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梨木香歩『エンジェル エンジェル エンジェル』

読書

 

エンジェル・エンジェル・エンジェル (新潮文庫)

エンジェル・エンジェル・エンジェル (新潮文庫)

 

 

熱帯魚の飼育を始めた高校生のコウコが、水槽の中の熱帯魚の世界を見守り、その世界と共鳴するように、コウコのおばあちゃんの少女時代の記憶が回想されていく、2人の主人公の2つの視点が重なりながら進んで行く物語です。

 

回想の世界に生きる天使であった頃のおばあちゃんと、熱帯魚を見守る贖罪を願うおばあちゃん。自分が好きだった子に対して取り返しのつかない罪を犯してしまってから、おばあちゃんは変わってしまいました。山本さんが大司教の前で粗相をしてしまったのは、直接的にはおばあちゃんは関係無かったかもしれないけれど、それまでに加えて来たイジメの数々によって、山本さんに強いプレッシャーがかかっていたことは想像に難くありませんから、やはりおばあちゃんの罪だったのでしょう。おばあちゃんは、山本さんの一世一代の晴れ舞台を台無しにし、辱めてしまった。戦後、農地改革で財産を没収されたり、身持ちの悪い夫と結婚したりしたため、おばあちゃんは随分苦労して生きてきたとありますが、その苦労にも、きっと因果を感じていたと思います。世紀を超えてもなお、少女の頃に感じた悔恨は消えることがありませんでした。私は、このような罪の意識を扱った物語に、とりわけ涙を誘われます。水槽の世界が破滅した後、泣きながら同族殺しのエンゼルフィッシュの死骸を虐げるおばあちゃんの姿は、強烈に印象に残りました。

  

罪のない者を、無垢な者を、汚してしまったということが、どれ程重い負担になることか。つくづく、子供というのは危うい存在だと思いました。天使のような存在にもなれる一方で、たやすく悪魔のようにもなってしまう。一時の過ちであったとしても、罪を犯したという事実は消えず、内省的な人であればあるほど、罪の烙印は心に深く刻み込まれます。

 

おばあちゃんが山本さんに対して行ったことは、 かなり激しいものでした。面と向かって詰ったり、足を踏みつけたり、プリントをこっそりグチャグチャにしたり、等々。嫉妬に駆られての行為であったとは言え、弱い者イジメという訳でもなく、尊敬を集めるリーダー格の人に対して公然と攻撃をしかけていた訳ですから、それだけの力が元々おばあちゃんに備わっていたということなのでしょう。周りの人も意外に感じていましたが、実はおばあちゃんは武闘派だったのでした。しかし、その力のために、おばあちゃんは罪を作ってしまいました。飼い主を認識できるほどの賢さが、却って陰険な攻撃性に結びついてしまったエンゼルフィッシュのように、能力が人を傷つける武器となってしまったのです。

 

おばあちゃんの家は、もともと武士の家でした。ある時、戦乱を嫌って農民になりました。おばあちゃんが昔の話をする時、コウコが油断をすると、応仁の乱まで遡る壮大な昔話が始められそうになったりします。武士の遺伝子は、人を殺める遺伝子です。ネオンテトラを殺めるエンゼルフィッシュには、武士の遺伝子を継承したおばあちゃんの姿が重なります。だからこそ、おばあちゃんはエンゼルフィッシュが憎くて仕方が無かったのでしょう。一族は、農民になりたかったけれど、農民になりきることが出来なかった。「肉の味を覚えたからね。留まることを知らない。なんておぞましい。もう、自分でも歯止めがきかないのよ」……。エンゼルフィッシュを殺そうとするおばあちゃんの言葉は、まるで自分自身に対して、そして自分自身の血統に対して向けられた言葉のようです。

 

私は、かつてハムスターを飼っていたことがありました。生活を変えたいと思っていた時期でした。だから、生き物を飼う事で、複雑に乱れた自分の感情を落ち着かせようとしたコウコの気持ちが良くわかります。実際、生き物は可愛いものです。生身の生き物と起居を共にすることで、この子をちゃんと世話しなきゃと、血の通った生活のリズムを取り戻せるような感覚があったのは確かです。しかし、時折見せる残虐性に、人間の姿を重ねてしまい、怒りを覚えたこともありました。エサをあげようと差し出した指をハムスターが甘噛みすることがたまにあったのですが、ある時、いつもより執拗に嚙んでくることがありました。しかも、いつもより痛みが強いので、気が付くと指と爪の間の一番痛い所を狙って執拗に噛んでいるのが分かりました。ハムスターが痛い所を狙ってやっていたのかは分かりませんでしたが、その時は反射的に恐ろしい悪意を感じてしまい、今まで一緒に暮らしていて、段々仲良くなって来て、手のひらの上に載ったこともあるのに、今さら何でそんな残酷なことをと思って、裏切られたような、失望したような、激しい怒りを感じたのを覚えています。しかし、今思えばこれも、ハムスターに対する怒りであると同時に、ハムスターに反射された自分自身の心に対する怒りであったに違いありません。

 

生き物は、なぜ、こうでなければいけなかったのだろう。

 

物語の中で、不思議な印象を受けた場面がありました。コウコの夢の中で、共食いをするエンゼルフィッシュの顔が、おばあちゃんに変わったり、お母さんに変わったり、コウコ自身に変わったりする場面です。ここで、おばあちゃんだけでなく、お母さんやコウコも、エンゼルフィッシュに重なるのが意外でした。そうか、おばあちゃんがお母さんに介護させるのも、お母さんがコウコに理想の娘像を押し付けたりするのも、コウコが自分で自分を縛り付けるのも、共食いの一種に違いないのか……。誰かを消費せずにはいられないというのは、個人や血統に固有のものではなく、人間全てに宿命づけられたもので、もっと言えば、人間だけでなく全ての生き物に備わった宿命なのかもしれないと思いました。ただ、そこまで根源的に考えすぎると、スケールが大きすぎて、目の前の問題にピントが合わせられなくなり、生活から乖離していくようで怖い気もします。個人個人に目を向けることは大切なのだけれど、一方で、その先にある、個人ではどうにもならないものの存在も意識しなければならない……難しいバランス感覚だと思います。

 

罪の意識を感じることは大切だけれど、その意識を持つことが贖罪になる訳でもなく、免罪符になる訳でもなく、やはり人は罪を犯してしまうものだし、意図せずに罪を犯してしまうことや、犯さざるを得ないこともあります。それでも、長い間ずっと罪と罪の意識の間で苦しんだおばあちゃんが、最期に「赦された」という気持ちになることが出来たのが、救いになりましたし、また、そういう境地があるのだという事が、希望にもなりました。