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台風の日

日記

台風到来。前の会社に行く用事があったので、朝から出かけていったものの、道中で連絡が入り、台風だから日程を変更して欲しいと言われる。当日の1時間前にそれを言うか?と思いましたが、恐らく現時点で会社に来られない人がいるのだろうなと思い、日程変更を承諾。それにしても、タイミングの悪いこと。

 

昨日まで『小説吉田学校』を読み耽っていたので、政党政治の事で頭が一杯です。全8巻、長かったですが、最後の大平正芳が倒れて鈴木善幸に政権が引き継がれる所まで、全て読み終わりました。物語の後の方になると、ハマコーやら小泉やら、テレビで見かける人たちも登場して来て、物語と現実の世界が繋がっていく不思議な感覚がありましたよ。単なる政党政治の枠を超えて、世の中で生きるための知恵を学んだ気がする一方で、日本の政治家はとんでもなく不毛なことを続けて来たのではないか、このシステム自体そもそも間違っているのではないか、という素朴な疑問も一方ではあったりしました。

 

『小説吉田学校』の残像を残しつつ、現内閣の閣僚をチェック。首相官邸のホームページを見てきましたが、議事録とか資料集とか色々見られて面白いですね。専門用語には解説もついていたりして、親切な印象を受けます。閣僚名簿を見ると、内閣総理大臣安倍晋三外務大臣岸田文雄等々、20名の政治家の名前が載っています。が、これだけだと良くわからないので、公式情報には載っていない、メンバーの派閥をGoogleで検索。すると、自民党の議員の所属派閥をまとめたページなどが出てきます。ふむふむ、安倍総理福田赳夫系の細田派、岸田外相は大平系の岸田派、法務大臣金田勝年保守本流額賀派……。閣僚の派閥をひとりひとり調べてみると、かつての三角大福中の流れが残っていて、各派閥からバランス良く人が選ばれるようになっているのが分かります。ああ、小説で読んだそのままの政党政治が、今も現実に行われているのだな……。

 

休み中にやる予定だったTODOリストを破り捨て、やらねばやらねばという脅迫観念を突き放したせいで、気分が少し楽になっています。そして、頭が良くなって来ている気がします。シンプルに真実が見えるようになったと言うか、わだかまりなく物事を捉えられるようになったので、自分でもハッキリそれとわかるぐらい、客観的・論理的な思考が出来ています。小説を読んだり、調べものをしたり、気分のままに好きな事をやっていますが、いつもだったら時間を気にして自制するところを、敢えて時間を忘れて突き進むようにしているのが良い作用をしているのでしょう。

 

そうして、気分的には楽になっているのですが、脳がズキズキと痛みます。疲労や頭痛の感覚ではなく、脳ミソに千枚通しを突き刺しているような、生々しく鋭い痛みを感じます。しかし、不思議なことに、これが苦しいかと言えばそうではなく、むしろ痛気持ち良いと言うか、快感になっているのです。種類で言えば、産毛をプツっと引っこ抜いたりとか、カサブタをベリベリと剥がしたりとか、そういう、痛みに耐えて悪いものを取り除く快感に近いものを感じるのです。

 

痛みと共に離れていくのは、ストレスです。度重なるストレスが、脳に強烈に蔓延っているので、もはや身体の一部になってしまっているのです。今まで、意識して気持ちを高めようとしたり、努めて無になろうとしたり、色々と内面世界との格闘を続けてきましたが、基調には常に不快な感情が流れていて、バイオリズムの振れ幅はあったとしても、結局は軸となる不快感に戻って来てしまい、慢性的な怒りや憎悪に苛まれるばかりでした。睡眠時にはそれが顕著に現れていて、いつも悪夢を見たり、歯ぎしりをしたりと、無意識が暴走を起こしていました。いや、覚醒している時でさえ、意識を働かせているとは思いつつ、その実、表情や声、視線など、内面が無意識に滲み出る部分はあるので、やはり不快な感情によって支配されっぱなしだったのでしょう。

 

普通に生活をし、普通に時間を過ごしているという、ただそれだけなのですが、不快感のない状態というのがとても異例のことのように思えます。自分の脳ミソは、おかしくなっているのだと思っています。恐怖・憎悪・屈辱に晒され続けた結果、ストレスに耐えられなくなった脳ミソの随所が死滅していき、それで、そのボコボコに崩落した欠陥品の脳ミソを補強するために、ある部分は思考を停止させたり、ある部分では現実を都合よく解釈したり、ある部分では異常に発達させるようにしたりと、生き残る手段として、異常変革を遂げていったものと思われます。この、ツギハギだらけの奇形の脳もどきを搭載して、これまで辛うじて生き延びて来た訳ですが、気持ちが楽になったり、健全な思考が呼び覚まされることで、脳に蔓延る人工的に作られたグロテスクな物体が破壊され、その中に埋もれた人間性が息を吹き返してくるような、そんな感覚を覚えるのです。今感じているのは、そんな、痛みなのです。

 

普通ってこういうことなのか……というのが、分かりかけているような気がします。物事を筋道立てて考えたり、落ち着いた感情をもったり、そういう当たり前の事が当たり前に出来ることが、まるで革命的なことのように思われます。こういう思考回路を持てるなら、そりゃ、みんな賢いはずだよ。自分が今までやってきたことは、一体何だったのだろう。社会システム上は勤め人になり、生物学的には大人になっているのだけれど、本質的には小学生ぐらいで成長が止まっていたのかもしれません。頭が冴えているので、そういう現実も見えてきました。私の父系を見る限り、明らかな発達障害の血が流れていて、先天的にもとても頭が悪いのですが、後天的に脳が破壊されている面もあるので、どこからが取り戻せるものでどこからが取り戻せないものなのか、全く分かりません。 しかし、強いものはより強く、弱いものはより弱くと、順方向のフィードバックが働くように出来ているこの資本主義の世界に生きている訳ですから、先天的に悪いものは後天的にも悪くなっていくのは当然の理で、どちらも含めて不可触民に定められた運命なのだと思うしか無いのでしょう。でも、今は少し前向きな気持ちになっています。