり内面の闇を感じさせる出だしになっているのですが、この「なくてもよいもの」の中にヒョーク先生の名前も挙げられたりしています。どれだけ、ラスムスが先生を嫌っているかが分かります。しかし、一方で、かつてラスムスが耳を痛めた時、ヒョーク先生になでてもらったり、優しく歌を歌ってもらったりした体験が忘れられず、またそういう風に扱ってほしいという憧れも抱えています。孤児院を脱走する時には、先生がもっと優しくしてくれたら、こんなことをしなかったんだと恨みを残しながら去っていきます。自分がこんな風になってしまったのは貴方のせい。恨みの形になってしまっているけれども、こういう感情は、根底によほど相手に対する強い信頼や愛慕が無ければ、出てくるものではないと思います。

 

それから、孤児院を脱走する時のラスムスの心情について。もともと、孤児院に居ても自分を引き取ってくれる里親は現れないと、現状に不満を抱えていたラスムスですが、脱走の直接の動機は、ヒョーク先生にムチでおしおきを受けるのが怖かったからでした。他の子供たちは、ムチで打たれるのを別段怖がっている様子はないのですが、ラスムスはこれが怖くて仕方が無く、これからムチで打たれるのだという未来を前に、身も世もなく絶望します。しかし、おしおきが怖くて脱走するというのは恥ずかしいので、ここにいても里親は見つからないから出ていくのだと、大義名分を拵えたり、こうなったのは先生のせいだと、先生に責任を押し付けるなど、あれこれと理由を作って孤児院脱出を敢行します。

 

臆病な人間は、他の人が屁とも思わないような小さなことを恐れるあまり、却ってより大きな危険に飛び込んでしまうことがあります。身の回りに恐れるものが多すぎるため、想像もできない恐怖についてはむしろ鈍感になってしまい、他人から見たら非常に大胆なことを敢えてやってしまうのです。生まれ育った孤児院を出ることや、ヒョーク先生やグンナルに二度と会えなくなるという事実を前に、ラスムスは戦慄し、悲しみに打ち震えます。しかし、ムチで打たれる怖さにはどうしても逆らうことが出来ず、取り返しのつかないことをしていると知りながらも、泣く泣く孤児院を出ていきます。後には強盗相手に英雄的な活躍をするラスムスですが、やはり根はとても繊細で、人一倍感受性の強い子供だったのだと思います。

 

私は、ちょうどこの頃会社を辞めて転職した所だったのですが、愛憎や恐怖など、ちょっとラスムスの心情と重なる部分もあったので、思いっきり感情移入して読むことが出来ました。

 

脱出の夜、ラスムスは危うくヒョーク先生に見つかりかけます。しかし、考え事をしていたヒョーク先生は、ラスムスに気が付くことが出来ず、見逃してしまいました。この場面のギリギリ具合は何とも言えず、ラスムスはこのまま去ってしまうのだろうなと思いつつも、何とかヒョーク先生が見つけてくれないか、ラスムスが取り返しのつかないことになる前に、ヒョーク先生がガミガミ言いながらも助けてくれないだろうかと、願うようにして読んでしまいました。ラスムス自身も、心の奥底では見つけてほしいと思っていたかもしれません。けれども、不器用なラスムスの愛慕が先生にうまく伝わらなかったのと同じように、怯えながら孤児院を出ていくラスムスの姿は先生の目に留まることは無く、2人の思いはすれ違ったまま、哀れな孤児は先生のもとからこぼれていってしまったのでした。

 

生まれ故郷を捨てて、これから頼る当てもなく、孤独の寂しさと罪の意識に突き刺されながら過ごす夜の世界は、どれほど恐ろしいものだったことでしょう。野原で一夜を明かしたラスムスが出会ったのが、浮浪者のオスカルです。オスカルは、陽気で屈託がなく、子供にやさしい、魅力あふれる人間でした。はじめは怪しく思ったものの、純朴なオスカルの人柄に自然と信頼を抱いたラスムスは、この風来坊についていくことに決めます。

 

オスカルみたいな存在が世の中のどこかに居てくれるというのは、とても有り難いことだと思います。天涯孤独のラスムスが孤児院を抜け出した時、最初に出会ったのがオスカルだったので、ラスムスは幸福になることが出来ました。結果的にそうだった、とばかりも言えません。もしラスムスが孤児院に連れ戻されていたとしたら、ちぢれ毛の女の子ばかりが人気の孤児院で、ラスムスにはその先もずっと里親が見つからず、愛情不足を抱えたまま育っていかざるを得なかったかもしれません。あるいは、もしラスムスが出会ったのがリーヴやリアンデルのような悪人だったとしたら、身より便りのない小さな子供が、どんな目に遭っていたかはわからなかったでしょう。オスカルは、優しく陽気にラスムスを受け止めてくれました。そして、子供と同じ目線にたって、一緒に旅をしたり、芸をしたり、歌を作ったりしてくれました。ヒョーク先生には出来なかったような愛情の表現を、ラスムスが次第に出来るようになっていくのを見るにつけ、オスカルという存在が、崖から落ちた子供を助けるライ麦畑の番人のように見えてきました。

 

ヘードベルィ夫人の家を訪れた時、夫人が恐怖の表情を浮かべていて、カーテンの下から黒靴が覗いているという趣向は面白かったです。のんびりした話かと思いきや、そこから事態は急転直下します。牧歌的な放浪の旅は、強盗を相手にとったスリル満点の冒険に変わり、温厚なオスカルさえも怒りまくって、ヘードベルィ夫人の家をめぐる事件は目まぐるしく展開していきます。賢いラスムスは、孤児院で身につけたイタズラの技術を活かしたりして、大活躍します。

 

大冒険の後、ラスムスはいったんはニルソンさんの所に引き取られることになりましたが、オスカルへの思慕はやまず、再び放浪の旅に出ます。ところが、オスカルには実は家庭があったことが分かり、ぜひとも針毛の男の子がほしいというオスカル夫妻の願いで、ついにラスムスは自分の居場所を見つけることが出来ました。読者としても、急に現れたニルソンさんにやや面食らっていた所なので、ラスムスが本当に好きなオスカルと暮らせる形が見つかってスッキリしました。オスカルの陽気さは、いざとなったら帰る場所があるからだったんだと、ちょっと種明かしをされたような気持ちにはなりましたが。ニルソンさんの家にはグンナルが引き取られることになり、オスカルとラスムスは一緒に定住することになって、登場人物たちのその後の幸福が見える形で物語は終わってゆきます。これなら、しばらくしたあとで、ヒョーク先生とも違った気持ちで再会できるかもしれない、と思えました。