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刑事裁判の傍聴

裁判の傍聴というものを、体験してきました。場所は霞ヶ関・東京地方裁判所です。

 

▼裁判所の公式サイト。傍聴の案内が書かれています。

裁判所|見学・傍聴案内 傍聴の手引

 

霞ヶ関という所には初めて行ったのですが、官庁のある土地だけあって、ものものしい感じがしますね。外務省とか法務省とか掲げられた立派な建物を見ると、圧倒されてしまいます。日本でも屈指の優秀な人達が働いているのでしょうから、それを思うと、すれ違う人がみなデキる人に見えてきます。

 

裁判の傍聴は、事前の申し込みなく誰でも行うことが出来ます。裁判所の中にはスーツを着ていない人も結構いて、恐らくその多くが傍聴に来ている人なのだろうなと思います。今回見て来たのは刑事事件なのですが、傍聴席には人が一杯でした。熱心にメモをとる中高年の男性もいれば、主婦のグループやカップルもいて、1人で来ている法学部生風や、若い女性、老人など、本当に様々な人がいました。ちょうど夏休みの時期なので、中学生くらいの女の子も見かけましたね。裁判所に入る時には荷物検査もあって、かなり緊張したのですが、このように一般の人が沢山いるので、入ってからはそれほど戸惑うことなく裁判の傍聴が出来ました。

 

手を後ろに縛られた被告が法廷に入ってくる所を目の当たりにすると、やはり衝撃を受けます。罪を犯した人間が目の前におり、今まさに裁きを受けようとしている。弥が上にも身が引き締まります。なぜこの人はこの場に立たなければならなかったのだろう。なぜこの人は被害者を作らなければならなかったのだろう。その答えの一端が、これから行われる裁判で明らかにされていきます。

 

今回傍聴出来たのは、強盗未遂・麻薬・強制猥褻の3件です。何れも、被告は罪を認めていて、「なぜやってしまったか」「反省しているかどうか」「この後どう更生していくつもりなのか」という所が焦点になっていたようでした。弁護士と事前に打ち合わせをしているからなのか、被告は質問に対して一応筋の通った回答をして、しおらしく反省の色を伺わせます。それに対して、検事は矛盾点や不明点をビシバシと指摘していき、真実を炙り出そうとします。検事も弁護士も、とにかく弁が立つものですから、どちらの主張も尤もらしく聞こえて、素人にはとても判断出来る気がしません。両陣営ともに作戦をもって臨んできているでしょうし、真実はどこにあるのやら。法廷に様々な言葉が飛び交う中、じっと被告を見つめる裁判官の眼には、一体何が映っているのだろうかと気になりました。

 

今回見て来た裁判の被告は、全て前科がありました。強制猥褻の犯人などは特にそうだったのですが、みな生気が薄くなっていて、お奉行様を前にした町人のように、目の前の裁判官に対して面も上げられないといった様でした。口下手な被告が、厳しい検事の追及にシドロモドロになっているのを見ると、なんとなく、中学校の学級会で学級委員につるし上げられる問題児を思い出します。裁判長は先生で、傍聴人はその他の生徒たちと言った所で、弁護士がいるかいないかは大きな違いですが、ルールを破った者を裁くという意味では、学級会で見た光景と今目の前で行われている裁判とは本質的にそう変わらないのかなとも思いました。裁判というと極めて特殊な世界のように思っていましたが、同じ人間がすることである以上、自分が経験してきた世界ともどこかで繋がっているのだろうという感覚を受けました。

 

法廷を出た後、弁護士と被告・証人らのチームに遭遇することがありました。彼らは一仕事終えたように談笑しており、法廷での反省した面持ちとはちょっと違った様子なのを見て、何とも言えない気持ちになりました。その被告は、涙を流さんばかりに殊勝な反省の言葉を口にして、情に訴えかけるような答弁をしていたものですから、とりわけ違和感を覚えました。民事なら分からなくも無いですが、刑事事件の被告ですからね……。しかし、あれだけ緊迫した場を終えた後ですから、そうなるのも仕方ないのでしょうか。

 

短い時間でしたが、裁判の傍聴はとても良い経験になりました。社会を知るという意味でも勉強になりましたし、自分が正しいと思うことをどういう風に主張して行けば良いのか、それを他人が聞いた時にどういう所が矛盾に感じるのか、といったことも学ぶことが出来ました。裁判という、客観的な答えが存在しない中で行われる議論を聞いていると、人の運命を左右するだけの大きな力を持った場だけに、社会との関わり方も何となく分かってくるような気がします。学ぶことは沢山あると思います。今回は刑事事件だけだったので、機会があったら民事事件も傍聴してみたいと思いました。