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ジョージ・オーウェル『動物農場』

 

動物農場 (角川文庫)

動物農場 (角川文庫)

 

 

人間にこき使われるのを嫌い、主の人間を追い出して自分たちだけの農場を作り上げた動物たちが、崇高な理想を掲げていたにも関わらず、堕落していく様を描いた物語です。

 

動物社会を人間社会に見立てた、諷刺の強い作品でした。人間を追放したら動物たちだけの楽園が出来るのかと思いきや、動物たちの中でも権力を持とうとするものが現れ、その結果、かえって農場は以前よりも苦しい社会になってしまいます。人間にかわって動物社会を牛耳るのは、豚たちです。動物たちの中では最も学があって賢く、革命家として動物たちを扇動するのも豚たちであれば、革命の利権をもっていくのも豚たちでした。大義を語るその口先とは裏腹に、私腹を肥やすことに執心する様は、腐敗した人間の権力者の姿と何ら変わるところがありません。他の動物に黙ってこっそり牛乳をくすねていった当たりから怪しい気がしていましたが、案の定専制がエスカレートしていくのを見るにつれ、結局こうなってしまうのか、革命もある面では権力闘争の一種に違いないのだなと思わされました。

 

ところで、イギリスでは豚は賢い生き物というイメージがあるのですかね。少し前に『蠅の王』という、この物語と同様に社会風刺の強い作品を読んだのですが、ここでも頭の良い子が「ピギー」(子豚)だとか豚だとか呼ばれていたのを思い出しました。農場の動物たちを見ると、犬は手先という意味で「~の犬」と揶揄される時の犬そのものだし、馬は従順な働き者だったりと、見た感じ各動物がイメージぴったりのキャラクターになっています。そうすると、日本ではあまりそんな印象はありませんが、向こうでは豚と言えば頭の良いものというイメージがあるのかなと思いました。

 

舞台となる農場について、広さはどれくらいだとか、動物がどれくらいいるのかといったことが具体的に本文には書かれていなかったのですが、当時のイギリスの平均的な農場を思い浮かべれば良いのでしょうかね。馬や牛、豚、犬、ロバ、カラスなど、様々な動物たちが暮らす農場をオーウェルが見渡して、人間がいなくなったらどれが天下をとるのだろう、どれが独裁者になるのだろうと探していった結果、威勢の良い犬や力のある牛馬でなく、豚に白羽の矢が立ったというのは、面白いなと思いました。しかし、多少意外ではあるものの、言われてみれば、豚の持つ愛嬌や滑稽さの裏には狡猾さや悪知恵も潜んでいそうな気もするので、あまり違和感がないのも確かでした。

 

豚の大将はナポレオンと言い、こやつが農場を支配する独裁者になります。この豚はなぜナポレオンと言う名前なのでしょう。ナポレオンと言えば、どうしてもフランスの皇帝ナポレオン=ボナパルトを思い出さずにはいられませんが、豚のナポレオンは独裁者という点で皇帝のナポレオンっぽいようであるものの、中身は綺麗にナポレオンを見立てている訳でもないために、名前の由来がちょっと気になる所です。軍事力を使ってクーデターを起こした所や、革命の終結を宣言した所は、確かに史実のナポレオンに重なりますが、ナポレオンという英雄を最も際立たせる軍事的栄光は豚のナポレオンにはありません。反革命の外国軍を撃退した「牛小屋の戦い」で英雄的な活躍を見せたのは追放されたスノーボールなので、むしろスノーボールの方がナポレオンよりナポレオンらしいのではとも思えます。「牛小屋の戦い」を祖国防衛のヴァルミーの戦いとみなすと、その後の政権を攫っていったという意味で、豚のナポレオンは字義通りナポレオンということになりますが、いまいちしっくりこない感じもします。この辺り、寓意がぴたりと当てはまらず、微妙に外している所がとても意味深で、かえって味があるように思えました。

 

豚のナポレオンはとても悪辣で嫌な人物でしたが、ナポレオンという個が問題なのではなく、社会そのものに問題がありそうな印象は強く受けます。歴史を振り返れば、豚のナポレオンはスターリンだとも言えるしヒトラーだとも言えるし、どこの時代の誰々という限定抜きに、こういう独裁が何度も繰り返されてきたことは明らかです。角川文庫版『動物農場』には、表題作のほかに「象を射つ」「絞首刑」「貧しいものの最期」が収録されていますが、何れも社会制度と人間との関わりについての問題意識が感じられるもので、オーウェルという人は、個々人の伝記的な事実よりかは、社会の力で否応なく動かされていく人間に関心があるのかなと思いました。支配者たる豚たちは、あまりにも悪辣で無能でした。そして、支配される他の動物たちは、あまりにも無欲で愚かでした。

 

読んでいて悔しいなと思うのが、豚たちは実際には大した力をもっていないにも関わらず、他の動物たちが唯々諾々と従ってしまうところです。ナポレオンなど、偉そうに指導者として君臨していますが、スノーボールと比べれば勇敢さも執政能力も劣っており、口先のうまさと、手下の犬たちによる恐怖政治で政権を保っているだけに過ぎません。しかも、その手下の犬とてもそれ程の脅威ではなく、たかが9匹のこと、徒党を組んで吠えまくり、脅迫することには長けていますが、必ずしも武力で勝っている訳ではありません。戦闘力でいったら馬や牛の方がはるかに強く、本気を出せば犬などすぐに蹴散らすことが出来ますし、ましてや豚など、いざとなったら物の数ではないはずです。しかし、馬や牛は善良だから、戦おうという気を起こしませんでした。豚たちの政治に何となく違和感を感じているものの、異を唱えるよりも勤勉に働き続ける方を選んでしまい、それが結果として豚たちを付け上がらせてしまったのでした。

 

我を殺して従順に働くボクサーは、実は自己犠牲に逃げてしまっていると言えるのかもしれません。勤勉なボクサーが悪いとは思いたくないのですが、その後の動物農場の腐敗を思うに、ボクサーは自分の力の使い道を考えるべきだったのではと思ってしまいます。農場の中でもボクサーの体力と戦闘力は圧倒的であり、ナポレオンの独裁を防ぐのに、これほど強力な抑止力は他にはありませんでした。同じことが、ロバのベンジャミンにも言えます。ベンジャミンは多くを語ろうとしませんが、恐らくはナポレオンら豚たちよりも賢明で、あらゆる物事について豚たちよりずっと優れた知恵を巡らせることが出来たことでしょう。しかし、ベンジャミンは己の才覚を役立てようとすることはなく、政権に加わろうともしないで、飄々とした隠者のままでいました。ボクサーのように己の廉潔を保つことに終始してしまうこと、ベンジャミンのように傍観者でいることは、結果的には、農場の未来に貢献することになりませんでした。

 

ボクサーやベンジャミンのような優れた能力をもった善良な動物に、嫉妬や権力欲といった悪徳がほんの少しでもあれば、ナポレオンの独裁は成り立たず、動物農場の歴史もまた違ったものになっていたと思います。それを考えると、個人にとっては悪は有害ではありますが、社会にとっては悪が役に立つこともあるように思います。悪人は、善を学ばなくてはなりません。一方で、善人もまた、悪を学ぶ必要があるのかもしれません。