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ミホノブルボンの死

少し前の話だけれど、ミホノブルボンが死んだというニュースがあった。享年28歳、人間にすると100歳近くだから、大往生だ。

 

大好きな馬だった。平成はじめの頃の馬だから、もちろん現役時代は知らないのだけれど、とにかく異色の馬だから興味深くて、ブルボンを育てた戸山為夫調教師の本を読んだりしていた。そして、この馬のキャラクターに強く惹かれた。

 

当時つけられたキャッチコピーが「スパルタの風」。血統は良くなかったのだけれど、スパルタトレーニングによって強くなったから、こう呼ばれた。人工的に作られた馬なので、「サイボーグ」などとも言われていた。小さい頃から古馬と同じレベルの調教をこなしていたというのだから、それはもうブルボンに課された調教は過酷なもので、普通の馬の2倍3倍の量は当たり前だったらしい。本来はスプリンターなのに、3000mの菊花賞まで走っていたというのだから、今の競馬を考えるとすごいことだ。

 

スパルタ調教には賛否両論あって、ミホノブルボンの陰には過酷な調教に耐えられず潰れていってしまった馬が沢山いた。そして、ブルボン自身もボロボロだったのか、菊花賞を終えた後にはもう走ることが出来ず、四歳で引退に追い込まれてしまった。

 

それでも、「鍛えて名馬を作る」という思想は魅力的だった。血統が全てと言われるサラブレッドの世界だからこそ、かつてこんな馬がいたんだ、ということが希望に思えた。人工的に強くなった名馬だから、ブルボンは種牡馬になっても結果を出せず、血統を後世に残すことは出来なかった。だが、ブルボン一代においては、日本ダービー制覇という全ての競争馬の頂点に立つ偉業を成し遂げる事が出来た。

 

生き物は自身の血統から逃れることが出来ないし、生まれ持った才能の問題はどこへ行ってもつきまとう。「生まれ変わったらディープインパクトの子供になりたい」と言いながら自殺していった中学生の話は、あまりにも強烈で忘れられない。実際、ディープの子供は強くて、数字を見ると他の種牡馬との差は歴然としている。強いディープには強い牝馬が宛がわれるのだから、その差はますます広がってゆくばかり。血統は、残酷だ。

 

血にまつわる呪いを、個人の力、意志の力で乗り超えられるとブルボンは教えてくれた。乗り超えられないことの方が圧倒的に多いけれども、一縷の望みを示してくれた。現実問題、良血馬は確かに強いし、勝負ではそちらに賭けざるを得ない、というのはある。しかし、何億円もかけて良血馬を買って、一流の調教師・一流の騎手をつけて、レースではラビットをつけて勝ってと、そればかりが現実の姿だったら、あまりにも現実が空虚すぎる。現実を認識することと、理想を信じることとは別の話。涙を流しながら調教に耐え、「名馬は作れる」という、一つの理想を実現してくれたミホノブルボンのことは、これからも語り継いでいきたい。

 

栄光と転落は紙一重

2/25(土) 総武ステークス・アーリントンカップ

中山のメインレースはダートのオープン戦・総武ステークス。

 

ダートは重賞の数が少ない分、単なるオープン戦であってもレベルの高い馬が揃うのは珍しくないのだが、このレースにはピオネロ・モンドクラッセセンチュリオン・バスタータイプと、いつにも増して強力なメンバーが集った。

 

このレースでは、異常に勘が冴えた。

これしかない!という買い方が見えた。

かなり強気に買ったら、狙い通り正確に的中。

何と、12万円の払い戻しがあった。

しかも、阪神のメインレース・アーリントンカップでも、本命ペルシアンナイトが圧勝した。

払い戻し金のあまりの額面の大きさに、頭がクラクラした。

 

 

2/26(日) 中山記念阪急杯

武豊の弟・武幸四郎の引退レースの日だった。こういう、何か特別なことのある日は、決まって変わったことが起こるので警戒が必要なのだが、この日は前日の大勝利ですっかり呆けてしまっていた。

 

中山のメインレースは、準GIとも言うべきスーパーGII・中山記念で、昨年度ドゥラメンテと競り合ったアンビシャスとリアルスティールが人気を二分、これに対抗するのが、秋華賞馬のヴィヴロスと中山巧者のツクバアズマオーという構図だった。人気馬が強く、手堅く決まるレース……のはずだった。

 

しかし、このレースの鍵を握ったのは、大物食いで悪名高いネオリアリズムロゴタイプだった。モーリスを討ち取ったダークホース2頭がここでも「らしさ」を発揮し、開幕初週の綺麗な馬場をするすると走り抜け、人気馬たちを尻目にネオリアリズムが1着、ロゴタイプが3着を奪っていった。

 

さらに、サクラアンプルールという謎の上がり馬がまさかの大激走で2着につけたことから、何とリアルスティールとアンビシャス両方ともが圏外に飛ぶという異常事態になってしまった。現地の中山競馬場は、さぞかし阿鼻叫喚の地獄絵図だっただろう。

 

阪神のメインレース・阪急杯でも、ひとり勝ちかと思われた単勝1倍台のシュウジがまさかの大敗。シュウジよ、お前もか……。特に理由らしい理由もない、謎の大敗であった。幸四郎が勝ったのならまだ納得もゆくが、幸四郎も大敗した、奇妙なレースだった。

 

中山の本命をリアルスティール阪神の本命をシュウジとしていたので、この日は大負けだった。

 

ダメだ。安田記念ジャパンカップも、リアルスティールは何度買っても勝てない。

 

手堅いレースと踏んで結構強気に賭けていたものだから、前日の勝ちは全て溶けてしまった。かろうじて前日の勝ち以上には負けなかったが、この週末は、プラマイゼロで終わっていった。

 

 

……夢を見たような週末だったが、不思議と負けた後悔はなかった。

むしろ、これこそが競馬なんだと思った。

十数万の勝ちをふいにしてしまったのは、どうでも良いさ。どうせ泡銭だから、身につかない。

 

けれど、もっと貴重な体験をしたような気がする。或る日突然、大勝ちしたと思ったら、翌日には大負けして全てを失う。ここまで有為転変の真理をストレートに突き付けられることは、ふつう無いと思う。安定などどこにもなくて、栄光と悲惨は紙一重の所にあることを、競馬は嫌という程わからせてくれる。

 

世界のGIで優勝したリアルスティールが、ついこの間条件戦を突破したばかりのサクラアンプルールに敗れてしまう。勝つ馬、負ける馬、それぞれいるけれど、勝負はその時々の水もので、例えその場で勝敗がついたとしても、見た目に見えているほど、力の差は実はなかったりする。どんなに強そうな馬でも負ける時は負けるし、成績不振の馬にもチャンスはある。

 

こういうレースを見ていると、人間には測り知ることの出来ない、もっと大きな運命の存在を感じる。

  

そうして、また少し、成功にも失敗にも寛容になれるようになった気がするのだった。

勝つのも楽しいけれど、しみじみと競馬の良さをかみしめられるのは、実はこういう時かも知れない。

リチャード・アダムズ『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』

 

ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち (上) (評論社文庫)

ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち (上) (評論社文庫)

 

 

故郷の村を抜け出した若い野うさぎ達が、知恵と勇気と個性を武器に、未知の山河を駆け巡り、人間や天敵、他の村のうさぎ達など、様々な相手との戦いを乗り越え、ウォーターシップ・ダウンの地に新しい村を創り上げていく物語です。

 

すごい物語だった。野生の世界で死闘を繰り広げるうさぎたちの格好良さに、驚かされっぱなしでした。とにかくもう、野生のうさぎの世界は壮絶です。人間やキツネ、猫など、外敵に殺される死の危険とは常に隣り合わせであり、一日一日を無事に終えるだけでも必死です。それゆえに読者も、うさぎの愛嬌に癒されている暇はまるでなく、先の読めない野生の世界の過酷さにハラハラドキドキするばかりです。負傷なんかは日常茶飯事で、仲間割れもしょっちゅうだし、恐怖のあまり「サーン状態」と呼ばれる恐慌に陥ってしまうこともあるし、時には仲間が命を落としてしまうこともあります。そんな不安定な環境の中にあっても、決して諦めたりすることなく、原野を開拓し、巣を作り、繁殖のため他の村からメスを奪い、荒々しく逞しく新しい村を創造していく若いうさぎたちからは、本当に多くのものを感じることが出来ました。

 

児童向けの物語なのだけれど、文庫本で上下二巻と、かなりボリュームがあります。そして、内容もボリュームに劣らず重々しく、一見単純なうさぎの習性に起因するような出来事にも、嫉妬や臆病、功名心など、人間の持つ悪徳と同じものが仄めかされていたり、数々の失敗や危機からは、チームで協力することの難しさを嫌という程思い知らされるようになっていたりと、深い人生経験がふんだんに託し込められたような、荘重さ・重厚さが感じられます。「上士」とか「大哨戒」とか、独特な味のある漢語がちりばめられていたのも、重々しく格好良かったです。各章の冒頭には有名な古典文学の文句が引用されており、その章で起きることを暗示するようになっているのですが、こうした格言じみた古典の断章はとても思わせぶりで意味深で、うさぎたちの軌跡と人類の叡智とが一体になるように感じられ、重厚さにますます拍車がかけられていました。

 

主人公のヘイズルたちは、故郷を離れた後に、自分たちとは違った文化をもつうさぎを知ることになります。自然との戦いや外敵との戦いも大変なのだけれど、一番印象に残るのは、こういった他の文化のうさぎたちとのぶつかり合いです。ヘイズルたちが出会ったうさぎの中には、生かさず殺さずの絶望に閉ざされ、マインドコントロールを受けたかのように虚ろなうさぎたちもいれば、生きる術を持たない弱々しい飼いうさぎもおり、外敵よりも上官を恐れる、まるでソ連軍のように鉄の規律で鍛え上げられた屈強のうさぎたちもいたりします。この世界で生きるためにうさぎたちが選んだ道、選ばざるを得なかった道は、実に様々です。

 

ヘイズルたちは、はじめは寄せ集めみたいなものです。未知のうさぎに出会った時は、相手がどんなうさぎかもわからないし、何をされるかもわからないから、不安や戸惑いを感じてしまいます。ヘイズルたちにとってみれば、出来上がった組織には、自分たちにない強みがあるので、余りにも巨大に見え、打ち拉がれる気持ちになります。しかし、そこで屈服してしまうのではなく、相手の習性をよく見極め、自分たちに何が出来るのか、懸命に考えて挑んでいくのがヘイズルたちです。規則を持って動くうさぎたちは整然としていて非常に強力ですが、規則的であることには弱みもあり、逆に利用する余地もあります。無力なヘイズルたちが融通無碍に知恵を巡らし、困難を克服していく姿からは、大きな勇気を与えられるし、学ぶ所も多かったです。

 

ヘイズルやファイバー、キハールなど、個性的で魅力あるキャラクターは多いですが、何だかビグウィグが一番面白かったですね。最初のうちは、どうもヘイズルにとって敵とも味方ともつかないような所があって、面倒くさい先輩を抱え込んでしまったなあとしか思えなかったのですが、冒険を重ねるにつれどんどん成長して行きました。もともと血の気が多いもので、ことがあると真っ先に飛び出して行き、いつも満身創痍で凄絶で、始終かたわらに死の影を漂わせているようなうさぎでしたが、対エフラファ戦の頃になると印象がガラッと変わります。エフラファの村からメスを強奪するため、ビグウィグはスパイとして村に潜入するという大役を任されるのですが、ここではそれまでの気性の悪さはすっかり鳴りを潜め、実に器用に役目を果たします。当然相手も手ごわくて、危うく身元を感づかれそうになり、ギクッとする場面は何度もあるのですが、その度に機転を効かせて、際どく危機を乗り切ってゆきます。こうした意外な方面での活躍は、敵中にあっても動じない度胸の良さもさることながら、ビグウィグが決して蛮勇だけではない、知勇兼備のうさぎなのだということを正しく証明していました。

 

そしてなんといってもこの場面、抑圧され辱められる反逆者・ブラッカバーを、意地でも助けようとするビグウィグの侠気が素晴らしかったです。決して自分の身だけを考えることをせず、その瞬間の怒りや義憤を大事にし、直情径行に突き進んでいくところが本当に良かったですね。助けたら助けたで、その後は優秀なブラッカバーに嫉妬して意地悪をするというのも同じビグウィグなのですが、そんな欠点も愛嬌に思えてくるくらい、戦地で魅せる勇敢さには惚れ惚れさせられました。しかも、こんな活躍を見せた上でもなお、ビグウィグの奮闘は終わりません。ラストには、さながら長坂橋の張飛のように、皆を守るため一人敵前に立ちはだかり、怪物・ウーンドウォートと流血の一騎討ちまで繰り広げるというのだから、本当に物語の後半はビグウィグの見せ場たっぷりで、むしろヘイズルよりも主人公らしく見えてくるほどでした。

 

ことほど左様に、この作品のうさぎたちは格好良く、逞しいのですが、もちろん弱いところも沢山あります。野菜畑を見つけたら、命の危険があると分かっていても盗みに行かずにはいられないし、ブーブー文句を言ったりグズグズすることも多いし、長い旅路の末にようやく住処を見つけたと思ったら、今度はメスを巡って喧嘩しだすというような、浅はかなこともします。カウスリップの村のうさぎもエフラファのうさぎも、はた目にはおかしな所もあるけれど、ヘイズルたちにとっても決して他人事ではありません。けれども、自分たちのもつ習性に振り回されざるを得ないうさぎたち、この無垢でもなんでもない生身のうさぎたちは、その脆さや儚さゆえにかえって一層愛おしく感じられるし、動物だから極端に見える所もあるけれど、そこは畜生の浅ましさ、本質的には人間と変わりないと思うのです。

 

価値観は、賛否両論あるかもしれません。メスは奪い合うもので、飼いウサギは情けないもので、野生の世界で生きられる逞しさ、とりわけエル・アライラーのようなズル賢さを持つのが良いという価値感は、そのまま人間に当てはめるのは古すぎるかもしれません。ヘイズルの仲間たちの関係性を見ていると、臆病と思われるのを何よりも恥じていて、名誉のためにみんなが切磋琢磨しあっていて、どこかでこういうのを見たことあるなと思ったら、『飛ぶ教室』の友情がこんな感じだったなと思い出しました。このリチャード・アダムズと言い、ケストナーと言い、ヨーロッパの大戦を間近に見て来た人たちの物の捉え方には、どこか通じるものがあるのかな。エフラファのうさぎたちのあまりの恐ろしさに、勇敢なビグウィグですら心変わりしそうになったりブラッカバーの救出を諦めかけたりしましたが、そんな時に辛うじてビグウィグを支えたのは、仲間から怖気付いたと思われたくない、という名誉の気持ちでした。命がけの使命に立ち向かっていく時、こういう価値観がないとやってられない、というのもあるのかも知れません。

 

それはともかく、習性に振り回されながらも、各々がうまく折り合いをつけられるよう努力し、なおかつ仲間の習性ともうまく合わせていこうとする姿勢は、暗黙のルールや鉄の規律で秩序を保っていた他の村とは違う、ヘイズルたちの優れた所であったと思います。習性は命取りにもなりますが、うさぎがより良く生きるための原動力にもなります。ヘイズルの功名心がかえって良い方向に転ぶこともあったし、あの恐ろしいウーンドウォートの抑圧から抜け出すための原動力になったのも、ほかならぬハイゼンスレイたちの「穴を掘りたい」という習性でした。もって生まれた性質や、やむに已まれぬ性質は仕方が無いとして、そこに向き合っていけるかどうか、巣穴を抜け出す勇気があるかどうかで、どんな英雄にもなれるし、どんなつまらない者にもなれる。新しい村の創造という大仕事を成し遂げたヘイズルたちはみな立派な英雄で、ゆくゆくはエル・アライラーやラブスカトルのように、神話になって末永く語り継がれることでしょう。小さな野原にキラリと光る、露の命のうさぎたちの、ロマンあふれる夢の足跡が忘れられない物語でした。

ルイス・サッカー『穴』

 

穴 HOLES (ユースセレクション)

穴 HOLES (ユースセレクション)

 

 

グリーン・レイク・キャンプという砂漠の矯正施設に無実の罪で放り込まれた中学生・スタンリー=イェルナッツが、過酷な労働や「ゼロ」と呼ばれる少年との出会いを通して、逞しく成長していく物語です。

 

イジメられっ子の子供が冤罪で砂漠まで送還され、悪人たちに虐待・酷使されるという、設定だけ見るとひどいものですが、のんびりした主人公・スタンリーのおかげで雰囲気は明るく、笑いもユーモアもあります。砂漠での生活は悪いことばかりでもなく、一面に冒険の楽しさもあって、焼け付く暑気とタマネギの臭いとが、気持ち良く肌に染み込んでくるような作品でした。

 

見所は、何と言ってもスタンリーとゼロの逃避行の場面です。この場面は、物語の山場でもあるのですが、同時にとても独特で楽しい所でもありました。キャンプを脱走したスタンリーとゼロの二人は、飢え死に寸前のところを謎の野生のタマネギ畑に救われて、それから生のタマネギをバリボリと貪って元気を取り戻していきます。何もない山の中では食べるものと言えばタマネギだけで、再びキャンプに戻る時のお供ももちろんタマネギだし、斜面からごろごろとこぼれ落ちて行った実も、丁寧に一つ一つ拾って食べます。これだけタマネギづくしだと、読んでいる方も条件反射で嫌でも味覚や嗅覚がピリピリとして来て、無性にタマネギが恋しくなって来ます。本書を手に取ったのは一月も終わりの寒い時期で、砂漠の暑さには遠かったけれど、タマネギへの思いはやまず、スーパーでタマネギを買って来て、生でかじってみて、生タマネギの旨さに思いがけず覚醒したりすることが出来ました。

 

グリーン・レイク・キャンプでの生活は、刺激的です。炎天下での過酷な肉体労働に従事したり、貪るように生のタマネギを食らったり、数百年前の桃のジュースで命を繋いだりと、およそ都会の生活とは正反対な、汗臭く野性味のある世界が広がっています。こういう、五感をふんだんに活用するような物語からは、迫力あるエネルギーを感じます。過酷だけれども陰気な苦しみはなく、目の前の自然との戦いに集中できるというのは、神経症的な辛さより少なくとも前向きだし、ある意味で健全に見えました。それは、不本意に収容された主人公のスタンリーにとっても同じことで、ある時から、嫌な連中のいる中学校より今の生活の方が実は結構充実していることに気付きます。閉塞感を感じ、自分の今いる場所ではないどこかを探している人にとって、例えいくらか泥臭くあっても、労働の充実感を感じられる環境が良いというのは、本当にその通りだと思います。

 

スタンリーとゼロとの友情は、結果的には良いものに育って行きましたが、気にかかることも多かったです。なぜなら、ゼロの方の負担が大きすぎるからです。ゼロの存在は、スタンリーにとっては大変に都合の良いものです。自分より不幸で、馬鹿にされていて、自分がものを教える立場にあり、辛い労働の肩代わりまでやってくれる。ゼロからすると、最初に文字を教えて欲しいと頼んだ時、すげなく断ったスタンリーは、そこそこ感じの悪い奴に映っていたのではないかと思います。X線の頼みだったら断らないくせに、という思いが頭を過っていたかもしれません。しかし、空っぽと言われ何度も何度も悔しい思いをしてきたゼロは、どうしても読み書きができるようになりたいし、スタンリーには冤罪を被せてしまった負い目があるから、そう無理は言えません。勢い、献身的になってしまいます。

 

頭の悪さを笑われることに敏感なゼロの、スタンリーの会話でも折々に見せる険しい顔つきは何とも言えませんでした。優れた資質を持っているにも関わらず、教育を受けられなかったばかりに浴びせられる嘲笑の数々に、この子が今までどれだけ傷つけられて来たことか。勿論、スタンリーが意識的に馬鹿にしにきているのではないことは分かっているでしょう。しかし、意識的ではないからこその、ナチュラルに見下されている感覚は、相手が仲良くなれそう子だけに、一層堪らなかったと思います。

 

ゼロに穴掘りをさせるスタンリーに対して、周りの子供が「白人が黒人を使役している」と揶揄して来ましたが、これはかなり鋭い指摘に見えました。教える体力を残しておく必要があるからとスタンリーはゼロに穴掘りをさせますが、無論教わる方だって体力がいるし、穴掘りが得意とは言え、スタンリーよりせいぜい数ヶ月早くこの地に来ただけのゼロにとって、二人分の穴を掘るのは決して楽ではないはずです。それでも、暴発寸前にまで追い詰められていたゼロに選択肢はないから、そうせざるを得ませんでした。施設の子供たちは、悪いことをしつつも意外とすぐに謝ったり埋め合わせをする潔さは持っていたので、頭の良さを使って主従関係をシステム化しているスタンリーのことは、本能的にさぞかし憎たらしく見えたことでしょう。あのままゼロが行方不明になってしまっていたら、スタンリーの後悔も計り知れないものになっていたと思います。

 

スタンリーは、ゼロと出会い、ゼロを救うための困難を乗り越えることで、身心ともに大きく成長してゆきました。ゼロも救われたし、それまで散々な目にあって来たスタンリーも救われたので、結末は幸せでした。しかし、スタンリー目線での救いは、こういう形でしか現れ得なかったのかなと、引っかかる気持ちもあります。「可哀想な黒人の孤児を助けてあげる」という体験は、自分を助けるためではなく、苦しんでいる他人を助けるために頑張るという面を見ると、自己犠牲的で崇高なようにも見えます。しかし、本来自分自身が救われる必要のある人が、他の人の救済に関心をもつという事には、どこか危うい感じを覚えるのです。『ライ麦畑でつかまえて』で、ボロボロに打ちのめされた主人公が、崖から落ちそうな小さい子供を助けるライ麦畑の番人になりたいと願う場面があったのを思い出します。人は、苦しみを抱えきれなくなってくると、自分よりも他人を救うことに関心が向かうことがあるようです。しかし、そういう時に、その人が本当に他人を救いたいと思っているのかどうかは疑問で、抑圧された支配欲が歪んで現れて、善の衣を纏っているだけのような、そんな危うさも感じるのです。自分自身の心の動きにも思い当たることがあるし、かつて出会った、教師でもないのに嫌に教育に関心をもっていた或る人の事を思い出すと、何か胡散臭かったなと思うのです。ゼロが白人だったとしたら、ゼロが読み書きが出来ていたとしたら、果たしてこの物語は成り立っていたのだろうか。

 

しかし、苦しみや悲しみを抱えた人が、弱い者を虐げようとする場合もあるし、多分その方が多いと思うので、他人の救済を願うことや他人を助けることで自分も救われるという体験は、少なくとも良い面があることは確かです。心の動きの正体はあまりにも複雑すぎて知ることは出来ませんが、スタンリーとゼロ、何はともあれ目の前にいる二人の苦しみが無事取り除かれたので、とても良いハッピーエンドだったと思います。

 

生きることは痛みを知ること

コッペリアの鼓動 生きることは痛みを知ること

脱ぎ捨てた靴を もう一度踏み鳴らし迷わず歩きだす

――ALI PROJECTコッペリアの柩」より

 

 『悪童日記』に触発され、身体を鍛えようと朝晩に冷水を浴びる訓練をここの所ずっと続けていたが、最近になって身体に変化が見え始めた。

 

はじめの内は、身体の方が強い拒絶反応を示していた。冷水を浴びた後に温かい風呂に入ったりすると、全身が異常にかゆくなり、たまらずガリガリと身体を搔きまわしていたが、これは急な寒暖差によって起きる一種の蕁麻疹らしく、慣れない冷水を浴びて血管がボロボロになっているせいで、掻いた箇所では派手に内出血が起こり、一週間ぐらい真っ赤な掻き跡が消えず、特に二の腕や太ももの荒れ様はひどいものだった。それが、最近は痒みも感じなくなって来て、冷水と温水を交互に浴びていても、平気になった。

 

それから、皮脂が出にくくなった。これは、スーパーで買い物をしていた時に、たまたま気が付いたことだ。ある日、会計を済ませてレジ袋に商品を詰めようとすると、指がすべって袋が全く開かず、最初はそういう時もあるよなと気にも留めなかったのだが、それ以降毎回毎回指がすべって袋が開けないので、なにかおかしいと異変に気が付き始めた。冬で肌が乾燥しているとは言え、例年こんなことは無かった訳だし、改めて自分の手のひらを検めてみると、自分の身体の一部にもかかわらず、こんなものだったろうかと首を傾げたくなるぐらい、意外にサラサラしていて冷たい。ネットで調べると、皮脂を出にくくするというのは、冷水の効果の一つらしい。皮脂が少なくなることで、体臭が抑えられるとか、髪の毛に優しいとか、良いことづくめらしいが、どこまで本当かは分からない。けど、自分でも、ベトベトしているよりかはこの方が気持ちが良いと思う。

 

自分の身体に対して、透明感を感じるようにもなった。毎回毎回、冷水を浴びる直前は勇気が必要で、こればかりはまだ全然慣れないのだけれど、 浴びてしまえばひんやりと心地よく、身体の濁りが洗い流されてゆくような充実感がある。そして、毎日続けていると、冷水を浴びないと居心地が悪いぐらいの感覚になって来る。外に出かけても、暖房の利いた建物の中よりかは、寒風が身体を突き抜けていくような青空の下が気持ちよく、自分の身体が透き通って、冬という季節に溶け込んでいくような感覚が自然と好ましく感じられるようになって来た。やっぱり、冬は寒くなくちゃいけない。冷水を浴びている時、北風に吹かれている時、洗い物をしている時、雑巾がけをしている時など、濁りや淀みのない生命の実感が、身体の芯から湧いてくる。

 

こんな感じで、冷たい水を浴びることには気持ちも身体もだいぶ慣れて来たので、今は、頭から冷水シャワーをかぶり、何秒耐えられるかに挑戦している。脳細胞が死んでいく痛みなのか、しばらく浴びていると頭にキリキリした激痛が走り、まだ30秒ぐらいしか耐えられない。でも、考えてみれば、滝行などやっている人はもっと長い間浴びているはずだから、これも慣れれば耐えられるようになるのだと思う。

 

私は自律神経が弱く、長らく心療内科に通っていたりしていたので、こういう風に修行の真似事をしてみたり、坐禅をしてみたりと、肉体を鍛えることが一番ストレートに自分の成長を感じられて良いです。 

 

明けましておめでとうございます

2017年になりました。今年もよろしくお願いします。

 

日頃思っていることを書くことで発散したり、読書感想文を共有したくて昨年からブログをはじめました。「書く」ということに対する自分自身への課題という意味も大きかったものですから、公開すると言っても、何かの拍子にここを訪れた人が多少なりとも共感したり暇つぶしにしてくれればそれで良い、くらいの気持ちで当初はいました。が、やはり何だかんだと言ってもアクセスがあるのは嬉しいものでした。拙いブログではありますが、今まで見てくださった方々、本当にありがとうございました。

 

近況ですが、『悪童日記』の双子の真似をして、感覚を殺す訓練をしています。冬なので、まずは寒さに強くなろうと思い、朝と夜に冷水を浴びています。毎回毎回、かなりの勇気を振り絞る必要があるのですが、一度浴びてしまえば後は意外と平気なもので、むしろ浴びる前よりも身体が温かくなっているぐらいです。健康にはとても良いらしいです。それから、部屋の中にいる時は、寝る時以外は部屋中の窓を全開にし、サーキュレーターを回して室内を外と同じ温度にして過ごしています。格好は半袖です。これも、最初は辛いのですが、寒さに負けないよう掃除したり筋トレしたりと、何かと身体を動かすようになるので、部屋を暖かくしている時よりもダラダラしなくなって良いです。

 

案外、寒さには早く慣れてしまいました。小学生の頃は、冬でも半袖短パンでいたような人間なので、実はこういうのは得意なのです。あらかじめ、虐げられたり痛めつけられたりすることを想定して、身体が作られているのだなと思います。体力や打たれ強さはあればある程良いので、さらに人工的に強化していこうと思っています。

 

正月には帰省していました。10年以上顔も合わせていなかった兄と顔を合わせ、少し話をしました。顔を合わせていなかったと言っても、クラウスとリュカのように生き別れた訳ではなく、仲が悪かったというだけなのですが……。今までずっと、鉢合わせにならないようにならないように神経を尖らせていたので、顔を見た途端しまった!と思ったのですが、実は偶然鉢合わせた訳ではなく、兄の方から歩み寄り、話をしに来てくれたのでした。それで、ものすごい照れを感じながらも話をすることが出来ました。

 

実は、年末には弟と久々に会うこともありました。弟の方とも仲が悪かったので、久しく会っていなかったのですが、こちらも弟の方から歩み寄って来てくれたような形でした。以前少し書きましたが、弟は就職先が危うくて、大丈夫かな……と心配していたのですが、今は無事に働いていて、家を出て一人暮らしをしているとのことでした。良かった。

 

皆大人になっているのだなと思いました。社会不適合者の問題児のまま、生き辛さを感じているのは自分だけだな。勿論、みんなそれぞれ苦労があって、頑張っているだろうけれども、ちゃんと成長して余裕が出来てきているのが分かって良かったです。苦手だったとは言え家族のこと、うまく行っていないよりもうまく行っている方が安心するものです。自分一身に関しては、忍耐力を鍛えてGの如くしぶとく生きていこうと思っているので、金づるになっても何でも良いし、それよりかは身近な人の不幸の方が、自分ではどうしようもない分、嫌だったのです。

 

年明け早々、和解があって、長年気にかかっていたことが解決して良かったです。初詣にはまだ言っていませんが、おみくじはきっと良い運勢が出てくるだろうな。

 

ラブリーデイ引退

ラブリーデイが引退したらしい。突然の知らせでびっくりした。まだ6歳、老いたとは言えタフな馬だったから、まだまだ現役で活躍してくれるものと思っていた。今年に入ってからはあまり成績が振るわず、大敗はしないものの4着ばかりという、なんとも馬券購入者泣かせの成績であった。それでも、宝塚記念天皇賞秋と、GIを2勝もしているので、めでたく種牡馬入りが決まったようだ。

 

私が競馬を始めたのは去年の7月ごろのこと。夏競馬で色々と勉強が出来たので、秋のGIのシーズンにはすっかり競馬に夢中になっていた。2015年の秋のGI戦線と言えば、主役は何といってもラブリーデイだった。一応、このときはゴールドシップも現役だったのだけれど、すでに力を使い果たしてしまっていた感があったので、ラブリーデイが現役最強の名を恣にしていた。世代のレベルが低いとか、ラブリーデイはそれ程強くないとか、色々言われていたけれども、自分にとっては初の王道古馬GIで目にしたラブリーデイの存在は圧倒的で、1番人気で出走した天皇賞秋での、堂々たる先行策と直線での着実な抜け出し方は、あれほど安心して見ていられるレースは無かったと今でも思うほどだ。馬券的にも、京都大賞典天皇賞秋・ジャパンカップと、大変お世話になった。

 

それにしても、競馬の世界の移り変わりは速く、激しい。去年の今頃なんて、まさかキタサンブラックが現役最強馬になっているとは思わなかったものなあ。母父サクラバクシンオーだから菊花賞は無理だと言われていたし、勝った後もフロック視されていて人気は低かった。それが今や、オールスターのそろう有馬記念で押しも押されぬ1番人気、ファン投票でも1番人気だ。2015年のクラシック世代と言えばドゥラメンテだったけれど、引退してしまった。それを思えば来年の今頃は、サトノダイヤモンドマカヒキが引退して、レインボーラインマウントロブソンが最強馬と言われていたとしても全くおかしくない。

 

去年の秋に活躍していた馬と言えば、ラブリーデイだけでなく、ショウナンパンドラも引退した。ストレイトガールも引退した。モーリスも引退するし、リオンディーズも、ホッコータルマエも引退だ。1年前はこれだけ綺羅星のように輝いていた名馬たちも、あっという間にいなくなってしまうのだなあ。明後日の有馬記念キタサンブラックマリアライトゴールドアクターなど、豪華なメンバーが出てくるが、このメンバーが一斉に走るのを見られる機会は二度とないと思って、真剣に見よう。