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斉藤洋『ルドルフとイッパイアッテナ』

 

ルドルフとイッパイアッテナ

ルドルフとイッパイアッテナ

 

 

孤高に生きるベテランの野良猫・イッパイアッテナと、天真爛漫な野良猫見習いのルドルフとが出会い、生活を共にしながら成長していく様を描いた物語です。

 

トラックで見知らぬ土地に運ばれてしまった飼い猫のルドルフと、土地に住む野良猫のイッパイアッテナとが出逢った所から、物語は始まります。イッパイアッテナは少し変わった野良猫で、他の野良猫たちとはツルまずにいつも一人で生活していました。それが、どういう訳かルドルフには優しく、2頭は仲良く暮らすようになります。右も左も分からぬルドルフに対して、イッパイアッテナは師のように兄のように接し、野良猫として生きていくための術を教えます。ルドルフはイッパイアッテナから様々なことを学び、故郷の飼い主の元へ帰る方法を探します。

 

この物語には教養という大きなテーマがあります。イッパイアッテナはもともとは飼い猫であり、主人から文字を教えられていたため人間の文字を読むことが出来ます。そして、教養というものを大変重んじています。そのため、イッパイアッテナはルドルフに対して、文字を教えたり、知識を授けたり、学校の図書室に連れて行ったりして、何とか教養を身につけさせようとします。ルドルフが他の野良猫のマネをして汚い言葉を使おうものなら、血相を変えて怒ります。好きなルドルフが、無教養で下品な野良猫になってしまうのを許さないのです。

 

次のような印象深いシーンがありました。ある時ルドルフは、イッパイアッテナとは別の若い野良猫から、俠客のようなセリフを聴き覚えます。格好良いセリフを覚えて嬉しくなったルドルフは、イッパイアッテナの前で得々としてそのセリフを披露してみせます。汚れを知らぬ若いルドルフは、まだまだ茶目っ気が旺盛で、面白いと思ったことは素直に真似したくなってしまうのです。しかし、それを聞いたイッパイアッテナは、間髪を入れずルドルフを打擲し、物凄い剣幕で叱り付けました。全く躊躇いもないし、有無を言わせる隙も与えませんでした。ルドルフにとってはただのおふざけのつもりだったのですが、品のない言葉を使うということが、教養を尊ぶイッパイアッテナにとっては言語道断の振る舞いだったのです。この、言葉に対する信頼と無教養に対する容赦無さたるや、身が引き締まる思いがしました。

 

一方で、教養に対するこの作品の姿勢には違和感を感じる所もありました。教養を尊ぶということ自体は良いことのように聞こえますが、何のために教養を身につけるのかという理由については、自分が思っていたものと違っているように見えたのです。例えば、文字が読めるかどうかは教養の有無をはかる指標として扱われていますが、それでは文字が読めるとどうなるのかと言えば、献立のメニューが読めて美味い残飯にありつけるといったような、物質的利益につながることばかりが描かれています。教養とは得をするための手段であり、物資的な面で豊かさに生きられるから、教養を身につけるべきだということなのでしょうか。それはそれで大切な事だとは思うのですが、学ぶこと自体の嬉しさや楽しさに触れられないのは、少し寂しい気持ちもしました。

 

イッパイアッテナはルドルフに文字や知識を教えますが、喧嘩の仕方は教えないというのも引っかかる所です。喧嘩は野良猫世界で生きていくために必要なことなので、いずれ飼い主の元に戻るであろうルドルフには無用なものなのかもしれません。そう言えば道理は通りますが、イッパイアッテナの心中には、ルドルフを自分好みの純粋なルドルフのままにしておきたいという思いがあるように見えました。大事なのは教養で、野良世界で生きるために身につけたものは学ぶ価値のないものだという思いがイッパイアッテナにはあるようです。しかし、そう思い込んでしまって良いものなのでしょうか。喧嘩の仕方にせよ啖呵の切り方にせよ、野良世界でイッパイアッテナが逞しくも身につけた力は、現実に打ち克つための力であり、生きることの本質と決して離れたものではないはずです。教養を美化するあまり、イッパイアッテナはせっかくの自らの生を無にしてしまっているように見えます。

 

もとは飼い猫だったイッパイアッテナは、野良になって初めてスレた世界を知り、無教養を嫌う孤高の野良猫となっていきました。しかし、野良で生きていくためには侮られないためのポーズも取らなければならず、使いたくもない下品な言葉を敢えて使う時もあれば、暴力に及ぶこともありました。そのためにイッパイアッテナは、ノウノウと生きている飼い猫を嫌います。苦労を知らずに生活している猫を嫉妬しています。豊かな教養とは裏腹に、内面世界には無教養が根付いていたのです。

 

この物語は、イッパイアッテナがルドルフと出会い、嫉妬や狭量から解放される話だと思いました。故郷を離れた所で拾われ、無知の身に教養を授けてもらうのはルドルフの方なのですが、本質はイッパイアッテナの救済にあるのだと思っています。無邪気で寛容で、他者を信じる心を持っているルドルフは、イッパイアッテナにとってはかつての自分を思い出させてくれる存在でした。そうした共鳴しあえる相手に出逢えたことで、イッパイアッテナは初めて救済の道に辿り着きます。教養自体は、ルドルフと出会うずっと前から備えていたはずですが、いくら豊かな教養であっても、一人ぼっちの教養では救われることは出来ませんでした。

 

気になる所は多いのだけれど、イッパイアッテナも勉強中だと思えば救われます。無教養の中にあって教養を保つことは難しく、気高く生きようとしていたイッパイアッテナでも、野良猫たちから受けた傷が癒えぬまま野良としての生活を続けていく内に、ある意味でスレてしまっていました。それが、かつての自分の分身であり、同時に心を通じ合える友人でもあるルドルフという存在に出会ったことによって、本分を取り戻すことが出来たのです。孤独の罪深さや教養という道の険しさを、この物語から学ぶことが出来ました。