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メアリー・ノートン『床下の小人たち』

 

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

 

 

もってるものはなんでも借りたもので、じぶんたちのものっていうのはないんだね。なにもないのさ。それでも、おとうとの話だと、みんな、おこりっぽくて、うぬぼれやで、この世界はじぶんたちのものだと思っているんだよ

 

つまり、人間ってものは、つまらない雑用をするために、つくられたものだと思ってるんだね――どれいの役をする大男だっていうことさ。すくなくとも、お互いに話をするときは、そういってるんだね。だけど、内心ではこわがっているんだって、おとうとがいっていたよ。おとうとの考えだと、こわがっているんで、そんなにちいさくなってしまったんだっていうわけなのさ。

 

小人のアリエッティと家族たち、そして「借り暮らし」の家の男の子の、小さな冒険の物語です。とても寓意の濃い物語で、小人という存在のたとえは、現実世界の色々な人や職業に当てはめてみることが出来そうです。

 

人間たちを恐れ、人間に見つかったらおしまいだと思う小人たちですが、いざ男の子に見つかってみると、男の子は味方でした。手紙の往復を頼まれてくれたり、人形の家具を持ってきてくれたり、至れり尽くせりの面倒を見てくれます。一方で、ドライヴァおばさんにはそんな了見は全くなく、警察を呼んだりネズミ捕り屋を呼んだりして、小人たちを退治しようとします。小人たちが恐れていた程には人間は怖くは無かったのですが、そうかといって皆が皆怖くないという訳ではありません。良いか悪いかという点では、人間かどうかという属性は本質的ではなく、同じ人間でも個々によって違います。

 

しかし、人間の力の前では小人は全く歯が立たず、悪い人間に見つかってしまった時には成す術もなくなってしまうので、やはり小人は人間の目を避けざるを得ないのかもしれません。本質は人間かどうかとは関わりが無かったとしても、本質を見極められなかった時の小人にとっての危険はあまりにも大きく、そう簡単に小人と人間が付き合うことは出来ないのです。距離をとってお互いが生きていくのは、アリエッティの両親がそうと決めていたように、小人が生き延びるためには必要なことだったのでしょう。「自分より力の強いもの」との関わり方はとても難しく、上手く関わっていこうと思ったら、本質を見極める力が不可欠なように思います。

 

アリエッティの焦燥感は、とても生々しいと思います。家族だけの生活に飽き飽きとしていたアリエッティは、外の世界に出てみたり、同じ小人たちと連絡を取り合ってみたいと思います。そして、人間が沢山いるなんてあり得ないと思っていたのに、男の子の話によれば、小人たちよりもずっと沢山の人間が外の世界には生きていて、想像も出来ない広い世界が存在しているのだと知ってしまいます。世界の広さと、それに対する自分たちの卑小さ。知らなければそれで済んだものを、知ってしまったがゆえに、好奇心は抑えられなくなってしまって、自分たちの種族を救いたいという使命感も手伝って、アリエッティは男の子と深く交渉します。それが因果となって、小人たちの存在は家人の知る所となり、移住を余儀なくされてしまいます。

 

一応、ドライヴァおばさんの魔手を逃れることが出来たアリエッティたちですが、野に放たれた後にどうなったかは、この物語では曖昧なままです。「小人シリーズ」の続編では、家を出た後の、受難の逃避行が語られるとのことです。

 

好奇心や焦燥と、どうやって付き合ったら良いのでしょうね。いくら危険なことだと分かっていても、好奇心の誘惑には抗いがたく、身をもって痛みを知るまでは、人間は何度も同じ過ちを犯してしまう。小さなことから大きなことまで万事そんな風で、犯罪に手を染めたり、薬物に手を出したりするのも、同じような話ですね。そうかと思えば、一方では好奇心を奨励するような言葉も世の中には沢山あり、それはそれで正しい理屈のあるものだから、決して好奇心が悪いものとも言えません。生きることって本当に、ただ言葉を理解するだけでは足りなくて、研ぎ澄まされた平衡感覚が無ければ渡り歩いていけないものなのだなと、つくづく思いました。

 

アリエッティの手紙が無事に届けられるだろうか、返事が返ってくるかどうかという所はとてもワクワクしましたし、男の子との関わりに、「黄金時代」のように世界が拓けていく楽しさがあったのは確かです。しかし、結末を見るに、どうもアリエッティのしたことが正しかったようには見えないし、そもそも小人という存在からして諷刺がキツくて、読み終わった後に色々と消化しきれないものが残る物語でした。