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大岡昇平『野火』

読書

 

野火 (新潮文庫)

野火 (新潮文庫)

 

 

太平洋戦争中、フィリピン戦線で落伍した日本軍の兵士が、放浪の末に米軍の捕虜になるまでの、凄絶なサバイバル体験を記録した物語です。この作品を読む前に、同じく戦争を扱った大岡昇平『俘虜記』を読んでおりましたが、あちらは実録風・私小説風で、「俘虜の生活とはどんなものなのだろう」と言う好奇心を楽しませてくれる作品であり、『野火』の方は創作として作り込まれている感じがあって、筋書きの面白さで惹きつけてくれる作品でした。

 

200ページに満たない長さの作品なのですが、章は40近くもあり、細かく分割された各章には簡単な章題がついています。章題には、「川」「夢」「同胞」など、その章で起きる出来事のキーワードとなる言葉が付けられているのですが、物語の雰囲気的に明るい結末にはならないだろうと予測はつくので、キーワードの一つ一つが、不吉な未来を暗示していたり、罪や悪徳を象徴しているようで、毎章毎章不安を感じさせられます。キーワードが積み重ねられていく毎に、破滅への道筋が完成していっているような怖さもあって、サスペンスを読んでいるようにハラハラさせられました。

 

『蠅の王』という物語を読んだとき、文明の中で育った子供たちの理性が段々と剥がれてゆき、獣性がむき出しになってしまう過程がとても恐ろしかったのを覚えていますが、この物語でも同じような怖さがありました。はじめのうちは、落伍した兵士たちの間でタバコと食糧の交換が行われたりしていました。物々交換という形ではありましたが、互いの合意に基づいた経済活動が出来ていましたし、安田と永松との会話なども、出会ったばかりの頃はまだまだ呑気なものでした。それが、簡単なルール違反をするところから始まって、徐々に徐々にと行動の箍が外れていき、強奪・同胞殺し・食人へとエスカレートしていきます。放浪の主人公が、久々に安田・永松と再会した時の嫌な予感は、忘れられません。そこには同胞に再会した喜びなどは全くなく、理性の崩壊しつつある状況で出会ってしまったことの取り返しのつかなさ、そして、その後に待ち構える悲劇が避けられないものであるという確信だけがありました。禁忌を犯すことそれ自体よりも、文明の力で保たれていた人間の理性が、ここまで崩れ得るのだということに怖さを感じました。

 

主人公のサバイバル生活の中で、印象に残ったのが、蛭を食べるというところです。主人公は、自分の血を吸ってまるまると太った蛭を、身体から剥がしては口に運んで食します。落伍兵のこととて食糧には常に事欠いており、この手のイカモノ食いはさして珍しくもないのですが、野草を漁るのにはちょっと抵抗を感じるものの、蛭を食べるのは何だか美味そうな気がしてしまいました。何となく烏賊とか海鼠とかと同じようなイメージで考えると、柔らかい肉にツルっとした食感で、まんざらゲテモノでも無いのでは……と思ってしまいました。でも、血をたっぷり吸っているとのことだから、やはり鉄の味がするのだろうか……。

 

食うものに困り果てた挙句、辿り着くのが食人というタブーです。主人公は、結果的にこのタブーを犯してしまったものの、それまでは食人の誘惑に対して意識的・無意識的に精一杯抵抗しようとしていました。しかし、ここで個人的に感じたのが、殺人と食人を分けるものは何なのだろう?という疑問でした。食人という、最後にして最大のタブーをめぐって主人公は激しく葛藤するのですが、一方で、それ以前に犯した殺人、すなわち、罪のない、殺す必要のないフィリピン人を殺してしまったことについては、それ程思い悩んでいるのでもないように見受けられました。勿論、殺人を犯したことに主人公は罪の意識を感じてはいるのですが、食人の時にはあれほど揺蕩い、抵抗したにも関わらず、殺人の時には迷いは殆どありませんでした。食人の時には無意識に右手を止めた左手も、殺人の時には沈黙しており、無意識による強いブレーキが働いていなかったことが伺えます。殺人が軽いことかと言えば無論そんなことは無いはずで、無辜の民を手にかけるというのも、理性を破壊してしまう極めて重い行為には違いありません。自分の感覚からすると、食人がダメなら殺人だってダメだと思うし、逆に殺人が平気になってしまったら、食人だって平気になってしまうのでは無いだろうかと、思えてしまうのです。 戦争だから、人を殺さなくては生きてゆかれないし、食糧難だから、食べられるものは何でも食べる。人殺しとゲテモノ食い、この2つの条件は既に満たしてしまっているのに、2つの条件を組み合わせた食人については、何故これほどまでに深刻になるのだろう。どうも、想像でしか推し量れない領域が深くなりすぎて、この問題について、とても咀嚼仕切れない、というのが正直な感想でした。

 

「戦争を知らない人間は、半分は子どもである」。この言葉が、強烈に心に響きます。人はそれぞれ持って生まれた感受性が違うので、どんな体験であっても、体験そのものに重みがある訳ではないと思っていますが、こと戦争という体験に関しては、例外であり、別格であるような気がします。生きるか死ぬかという問題に、個人の事情に関わりなく巻き込まれて行くということが、どれ程途方も無い理不尽なことであるか、体験していない人間は軽軽に語ることは出来ません。とりわけ、この作品に関しては、戦争という体験を超えて、食人というタブーにまで踏み込んでいます。とても、難しい作品だと思います。しかし、この物語の最後に「神に栄えあれ」という言葉が出てきたことから、宗教に対する見方が少し変わりました。これほど凄絶な体験を経て精神病院に収容された後、思い起こされるのが神の存在ということは、宗教には自分が知り得る範囲を遥かに超えた、計り知れない大きな救済の力があるのかもしれないと、察することが出来ました。