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ゴールディング『蠅の王』

読書

 

蠅の王 (新潮文庫)

蠅の王 (新潮文庫)

 

 

 無人島に流された子供たちが、島の中で社会を作り、集団生活を営んでいく物語です。冒険小説ではありますが、良く引き合いに出される『十五少年漂流記』のような明るさはなく、はじめは秩序を守って生活していた子供たちが次第に権力争いをするようになり、分裂し、理性を失い、果ては殺し合いまでするようになるという陰惨な話です。そこに出てくる人間の類型や、人間関係の崩壊の仕方は大変生々しく、読みながら、この子はあの人、この子はあの人と、登場人物に近い知人の顔が浮かんできて、もし無人島の無法地帯に取り残されたら、この人達はこういう風になってしまうのだろうなというのが想像出来て恐ろしかったです。自分は、タイプで言うとサイモン7・ピギー2・ジャック1ぐらいの割合かな……生き残るのが厳しそうだ。

 

山火事について

子供たちが無人島に漂着してまだ間もない頃に、焚火の不始末で火災を起こしてしまうことがあります。ラーフを隊長に据え、ルールを決め、生き残るための仕事を始めようという所だったのですが、狼煙を上げるために付けた火が山火事を招いてしまい、その火事でひとりの小さい子の命が喪われてしまいました。この時点では、子供たちにとって「死」はまだタブーであり、喪われた子のことは無かったことにされてしまいます。

 

この場面、子供たちの段取りの悪さについて、色々と思うところがありました。過ちを犯してしまうことそれ自体は仕方がありません。しかし、意思決定の過程に大変な問題があります。隊長に選ばれたラーフが、助かるためには狼煙を上げて救助を待つことが必要だと演説すると、子供たちは大いに盛り上がり、深く考えることも無く行動に取り掛かってしまいました。ジャックは陣頭に立って行動を始め、ラーフも特にこれを止めません。一方でピギーはよりより方法を知っており、小屋を作ることを優先した方が良いことや、一人ひとりの安否を確認できるよう名簿を作成するべきだということを分かっていました。しかし、残念なことに、ピギーには政治力がありませんでした。ほら貝を持っていたにも関わらず、ルールを守らないジャックの暴力や、その他大勢からの嘲笑によって、火災が起きて取り返しのつかない事態になるまで、発言を封じられてしまっていました。

 

大勢のムードで、ワアーッと勢いで物事が進められてしまうのは、本当に危険です。私自身、仕事で何度も経験してきたので、良く分かります。深く考えていないのだから、失敗につながりやすいというのがまず危険の一つですが、それ以上に危ないのが、勢いで何となく始められたことは、責任の所在が曖昧になってしまい、反省されることがないことです。自明なことは、すぐに決めてすぐに取り掛かった方が良いでしょう。しかし、もう少し複雑なことになると、直感的に閃くことが必ずしも正しいとは限らず、むしろ考える余地があることの方が多いです。だから、大事なことが、深く検討されることなく、勢いや熱気で進められようとしている時は、後々必ず良くないことが起こります。

 

こういうムードの中で反対意見を言うのはなかなか難しいことです。頭を使って深く物事を考えるよりも、行動してしまった方が楽ですから、人間はとかく着手したがります。即断即決にはある種の魅力がありますから、議論を焦れったく思う人や、考えるよりも行動する方が偉いという思考パターンの人もいます。だから、そこで待ったをかけると、臆病者とか優柔不断とかいうレッテルを貼られてしまうことが往々にしてあります。仮に異見が採用された場合には、異を唱えた人が結果に対して実質的な責任を負わされることになってしまい、その他大勢は内心しらけた気持ちでいますから、良くない結果になろうものなら、待っていましたとばかりに糾弾の対象になるでしょう。一方で、異見が採用されなかったとしても、いざ失敗した時に「あの時あの人の言うことを聞いていれば」とは中々なりません。その時には、失敗の火消しに大勢の意識が向かうので、そこで「ほれ見たことか」という態度をとろうものなら、足を引っ張っていると見なされ、かえって評判を悪くしてしまうのです。

 

官渡の戦いの田豊などが、まさしくその例です。袁紹に対し、ただ独り曹操との戦いを諫めた田豊ですが、袁紹軍が官渡で大敗した後に厚遇されるようになったかというと、そんなことはありませんでした。むしろ袁紹は、負けた自分のことを田豊は笑っているに違いないと疑い、田豊を殺してしまいます。馬鹿げた話ですが、稀なことだとは思いません。正論は、憎まれるものなのです。

 

皆の総意で決めたというムードを作ると、失敗した時の責任をはぐらかすことが出来ます。これを、意識的に、あるいは本能的に利用する人間がいます。組織として目的を達成することよりも、権力闘争に興味がある人というのはどこにでも居て、そういう人は「誰よりも先んじて主導権をとりたい」「臆病者と思われたくない」「仕事が出来ないと思われたくない」と強く思っています。即断即決というのは、行動の強引さと声の大きさで主導権を握れるやり方ですので、大局を考える人よりも、目先の自分の利益を考える人にとって都合が良いことの方が多いです。だから、権力闘争を好む人は、正しいことをするよりも、場の空気を読み、素早く行動することを選びます。取り残されることを恐れるだけの無定見な人間は非常に多いので、そういうタイプの人間は逸早くこれに追随します。このときに、待ったをかけられる人なりシステムなりが無ければ、組織は誤った方向へと向かっていってしまいます。

 

ジャックについて

ジャックが反乱を起こし、子供たちの社会が破局へ向かいつつある時、ラーフとピギーがこんな会話をします。

「ピギー、いったい何が災いのもとなんだろうか?」

ピギーは、びっくりして彼の顔を見た。

「というと、あの例の――?」

「いや、違うんだ、あの獣のことじゃないんだ……ぼくがいいたいのは……あの連中がやっているように、一切を無茶苦茶にしているものは、いったい何かということなんだ」

ピギーは眼鏡を手でゆっくりこすり、考えこんだ。ラーフがこれほど自分を信用していてくれるんだ、と分かったとたん、彼は誇りで顔を赤くした。

「よく分からないよ、ラーフ。結局、あいつのせいじゃないのかなあ」

「というと、ジャックか?」

「うん、ジャックさ」ジャックという言葉とともに、タブーが消えてゆくようだった。

ラーフは深刻な顔をして頷いた。

身も蓋も無い言い方をすると、DQNが文明を滅ぼす、ということでしょうか。人間誰しも過ちを犯す危険を孕んでいるというのは考えなければならないことですが、そこまで根源的な議論は抜きに、現実問題、DQNが台無しにしてしまっていることや、DQNにより生み出される不幸は、世の中に嫌というほど溢れています。

 

狩猟というのが良くなかったかもしれません。ジャックはもともと粗暴な人物でしたが、狩猟を経験することで生き物を殺すことの抵抗がなくなり、段々と野性に目覚めていくようになりました。しかも、そうして手に入れた美味しい豚肉は人々を魅惑し、ジャックに権力をもたらしてしまいました。こうして箍の外れていったジャックは、理性よりも野性が勝るようになり、ラーフやピギーに比べて、気に入らない人間と協調してまで生きていこうという動機が薄れていったのです。勿論、生きていくためには狩猟も必要ですし、果敢に狩猟に挑んでいける人間も必要なことは確かです。ただ、社会を上手く成り立たせるためには、やはりシビリアンコントロールが必要なのでしょう。サマルカンドを焼き尽くしたモンゴル人のように、アステカ文明を滅ぼしたコンキスタドールたちのように、文民統制の利かない所では、取り返しのつかない破壊的な行為が許されてしまいます。

 

そもそも、「囚人のジレンマ」の話で行けば、子供たちが殺し合うようになることが、おかしいのです。狼煙を上げて助けを待つこと、「獣」から身を守るという点で、子供たちの利害は一致しているし、食糧は豊富にあるので、各人の利害が背反するということもありません。ジレンマは存在せず、一致団結を崩す動機はどこにもないのですが、共通の利害は守られることなく、狼煙は消え、内紛によりさらなる命の危険に晒されるようになってしまいました。「囚人のジレンマ」でいうジレンマは、各人が合理的に行動しようとした結果起きるジレンマですが、各人が合理的でなかったとしたら、例えジレンマを産む状況でなかったとしても、共通の利害は達成されません。狼煙を上げることの大事さや、協力することの合理性は、ジャックも理解していたと思います。ただ、ラーフへの憎しみという、合理的に動く以上の動機がジャックにはあって、怒りと恐怖により崩壊しかけたジャックの理性ではそれを止めることが出来なかったのです。

 

こういうタイプは、理に訴えても響かず、むしろ理に対して反発してしまう傾向があるので、例えば年功序列とか、敢えて理外の理に訴える方が効果があると思います。そう考えると、ジャックとラーフの2人が同年代で、腕っぷしも互角というのが災いしていたかもしれません。ラーフがずっと年上だったとしたら、ジャックがどう頑張っても太刀打ち出来ないので、抑止力がうまく働いたことでしょう。そして、相手は年長者だから仕方ないという諦めで、ジャックも納得して従うことが出来たかもしれません。

 

ラーフについて

指導者として君臨したラーフという人物について。体格が良いせいか、他の子供たちを恐れる様子がまるでなく、妙に落ち着いて余裕があります。余裕があるから知恵もあり、初対面の子供たちからも自然と一目置かれます。マキャベリの『君主論』の中で、君主の条件として「舐められないこと」「嫌われないこと」が挙げられていますが、ラーフは正しくこの条件を満たしていました。ジャックのような武闘派への睨みも利かせられますし、ピギーや小さい子供たちから忌避されることもありません。ラーフが隊長に選ばれたのは一番妥当な選択だったと思いますが、お互いの事を良く知らない内にこの人選がなされた訳ですから、子供たちは鋭い直観を持っているものだと思います。

 

身体的に優位に立てるというのは、かなり大きいと思います。ラーフがいない間は、体格の優位を活かして幅を利かせていたジャックも、同じく体格の優位をもっているラーフに対しては、そうそう手出しが出来ませんでした。一方、それとは反対に、この社会では身体的な不利もかなり大きく響きます。太ったピギーは、太っている事による身体的な苦労ではなく、太っていることで受ける周りからの侮辱で、かなりダメージを受けていました。ピギーひとり、本名で呼ばれることなく、最後まで蔑称で呼ばれ続けていたというのが象徴的です。ピギーには何を言っても良く、人間扱いさえしなくて良いと、暗黙に全員の間で了解されていたのがこの世界の恐ろしさです。

 

子供たちの会話の描写はとても細かくて、リアルに描かれていると思います。特に、ピギーを取り巻く周りの意地悪な目や、ピギー自身に生まれる焦りなど、とても生々しいものだと思いました。子供たちは一見無邪気なように見えますが、言葉や表情や動作の端々に、相手を品定めしたり、マウントをとろうとする意識が読み取れます。だから、ついさっきまで一緒に遊んでいた子供でも、何かのきっかけでイジメにあったり、吊し上げられたりします。子供たちの社会には生活を縛るルールは無く、呑気で楽天的な面もありますが、その実はちょっとしたおかしな言動一つが命取りになってしまうなど、かなり過酷な世界に生きているとも言えます。その点、ラーフは抜け目がありません。いかなる時でも言動に外れがなく、隙がないので、平時においてラーフが追い込まれる事はありませんでした。

 

しかし、隙が無いことが、ラーフにとって仇になっていたように思います。ピギーの場合は、隙だらけでした。正しい発言はするのですが、言動が滑稽なために、嘲笑を受け、まともに相手にされることがありませんでした。それを、逆の見方をすると、ピギーは笑殺されることで身体的な安全を保っていたとも言えます。ジャックが怒り狂って暴力を振るおうとしても、ピギーの滑稽な仕草を見ると笑ってしまい、怒る気を失ってしまうからです。一方で、隙の無いラーフは笑殺することが出来ません。ジャックのラーフに対する怒りは平時には発散しようがなく、戦時に持ち込むことでしか解決出来ませんでした。

 

また、ジャックが狼煙を消してしまった時、ラーフは失敗を厳しく詰りすぎました。ジャックはラーフほど賢くないので、しばしばこういうミスを犯すのですが、ジャックを恐れないラーフは失敗を容赦無く追及します。狩りの成功に浮かれていたジャックですが、さすがに狩りと狼煙と、どちらが大切かは自ずと分かったでしょう。ここは、ジャックの能力的な限界もあるので、もう少し寛容であるべきだったと思います。そして、勇敢さを競うような場面でも、ラーフは負けじ魂を起こし、ジャックが退くに退けない状況を作り、ジャックの面子を潰します。もともと、ジャックはトップになりたかったのですが、ラーフがいるのでトップになれなかったという経緯があります。しかし、ジャックは無意識に、ラーフを憎みつつ、ラーフを好きになろうと努め、喧嘩を避けようとしていました。そこを、もう少し汲み取るべきだったと思います。

 

ラーフは嫌われてはいませんでしたが、好かれてもいませんでした。ラーフが隊長になったのは、人望よりも能力に対する恐れの方が強かったと思います。だから、恐れに耐えきれなくなったジャックはラーフに反乱を起こしましたし、ジャックというより強い恐怖が現れた時に、多くの子供たちはジャックの方へついていってしまいました。最後の方になると、一番ラーフを慕っていたピギーでさえ、からかってきたラーフに対して本気で怒鳴りつけたりしますし、双子の子供はラーフの隠れ場所をためらいなくジャックに密告します。覇道による統治の限界を感じました。

 

それでも、真実を見つめる強さは、ラーフとサイモンだけが持っていたように思います。「サイモン殺し」に手を染めた子供たちは、罪を犯した事を知りつつ、一様に事件を無かったことにしようとしました。ジャックやその他大勢は理性を失っていましたし、理性的なピギーでさえ、あれは事故だったのだと人に言い、また自分に言い聞かせます。そんな中で、自らが犯した行為を直視し、罪の重さに戦慄出来るのは、ラーフひとりだけでした。この点こそ、身体的な強さや器用さなどにも勝る、ラーフの持つ優れた美点だったと思います。