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勤務初日の感想

日記

新しい会社に勤め始めました。といっても、以前働いたことのある所なので、目新しさもなく、特に気負いもなくスタートしてゆきました。休み明けではありましたが、働きたい気持ちの方が強かったので、その点は苦労しませんでした。

 

勤務初日が始まってみると、とても微妙な気持ちが芽生えてきました。人間関係は特に問題は無さそうです。業務内容も予め分かっていることです。しかし、問題は「気持ち」が入らないこと、です。正直な所、この仕事がやりたくて始めた訳では無かったので、それが今になって重く響いてきてしまいました。

 

前の会社を辞めたのは、人間関係が原因でした。前の会社が良くなかったというよりかは、自分の今までの人生の人間関係全てが、原因でした。私は物心ついてからこれまで、人との関わりがどうしてもうまくゆかず、色々なことを試したけど何をやってもダメで、一度として自分の居場所が見つからなかったので、感じることは苦しみばかり、怒りや憎しみが常に心にわだかまっている状態でした。それでも、仕事の方は頑張って、それなりに成果も出ていたものですから、それで何とか自分を誤魔化しながら生きていました。しかし、いつまで経っても自己肯定にはつながらず、自分のやったことにも自分で手応えを感じられないまま、ただただ時間が過ぎてゆくばかりだったので、いくら仕事を頑張ってみた所で何も変わらない、人間関係を築くことが出来ない自分は、そもそも何をやってもダメだったのだと絶望していました。

 

それで、或る時に、根本的に自分の生き方を変えようと思いました。自分のやりたいことをやろうとして、自分も苦しめたり他人に迷惑をかけたりするよりかは、自分が出来ること・自分が何とかやっていけそうな環境で、生きる目標を見つけていかなければと思ったのです。

 

仕事を辞める時には、大きな気持ちの変化がありました。やりたかったことが、自分を縛っていた面も大きかったことに気付くことが出来ましたし、現状に苦しみを抱えつつも、どこかでレールから外れるのを恐れていた自分にも気付くことが出来ました。また、決して前の会社が悪かった訳では無いのですが、改めて問題点を整理してみて、自分ばかりがダメというよりかは、ちょっと合わなかった部分もあったのだと、良い面も悪い面も含めて一歩引いて見つめなおすことが出来ました。

 

そうして、辞めた直後は一応、大きな前進をしたつもりでいたのですが、少し長めの休養期間をとっている内に、段々考え方が変わってきました。今まで自分は、強迫観念がとても強かったので、一時も気を休めることが出来ず、それが仕事の成果に結びつくこともあったのですが、視野が狭くなって失敗してしまったり、ストレスを過度に溜めてしまうことも良くありました。休みの時に、そういうのが良くないのだと気付いて、気の向くままにやりたいことをやったり、本を読んだり、旅行に行ったりしました。最初はなかなか、心から楽しむことが出来なかったのですが、段々自由に振る舞えるようになってきました。

 

それから、どうしてもチグハグになってしまっていた心と身体の動きが、段々と一致するようになってきました。これは、以前から問題意識を持っていたことで、何とかならないかと試行錯誤してきたことなのですが、ちょっとしたコツを見つけたことで、解決の糸口が見えて来たのです。頭が真っ白になりそうな時や、動悸が激しくなってパニックになった時、気持ちで何とかしようとするのではなく、脳の働かし方や呼吸の整え方など、身体の使い方を工夫すると平常心を保てることが分かりました。もう、劇的な効果と言って良く、コツを掴んでからというもの、毎日、訓練しています。もしかしたら、これが禅というものなのか!?と、予期せぬ発見にちょっと感動しています。

 

そんなことをしている内に、今までどうやっても拭い去ることの出来なかった、人と接した時の恐怖感や、頭の中を常に覆い続けていた嫌な記憶から、自分を解放させることも出来るようになってきました。人並みに上手くやっていくにはまだ程遠いですが、こういう感覚で人と接すれば良いのか、とか、こういう感覚で目の前のことに集中すれば良いのか、といったことが分かるようになってきたのです。言葉で表すのが難しいのですが、気を付けるべき所と、いい加減にしてもよい所との、使い分けが見えるようになったという感じです。人間関係は、完璧にこなしているから成立するという訳ではなくて、気を遣うべき所といい加減な所とを適切に使いこなしているから、成立するものなのですよね……。当たり前のことかもしれませんが、それが出来ないので、過度に気を遣いすぎたり、逆に過度にいい加減になったりして、人間関係はどこへ行っても地獄でした。どうして良いか分からないので、人が怖くて仕方がなかった。今は、以前よりも他人が怖くなくなりました。

 

休みの期間中、私が尊敬している方から本を頂くことがあり、沢山の良い本に出会うことが出来ました。『蠅の王』から『ピアニャン』まで、さまざまな種類の、今まで出会えなかったような本も読むことが出来て、とても濃厚な読書体験を得ることが出来ました。これも、自分を成長へ向かわせてくれた大切な体験の一つです。そう言えば最近、物語に触れる機会が殆どなかった……と振り返ったりしながら、新鮮な気持ちで感想文を書いているうちに、世の中には本当に、色々な人の、色々な物語があるのだなとつくづく思いました。嬉しいこともあれば悲しいこともあり、失敗もあるけど成長もある。それでも、どんな物語であれ、己の物語を生きている人というのは、魅力があります。自分には物語と呼べるものがあっただろうか……?

 

夢が無くなることの喪失感を改めて知りました。辞める時には、こうせざるを得ないと思って決めたことなのですが、結局それも、心を病んで、自分には他の可能性は無いと追い詰められた状態で決めたことなので、何だか良かったのか悪かったのか分からなくなってきました。辞めるのは良かったとしても、その後の身の振り方については、もう少し時間を置いて考えても良かったかもしれない。少なくとも、自分が病んでいるということをもっと深刻に考えて、しっかり休む意識を持つべきでした。四六時中頭の中を嫌な思考がグルグル回り続けていたという異常な状態を考えると、半年ぐらい休むとか、それぐらいしても良かったのかもしれませんし、今にして思えば、それが出来ない余裕のなさや焦りの感覚が、諸悪の根源だったのだと思います。続けるか辞めるかの両極端でなく、休みたいとか、異動させてほしいとか、そういう主張もしても良かったのだし、もっと誰かに頼ったり、嫌なことは嫌と言ったり、時にはずうずうしくしても良かった。それもこれも、思い切って行動を起こした後だからこそ思えることで、渦中でじっと耐えているままの時にはそんな気持ちにはなれませんでした。

 

しかし、ここで絶望を感じているようだと以前と何も変わらないので、ひとまずは気楽にやっていこうと思います。苦しみから逃れる糸口を見つけたとは言え、まだまだ何をやってもダメという状態にあると自覚しているので、今は焦る時ではないと思い返しました。気持ちは楽になってきているとは言え、他人に対する恐怖感が無いと、何だか酷く相手を侮っているような気がするし、強迫観念が頭にないと、怠けているような感覚になったりと、まだまだズレが抜けないのですよね……。数カ月前には思いもよらなかった心境になっているし、今この状態が全てな訳ではなく、この先もまた何があるかわかりません。とりあえず今は勉強しなければいけないこともあることだし、当面は「無」の状態になって、目の前のことに取り組んでいこうと思います。