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松本清張『或る「小倉日記」伝』

読書

 

或る「小倉日記」伝 (新潮文庫―傑作短編集)

或る「小倉日記」伝 (新潮文庫―傑作短編集)

 

 

小倉に行った時、松本清張記念館で買ってきた本です。 表題の作品の他、清張の作品の中で「現代小説」に分類される(他には「歴史小説」「推理小説」という分類がある)11本の短編が収録されています。この中で、清張が度々書こうとする話のタイプが二つあり、一つは、学問や芸術の世界で名を挙げようと必死に戦う主人公が、ついに認められることなく死んでいく話で、もう一つは、不倫をした人間たちに破滅が訪れる話です。他にも違ったタイプの話がいくらかありますが、これらの作品を通して、清張という人物の個性が何となく浮かび上がってくるような短編集でした。

 

『ある「小倉日記」伝』『菊枕』『断碑』について

類まれなる才能や情熱を持ちながら、世の中に受け入れられることが出来ず、苦悩し、呻吟する主人公たちの一生を描いた作品です。

 

「小倉日記伝」は切ない話でした。障害を抱え、他の仕事では世の中に受け入れられることが出来ない主人公が、母と共に、鴎外の「小倉日記」を蘇らせる仕事に情熱を傾ける物語です。主人公も母も善人だし、周りの学者も好意的で、途中までは希望が拓けてくる感じがあって楽しかったです。しかし、私生活では母子に良いことはなく、病に倒れた主人公は道半ばで倒れ、挙句の果てには、本物の「小倉日記」が見つかり、小倉日記復元の仕事自体が無意味な仕事だったことが明らかになってしまいます。余りにも報われない、悲しい話です。

 

しかし、「小倉日記伝」の主人公・田上耕作が、成功者として終わっていくのも違和感があります。物語の流れからして、どうやっても母子にとって良い方向に向かっていくとは思えないのです。『菊枕』のぬいにした所で、夫や俳句界と和解するような展開が想像できず、狂乱の体で最期を迎えるより他の道は無かったように思えます。やはり、主人公たちは哀れに寂しく散っていったからこそ、物語が美しくなっているのであり、それを思うと、美に対する清張の関心は、ひたすら滅びゆく人々に対して注がれているような気がします。

 

『断碑』は、こういう芸術家肌の異分子にとっての、理想の生き様を描いたものなのかなと思います。甲斐性のある妻がおり、働かずに研究に没頭することが出来て、自分を認めない学界に対しては思う存分反抗する。老衰の憂き目には遭わずに若くして死を迎え、それでいて死後には「あの人がちゃんと認められていたら、考古学の世界はもっと進歩していた」と惜しまれる伝説になるという。この生き様に魅力を感じることが出来るか……?というと、私は微妙ですが、人を惹きつける生き様であることは分かります。

 

それにしても、『断碑』の主人公は、誰彼構わず攻撃的で、妻にも暴力を振るうことがあるし、他の学者に喧嘩を吹っかけてばかりだし、「小倉日記」に比べてまあ嫌な人物です。が、不思議なことに、印象に残っているのはこちらの作品なのでした。不器用過ぎる自我というのも、ひとつの取り柄ですね。

 

『笛壺』『石の骨』について

何れも、学界に反抗的な在野の考古学者が、家庭を顧みずに研究に没頭し、辛苦の末に大きな研究を成し遂げるという趣向の作品です。この題材については、歴史や考古学などの学問に大きな関心を持っていた清張自身が主人公に投影されているのは間違いないでしょうし、また清張自身隠すつもりも無いでしょう。『断碑』でも同じ趣向を扱っていたように、何度も何度もこの題材で作品が書かれています。

 

『断碑』は主人公が死ぬまでを描いていますが、こちらの2作は問題点を残したまま、主人公が生きたまま終わっていきます。『断碑』の主人公などは随分嫌な人物ですが、あれはあれでロックな生き方というか、野心と情熱のままに激しく命を散らしていくという、ある種の美学があります。しかし、『笛壺』は主人公が不倫をして家族を捨てる、という終わり方をし、『石の骨』は、自分が認められないことの背景には、研究一徹の自分にはとうてい測り知ることの出来ない複雑な政治的思惑がある事を知り絶望する、という終わり方をします。どちらも俗っぽく、汚い終わり方で、物語が終わったあとも主人公はズルズルと長生きしそうな感じがします。が、現実に近いのはこちらなのかもしれません。

 

題材はとても似通っているのですが、『小倉日記伝』『菊枕』『断碑』の方は、ある種の理想を描こうとしていて、『笛壺』『石の骨』の方は、より現実的な苦悩を描こうとしているのではないか。両者は、本質的にはかなり違った作品なのではないかという印象を受けました。