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ディック・キング=スミス『子ブタ シープピッグ』

 

子ブタ シープピッグ (評論社の児童図書館・文学の部屋)

子ブタ シープピッグ (評論社の児童図書館・文学の部屋)

 

子ブタのベイブが、シープドッグ(牧羊犬)ならぬシープピッグとなって大活躍する物語。

 

『蠅の王』のピギー、『動物農場』のナポレオンと同様、賢いブタが登場します。ピギーはやや勇敢さに欠け、ナポレオンは悪党でしたが、ベイブは勇敢かつ善良な理想的なブタです。イギリス文学だと、ブタ=賢いというイメージ定着しているのですかね。

 

日本語のニュアンスだと余りそういうイメージを感じないせいか、「すわれ、ブタ」というボスの命令がものすごくキツい言葉に聞こえてしまうのは私だけでしょうか……。ブタはブタに違いないので、それに命令形をつけて、「すわれ、ブタ」というのは、文法的意味的に何も間違ってはいないのですが。

 

ベイヴが牧場に来た時に温かく迎えてくれた、良い人そうに見える母犬のフライが、ヒツジは馬鹿で言葉も通じないと、当たり前のように言い放った所でドキリとしました。この物語は、牧羊犬とヒツジの間のすれ違いを、ベイブが解決していくお話しでもあります。

 

犬とヒツジの間で、コミュニケーションは全く行われていませんでした。ベイブが牧羊犬の大会に出たとき、その場で初めて会うヒツジ達も同じようなことを言っていたので、ベイブの牧場だけでなく、牧羊犬とヒツジとの間はどこでも断絶されていたようです。コミュニケーションが成り立たなくなる原因は色々あると思いますが、「テンポの違い」は結構大きい要素なのかなと思いました。犬は簡潔に話し、要領よくテキパキ動きますが、ヒツジたちはいつもマイペースで、動作も緩慢です。テンポの違いから生じるタイミングのズレで、犬はヒツジと言葉が通じないと決めつけてしまい、機械的にヒツジを従わせようとします。

 

コミュニケーションが成り立たない時、どうしても力の強い方が勝ってしまうので、この断絶を埋められなければ、ただ支配するものとされる者という、残酷な関係だけが残されてしまいます。ボスのホギットさんと奥さんのように、テンポが違っても上手くいっている場合もあります。ホギットさんは必要なことを手短に話す一方、奥さんは饒舌に言葉をまくしたてますが、お互いにお互いを尊重し合っているので、コミュニケーションは成り立っています。しかし、牧羊犬とヒツジとの間には、軽蔑と嫌悪の感情しかなく、ヒツジが言う事に従おうとしなかった時、犬は暴力によって解決するのが習慣になってしまっていました。

 

犬とヒツジの比喩が、人間にあてはまることも多いです。主観と主観が対立した時、相手の言葉に耳を傾ける姿勢をお互いが持っていないと、上下関係で上の者が勝ってしまうだけになってしまいます。主観ではなく客観を示したとしても、理解出来ないことを力で何とかしようとする人間も多くて、力で解決することが決断力の証と、誤解してしまっている人も多く見られます。

 

分からないことを分からないと言えない、何でも説明を付けたがる才子肌の人が陥りがちなのが、理解不能な現実に遭遇した時、自分の世界像の方で現実をねじ伏せてしまうことです。ああ、今思考が止まったな、暴力モードに突入したな、というのは大体分かるのです。そこから先の言葉には実が無くて、そんな虚言では、聴いている方も納得出来ません。こういう時に厄介なのは、暴力によって一応その場は解決出来てしまうという点です。牧羊犬とヒツジの間だって、コミュニケーションが成り立っていなくても、一応放牧は出来ていました。そのために、かえって現状が正しいということになってしまっていました。しかし、物事をより上手く進めたり、社会をより良くしていくためには、ベイブが必要です。

 

ヒツジ達を従わせ、言うことを聴かせる技術を研いてスポーツをやってきた牧羊犬たちよりも、優秀な成績を収めたのは、ヒツジと対話し、一致団結して目的へ向かっていったベイブの方でした。真の勇気、真の賢さというのはこういうものなのだなと、ベイブは教えてくれました。