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マージェリー・シャープ『ミス・ビアンカ ひみつの塔の冒険』

 

ミス・ビアンカ ひみつの塔の冒険 (岩波少年文庫)
 

 

慈愛の心に満ちたネズミのミス・ビアンカが、改心した囚人・マンドレークを幽閉された塔から救うため、周りの猛反対を振り切って、脱出作戦を敢行する物語です。

 

囚人のマンドレークは、もう名前からして仰々しい悪人です。かつて「ミス・ビアンカ」シリーズの他の作品で登場した悪役らしく、登場人物が口を揃えて、あんな悪人は他にいないと非難します。ビアンカもこの人物を憎んでいますが、ふとしたきっかけでマンドレークに改心の兆しがあることを知り、なんとか塔の中から逃がしてやろうと四苦八苦します。いかに慈悲深い人であるとは言え、ミス・ビアンカ、随分と大胆なことをやるものだと思いました。私は「ミス・ビアンカ」の他の作品を読んだことが無いので、マンドレークの悪行がどんなものなのかは詳細に分からないのですが、どうやら孤児達をひどく苦しめていたらしく、その評判の悪さたるや相当なものがあります。「囚人友の会」という、囚人に対してかなり同情的な会のネズミたちですら、誰一人マンドレークの救出に同意しないぐらいですから、改心の余地などあるはずがない、どうしようもない危険な悪党というのが世間の見方だったのです。そんなマンドレークを助けようというのが、この物語の趣向です。

 

ビアンカの行為には、ひょっとしたら賛否両論あるかもしれません。塔の外に逃がしてやるまで、実はマンドレークが本当に改心したかどうかは分からなくて、なんとビアンカ自身にも確信がありませんでした。でも、本当に改心の気持ちを持っていたとしたら、幽閉されたまま贖罪の機会を逃してしまうのは可哀想だというのが、ビアンカがマンドレークを助けた理由でした。結果的に、マンドレークは改心していたので、助けた意味は大いにありました。めでたしめでたしで、物語を終えることが出来ました。しかし、これだけ悪名高い人物のことですから、そう簡単には変わるのは難しいでしょうし、マンドレークがビアンカの前で漏らした言葉に嘘偽りがあったとしてもおかしくありません。むしろ、それまでの経緯を振り返れば、嘘を言っているに違いないと考えるのが普通でしょう。マンドレークが悪人のままだったとしたら、マンドレークを塔から出すのは檻に入った虎を野に放ってしまうようなもので、また昔のように被害に遭う子供が出て来てしまうかもしれません。見方によっては、ビアンカの行為は危険な賭けでもありました。

 

しかし、ビアンカは、改心していた場合のメリットとそうでなかった場合のデメリットを天秤にかけるようなことはしませんでした。ただ、自ら塔の中へ乗り込んで行き、マンドレークの肉声を聴いて、自分の目と耳でその人を確かめてから、これは大丈夫だと判断しました。そして、孤児院で働きたいというマンドレークの言葉を受けて、マンドレークの働きによって救われる孤児たちの未来を観ていたのでした。

 

罪を憎んで人を憎まず、という言葉がありますが、実際に行うのは大変に難しいことです。罪を憎むときには人もろとも憎んでしまいがちだし、人を憎みたくないと思うと、どうしても罪の方をなあなあにしてしまいがちです。犯した罪は厳しく罰する一方で、人を救うという心を忘れない。それが出来るのが理想なのですが、いざ目の前の複雑な人間模様を前にしてしまうと、腹の立つことをされると相手の人格まで憎いし、好きな人のことは大目に見ておきたいしで、どうしてもケジメを付けられなくなってしまいます。ケジメを付けられないどころか、そうとしか考えられなくなってしまいます。

 

単身塔の中に乗り込み、マンドレークと会話した時の様子をみると、実際ビアンカにもかなりの葛藤はあったようです。マンドレークにより虐げられた子供たちの事を知っていれば誰しも、いい気味だ、ざまあ見ろ、因果応報で済ませておきたい所でしょう。しかし、ビアンカは、マンドレークの言葉にある改心の心を見逃しませんでした。一言一言を漏らさず聴き、信頼に値する実が備わっていることを確かめました。それでも、この時点で改心が揺るぎないものかはどうかは、ビアンカにも誰にも、マンドレーク自身にも分からなかったと思います。マンドレークの中に良い心が芽生え始めたらしいことは、少なくとも分かりますが、それ以上のことは確かめようがないからです。しかし、「完璧に改心したようだから助けてやる」「まだ悪い心が残っているから助けてやらない」という、その時点で是か非かの判断をするのではなく、幽閉された塔から助けてやるという行為こそが、改心を成就させると、ビアンカは信じていたのだと思います。心というものは不安定なものだから、悪い環境にいれば悪くなってしまう一方、良い働きかけがあればそれに応じて良くなっていくものなのだということが、ビアンカには分かっていたのだと思います。

 

岩波少年文庫には、池澤春菜という人によるあとがきが付いているのですが、これがとても良かったです。ミス・ビアンカに当てた手紙という体裁で、ビアンカへのメッセージが書かれているのですが、ここにはビアンカがいかに尊いネズミであるか、ビアンカがいかに美しいネズミであるか、いかに気高く勇敢であるか、自分もビアンカのような優しい気づかいの出来る人間になりたかった等々、ビアンカへの敬慕の思いがたっぷりと語られています。中でも、「ミス・ビアンカだったらこういう時にどうするだろう?」と、ビアンカが読者の心の規範になっているというのが、大変印象に残りました。不幸な善人を助けることであれば、勇気をもった人なら誰でも出来ることですが、マンドレークを助けるというのはなかなか思いつけることではありません。そういう、誰もが善いと思えることのさらに先まで進んだビアンカの優しさが、読者の心に深く残り、迷った時の道しるべになっていたようです。私は小さい時分にこの本を読むことは出来なかったのですが、ビアンカはこういう風に子供たちの憧れになっていたのだなあというのが、とても良く伝わってきました。

 

ビアンカの素晴らしさについては、言うもさらなりだと思いますが、個人的に、この物語で忘れてならないのが、サー・ヘクターの偉大さだと思います。ヘクターはミス・ビアンカに劣らず気高い人物であり、人格面でも大いに尊敬すべき馬なのですが、その高潔な品位以上に、競争馬として並外れた能力を備えていました。脚を捻挫してしまい、絶体絶命のピンチに陥ったマンドレークを助けるため、颯爽と現れたサー・ヘクター。物語の一番盛り上がる場面ですが、なんとヘクターはこのときに、1.5kmを49秒という速さで踏破していました。これは、驚異的なスピードです。参考までに札幌競馬場のタイムを上げると、1500mのコースのレコードタイムは1分27秒台です。ヘクターの叩き出したタイムは、このレコードを軽く30秒以上も上回ってしまっていました。時速に換算すると、約110km/h……途中で騎手を振り落としたとは言え、斤量が無いとは言え、これはもう速いの速くないのの話ではなく、足が壊れてしまうのを心配するレベルの速さです。普通のレースならまず負けるはずが無いですし、国民的人気者になるのも納得で、あのサー・ヘクターが連れてくる人ならば間違いないと、孤児院すら顔パスで通ってしまうのもむべなるかな、です。サー・ヘクターという馬、紳士的で涼しい顔をしておりますが、実はサラブレッドという種を超越した、偉大なる正義の味方だったのであります。