読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

運命について

台風10号の到来で天気が荒れていたここ数日は、家で読書に耽っておりました。本を読みつつ、本から受けた刺激を受けて、内容を消化しようと物思いに沈んでいる内、まだ記憶に新しい前の会社での嫌な事を思い出してしまったり、例によって懊悩癖が出て鬱々と過ごしておりました。

 

新潟に旅行に行った時に買った坂口安吾の『白痴』を読み、夢も希望も見当たらない、戦後のどうしようも無い鬱屈や虚無感を浴びて、これが生の人間の姿なのかと思い、内省的に塞ぎ込みたい気持ちになりました。その後、森絵都『DIVE!!』という、こちらはダイビングでオリンピックを目指す子供たちの物語を読み始め、まだ途中までしか読んでいませんが、希望ある若者たちの前向きな活き活きとした姿を見て、これまた内省的に塞ぎ込みたい気持ちになりました。

 

同じように人間を描くのでも、どうしてこうも違うのだろう。しかし、何れも真実を映していると思うから、どちらを読んでも内面が締め付けられる思いがします。『DIVE!!』に出てくる子供は、若くて健康的であり、苦悩を抱えながらもスポーツに打ち込む様は、見ていてとても美しいです。一方で『白痴』に出てくるのは自堕落な人間ばかりで、これといった出来事もなく、肉欲に耽ってばかりで、全く美しくありません。しかし、本質的に違う人種が描かれているかというと、そうでもない気がするのですよ。『DIVE!!』に出てくる子供は、みな良血のサラブレッドです。親がオリンピックの選手だったとか、伝説的な漁師だったとか言う、ちゃんとした血統的背景があって、平凡かと思われた主人公でさえ、実は天才的な才能の持ち主であったりします。その中に凄腕のコーチがやって来て、的確で素晴らしい指導を行い、子供たちは日々自分自身の成長を実感しながら練習に励むのですから、苦しさや辛さを抱えつつも、本能的に楽しさを感じているはずです。他方、『白痴』に描かれる戦後の食うや食わずの世界で、貧民窟のような所に暮らす人々には、夢も希望もありません。ただただ、生活を凌いでいくだけです。

 

前の会社の時の、部長の話を思い出します。この人は呆れる位のナルシストで、何を話すにしても、「自分は偉い」という話に落ち着かせなければ済まない人です。大嫌いな人です。かつて、『進撃の巨人』の話をしたことがありました。面白い漫画ですね、という話でした。部長も『進撃』が大好きで、アニメを何度も何度も見返していると言いました。しかし、ひとしきり『進撃』の面白さについて話したあと、この人は最後に「けど、諌山創に2作目は無いね」と言い放つのです。それを言って何になるのだか。未来の流行など誰にもわかりませんから、作者に次のヒットがあるかなんて、分かるはずはありません。有るかも知れないし、無いかも知れない。そもそも、まだ『進撃』が連載している今しても仕方の無い話なのですが、この人は詰まる所、作者がただの一発屋であるかのような言い方をして、サラリーマンを長くやっている自分の方が偉いと、暗に言いたいだけなのですよ。これをやられた瞬間、一気に興ざめしてしまいましたが、そのあとに、何の値打ちも無い若者批判が繰り広げられました。曰く、今の若者は欲しいものが何でも手に入って、ハングリー精神が無い、と。今の時代、280万人いる大学生のうち、120万人が奨学金を受け取っている時代です。子供の貧困も問題になっているし、年金の負担も重くなる一方です。世代の話で言うならば、ハングリーなのは今の若者と、戦中戦後の人達くらいなものでしょう。この人は裕福な公務員の家庭に生まれ、中堅私大を出て、業界の景気が大変に良かった時に会社に入ってきた人なのですが、そういう恵まれた環境の話は都合よく忘れ、忘れるどころか苦労してきたという話にすり替えられ、今の若者はダメだ、自分はハングリー精神で勝ちあがってきたと、そういう話をするのです。今の若者は逃げている、と。自分は逃げなかった、と。これだけ当人に都合の良いバイアスがかかっていたら、話を聞いていても全く意味が無いですよ。

 

環境や人との出会い、それに生まれ持った才能も含めて、運命の力はあまりにも大きいものだと思います。人間同士で競争が発生するところ、結局は、人間みな自分の適性のあることや、恵まれた場所で勝負するほかない訳です。学生のうちは、スポーツをやったり、勉強をしたり、たいていみんなが同じようなことを経験して行きます。しかし、スポーツにしろ勉強にしろ、本当に勝つことが出来る人は一握りで、大会で優勝出来ない人はスポーツから逃げているし、トップの大学に行けない人は勉強から逃げている訳です。それでも、多くの人が逃げたという負い目を負わずに過ごせるのは、無意識の中で、ここは自分の場所じゃない、自分が本気になる所ではないという言い訳で、上手く処理しているからだと思うのです。

 

世の中にいる成功者と呼ばれる人たちが、なぜ成功したかというと、才能に恵まれたから、運が良かったからです。チャーチルは、ダービー馬のオーナーになるのは、一国の首相になるより難しいと言いました。確かに、ダービーに勝つことは本当に難しいことです。ダービーに挑戦できるのはその馬の一生に一度だけなので、どんなに実力があっても、調子が悪いとか、展開が悪いとか、ひとつでも間違いがあれば、二度と再びチャンスは巡ってきません。それに、どんなに強くても、同世代により強い馬がいたら勝てない訳ですから、実力だけでなく運も必要です。事実、チャーチルはダービー馬のオーナーになることは出来ませんでした。しかし、一国の首相だって、なろうと思ってそう簡単になれるものではありません。田中角栄などは、大臣には努力次第でなることも出来るが、総理大臣になれるかどうかは運命次第だと言いました。どうも人間は、自分が辿り着いた所は努力の結果で、その先にあるものは運命如何だと考えたがるようです。チャーチルにとってのダービー、角栄にとっての総理大臣(後に角栄は総理になりましたが)がそうだったように、自分が目指している夢については、そこに立ちはだかる運命の存在がハッキリ見え、ここから先は運命次第なのだと謙虚に悟ることが出来ます。しかし、今いる地点だって必ずしも当たり前に得られるものではなく、大臣になれない人にとっては大臣という地位も運命次第のものでしょうし、どれだけ頑張っても選挙で勝てない人にとっては、政治家になれるかどうかも運命次第と映るはずです。どんな地位であっても、相対的なものでしかありません。

 

努力が出来ないと嘆く人がいて、努力が出来ることも才能の一つと言ったりする人がいますが、そもそも努力とは何なのか。恐らく、我々が思っている以上に無意識というのは頭が良くて、才能に恵まれた人は努力に意味があることを本能的に理解できるから努力が出来て、才能に乏しい人は努力に意味がないと本能的に理解できるから努力が出来ない。そういうことは、無意識の時点で既に処理されていると思うのです。傍から見て、愚直に頑張っていると思える人もいますが、案外、その人は無意識に自分が出来るということを理解していて、頭の中では狡猾に努力の効果が計算されているのではないかと思えたりします。だいたい、みんな勝てる場所を選んでいます。たとえ無謀そうに見えても、ちゃんと本人なりの勝算はあったりするものです。逃げて逃げて、逃げまくって、どうにか安定出来る場所に落ち着こうとしているのです。

 

努力とは、技術の話なのだと思います。スタートとゴールを結ぶため、やらなければならない事をやるための、合理的なハウツーのことなのだと思います。努力をすることが偉いとか、そういった精神の話ではありません。『白痴』に登場する、夢も希望もない戦後の世界に生きる人たちに対して、這い上がるための努力をせよと一喝することが果たして出来るでしょうか。運命に恵まれなければ、そもそもスタートもゴールも無いので、努力というのは成立しないものなのです。成し遂げるべきことを成し遂げるための努力は大事だと思いますが、努力によって運命までも捻じ曲げられるとは思いません。

 

「努力とは馬鹿に与えた夢である」と、立川談志は言いました。家元は、前座の頃から落語が上手かったと自ら話しています。もともと落語の才能があって、落語が好きで、落語に取り組むことが苦ではありませんでした。家元は、それを努力とは言いません。自分が立派なことをしたから、立派に努力したから成功したのだとは決して言わないのです。

 

好きだから出来る。楽しいから出来る。何かをして楽しいという感覚も、根本的には能力に対する自信から来ると思っています。楽しいというのは、つまりはパターンが理解出来て、脳が活き活きとして、努力の結果が見えるから、楽しいという感覚が出来る訳です。デジタルゲームなどはこのメカニズムを利用していて、簡単なルールを用意し、手軽に達成感が得られるから、遊んだ人が楽しいと思える訳です。全くパターンが読めず、何が何だか理解が出来なければ、この感覚は生まれません。楽しいと感じられるということは、それだけで素質の証明、すなわち可能性の証明になっていると思います。

 

色々書きましたが、結論は、前の会社の部長に対する愚痴です。自分の力だけで何かを成し遂げたと思うのは、傲慢ですよ。今の地位を、全て自分の力によるものだと勘違いし、若者を叩いて優越感に浸るのは非常に下品です。いくら会社の中で偉そうにしていようが、もっと高い地位にいる人など世の中にいくらでもいて、自分だってそういう人達との戦いからは逃げて来たのでしょうに。そんなに自分に自信があるのなら、トヨタでもソニーでも、トップクラスの企業に就職すれば良かったのに、そこまでの自信がないから勝てそうな所を選んでやっている訳でしょう。そういう事を考えず、脳内オレ様ストーリーを都合よくでっちあげ、恥知らずに慢心に浸れるのも、出世するための取り柄の一つなんでしょうかね。でも、談志師匠みたいに、一流の人達はその辺を弁えている謙虚な人ばかりだと思いたい。