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松田哲夫『中学生までに読んでおきたい哲学6 死を見つめて』

 

6死をみつめて (中学生までに読んでおきたい哲学)

6死をみつめて (中学生までに読んでおきたい哲学)

 

 

「死」についてのアンソロジーで、他人の死・自分の死・死とは何か・自殺・戦争など、様々な角度のエッセイや小品が収録されています。私は中学生ではないですが、頭脳や精神性にまだまだ中学生ぐらいの所があるのか、ちょうど良く読めました。死をどう受け止めるかは難しい問題ですが、このアンソロジーでは色々な話題・見解が載せてあるので、一つ一つの言葉に頷きながらバランスの良い考えを築いていく人も居れば、お気に入りの考えを見つけて自己の思想を強化する人、救いになるような言葉を探す人など、人により様々な読み方があるのではないかと思います。

 

本の題名は、「読んでおきたい哲学」となっています。哲学と聞くとどうしても思弁的なものをイメージしてしまいますが、収録されているエッセイは実体験に基づいた具体性のある話ばかりでした。文字通り哲学っぽい、観念的に死を捉える話もあるのですが、自殺や戦争といった現実の死の話の前ではどうしても霞んでしまう印象を受けます。決して難解な言葉を使うものばかりではなく、こういうエッセイだって哲学なのだと、「哲学とはどういうものか」についても何となく教えてくれる本でした。

 

どの話からも感じることがありましたが、特に思う所あったものについて書いてみます。

 

吉村昭「大人の世界」

小さい子供が亡くなった時、それが我が子の級友だったとしても、その葬儀に我が子を行かせるべきでないと戒めた話です。子を失った悲しみは、子を失ったものにしか分かりません。小さい子供を失った親が、元気に生きている他人の子を葬儀で見せられるほど辛いことは無いのだといいます。

 

「死」という重い内容を、どうやって子供に教えるか。なにせ大人ですら分からないことですから、それを教えるというのはとても難しい問題だと思います。筆者はどうやって教えたかと言うと、自分の子供に対して、ただ「葬儀には行ってはならない」とだけ言いました。理由は説明せず、ただ大人の世界とはそういうものだと教えるだけでした。理で説明しようとしても出来ないものはあります。自分が体験していないことを分かったように共感するのは失礼だし、同じ体験だって人によって受け取り方は様々です。だから、ただ「そういうものだ」とだけ伝えるシンプルな教え方は、思いやりがある良い教え方だと思いました。とりわけ、死という重いものであれば猶更でしょう。 

 

高見順「不思議なサーカス」

好きな一節を引用してみます。

病室の窓にわたした綱に
悲しみが
ほし物バサミでつるされている
なんべんも洗濯された洗いざらしの悲しみが
ガーゼと一緒にゆれている
ガーゼよりももっと私の血を吸った悲しみ

 

阿佐田哲也「自殺について」

死にたいと嘆いている人間に限ってまず死ぬことは無い。そう思っていた所、死にたがっていた友達が本当に死んでしまったという話です。

 

確かに、死にたいという気持ちを述懐出来る相手がいる内は、その人はまだ恵まれているような気がします。そんな恵まれた人間がわざわざ死ぬような事は無く、単なる弱気・甘えに見えることもあります。しかし、他人からどう見えようが、健全な心身であれば死など口にすることは無い訳で、死を口にしている時点で既にその人は死の淵に立っているとも言えます。そう考えると、自殺の周辺には心理的な問題があることは確かで、願わくば、死を望む人を真剣に受け止めてくれる人が周りにあって欲しいものだと思います。ただの弱音とみなして相手にしないのは余りにも残酷な事で、よし実際に死ぬことが無かったとしても、生き辛さの代償に誰かを犠牲にしたり、誤った道に入ってしまったりして、何らかの形で周りに死の種を撒くことは間違いないと思うからです。

 

河合隼雄「生まれ変わるためには死なねばならない」

自殺という考えを前向きに捉えようという話です。心理療法家である筆者は自らの臨床体験から、自殺の願望は本当に死につながることが多いので、危険であると言います。一方で、実際の死ではなく観念的な死を迎えることは、その人の新たな人生の始まりにつながるため、死と正面から取り組み合うことも大切だとしています。

 

多くの人を診て来た専門家の話、というのがポイントです。身体的な病気と違い、心の問題については誰もが一家言もっているものだから、とかく素人了見で処理されてしまいがちです。そういう民間療法で何とかなる人もいるかも知れませんが、そうで無い人にとっては悲惨な事にしかならないでしょう。だからこそ、専門家の話は重いし、よくよく勉強しなければならない事だと思います。個人の人生観とはまた別に、専門家の立場からはこういう知見があるのだと、知っておくことは大事だと思います。

 

全体を通して

アンソロジー全体の構成を見ると、身近な人の死に始まり、自殺・観念的な死・戦争の話とテーマが移り変わり、後に行くにつれて他人の死から自分の死へ、そして偶発的・自発的な死から避けられない死へと向かっています。出来るだけ多くの人が引っかかりを持つよう、様々な切り口の話が収録されているのだと思います。しかし、どこに引っかかりを持ったとしても、最後に戦争を置かれると、成す術も無い気がしてしまいます。他にどういう死があろうとも、戦争という人類規模の不可避の死を突き付けられると、それ以外の死などは余程甘い、取るに足らないことのように思われ、個人の感じ方の相違など吹き飛ばされてしまうかのように思えるからです。最後の最後には落語の「粗忽長屋」が配置されていて、これをもって深刻な気分を振り払うような終わり方になってはいます。しかし、それでも戦争の印象は強く残らざるを得ず、編者からの厳しいメッセージをそこに感じました。