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生きることは痛みを知ること

コッペリアの鼓動 生きることは痛みを知ること

脱ぎ捨てた靴を もう一度踏み鳴らし迷わず歩きだす

――ALI PROJECTコッペリアの柩」より

 

 『悪童日記』に触発され、身体を鍛えようと朝晩に冷水を浴びる訓練をここの所ずっと続けていたが、最近になって身体に変化が見え始めた。

 

はじめの内は、身体の方が強い拒絶反応を示していた。冷水を浴びた後に温かい風呂に入ったりすると、全身が異常にかゆくなり、たまらずガリガリと身体を搔きまわしていたが、これは急な寒暖差によって起きる一種の蕁麻疹らしく、慣れない冷水を浴びて血管がボロボロになっているせいで、掻いた箇所では派手に内出血が起こり、一週間ぐらい真っ赤な掻き跡が消えず、特に二の腕や太ももの荒れ様はひどいものだった。それが、最近は痒みも感じなくなって来て、冷水と温水を交互に浴びていても、平気になった。

 

それから、皮脂が出にくくなった。これは、スーパーで買い物をしていた時に、たまたま気が付いたことだ。ある日、会計を済ませてレジ袋に商品を詰めようとすると、指がすべって袋が全く開かず、最初はそういう時もあるよなと気にも留めなかったのだが、それ以降毎回毎回指がすべって袋が開けないので、なにかおかしいと異変に気が付き始めた。冬で肌が乾燥しているとは言え、例年こんなことは無かった訳だし、改めて自分の手のひらを検めてみると、自分の身体の一部にもかかわらず、こんなものだったろうかと首を傾げたくなるぐらい、意外にサラサラしていて冷たい。ネットで調べると、皮脂を出にくくするというのは、冷水の効果の一つらしい。皮脂が少なくなることで、体臭が抑えられるとか、髪の毛に優しいとか、良いことづくめらしいが、どこまで本当かは分からない。けど、自分でも、ベトベトしているよりかはこの方が気持ちが良いと思う。

 

自分の身体に対して、透明感を感じるようにもなった。毎回毎回、冷水を浴びる直前は勇気が必要で、こればかりはまだ全然慣れないのだけれど、 浴びてしまえばひんやりと心地よく、身体の濁りが洗い流されてゆくような充実感がある。そして、毎日続けていると、冷水を浴びないと居心地が悪いぐらいの感覚になって来る。外に出かけても、暖房の利いた建物の中よりかは、寒風が身体を突き抜けていくような青空の下が気持ちよく、自分の身体が透き通って、冬という季節に溶け込んでいくような感覚が自然と好ましく感じられるようになって来た。やっぱり、冬は寒くなくちゃいけない。冷水を浴びている時、北風に吹かれている時、洗い物をしている時、雑巾がけをしている時など、濁りや淀みのない生命の実感が、身体の芯から湧いてくる。

 

こんな感じで、冷たい水を浴びることには気持ちも身体もだいぶ慣れて来たので、今は、頭から冷水シャワーをかぶり、何秒耐えられるかに挑戦している。脳細胞が死んでいく痛みなのか、しばらく浴びていると頭にキリキリした激痛が走り、まだ30秒ぐらいしか耐えられない。でも、考えてみれば、滝行などやっている人はもっと長い間浴びているはずだから、これも慣れれば耐えられるようになるのだと思う。

 

私は自律神経が弱く、長らく心療内科に通っていたりしていたので、こういう風に修行の真似事をしてみたり、坐禅をしてみたりと、肉体を鍛えることが一番ストレートに自分の成長を感じられて良いです。 

 

明けましておめでとうございます

2017年になりました。今年もよろしくお願いします。

 

日頃思っていることを書くことで発散したり、読書感想文を共有したくて昨年からブログをはじめました。「書く」ということに対する自分自身への課題という意味も大きかったものですから、公開すると言っても、何かの拍子にここを訪れた人が多少なりとも共感したり暇つぶしにしてくれればそれで良い、くらいの気持ちで当初はいました。が、やはり何だかんだと言ってもアクセスがあるのは嬉しいものでした。拙いブログではありますが、今まで見てくださった方々、本当にありがとうございました。

 

近況ですが、『悪童日記』の双子の真似をして、感覚を殺す訓練をしています。冬なので、まずは寒さに強くなろうと思い、朝と夜に冷水を浴びています。毎回毎回、かなりの勇気を振り絞る必要があるのですが、一度浴びてしまえば後は意外と平気なもので、むしろ浴びる前よりも身体が温かくなっているぐらいです。健康にはとても良いらしいです。それから、部屋の中にいる時は、寝る時以外は部屋中の窓を全開にし、サーキュレーターを回して室内を外と同じ温度にして過ごしています。格好は半袖です。これも、最初は辛いのですが、寒さに負けないよう掃除したり筋トレしたりと、何かと身体を動かすようになるので、部屋を暖かくしている時よりもダラダラしなくなって良いです。

 

案外、寒さには早く慣れてしまいました。小学生の頃は、冬でも半袖短パンでいたような人間なので、実はこういうのは得意なのです。あらかじめ、虐げられたり痛めつけられたりすることを想定して、身体が作られているのだなと思います。体力や打たれ強さはあればある程良いので、さらに人工的に強化していこうと思っています。

 

正月には帰省していました。10年以上顔も合わせていなかった兄と顔を合わせ、少し話をしました。顔を合わせていなかったと言っても、クラウスとリュカのように生き別れた訳ではなく、仲が悪かったというだけなのですが……。今までずっと、鉢合わせにならないようにならないように神経を尖らせていたので、顔を見た途端しまった!と思ったのですが、実は偶然鉢合わせた訳ではなく、兄の方から歩み寄り、話をしに来てくれたのでした。それで、ものすごい照れを感じながらも話をすることが出来ました。

 

実は、年末には弟と久々に会うこともありました。弟の方とも仲が悪かったので、久しく会っていなかったのですが、こちらも弟の方から歩み寄って来てくれたような形でした。以前少し書きましたが、弟は就職先が危うくて、大丈夫かな……と心配していたのですが、今は無事に働いていて、家を出て一人暮らしをしているとのことでした。良かった。

 

皆大人になっているのだなと思いました。社会不適合者の問題児のまま、生き辛さを感じているのは自分だけだな。勿論、みんなそれぞれ苦労があって、頑張っているだろうけれども、ちゃんと成長して余裕が出来てきているのが分かって良かったです。苦手だったとは言え家族のこと、うまく行っていないよりもうまく行っている方が安心するものです。自分一身に関しては、忍耐力を鍛えてGの如くしぶとく生きていこうと思っているので、金づるになっても何でも良いし、それよりかは身近な人の不幸の方が、自分ではどうしようもない分、嫌だったのです。

 

年明け早々、和解があって、長年気にかかっていたことが解決して良かったです。初詣にはまだ言っていませんが、おみくじはきっと良い運勢が出てくるだろうな。

 

ラブリーデイ引退

ラブリーデイが引退したらしい。突然の知らせでびっくりした。まだ6歳、老いたとは言えタフな馬だったから、まだまだ現役で活躍してくれるものと思っていた。今年に入ってからはあまり成績が振るわず、大敗はしないものの4着ばかりという、なんとも馬券購入者泣かせの成績であった。それでも、宝塚記念天皇賞秋と、GIを2勝もしているので、めでたく種牡馬入りが決まったようだ。

 

私が競馬を始めたのは去年の7月ごろのこと。夏競馬で色々と勉強が出来たので、秋のGIのシーズンにはすっかり競馬に夢中になっていた。2015年の秋のGI戦線と言えば、主役は何といってもラブリーデイだった。一応、このときはゴールドシップも現役だったのだけれど、すでに力を使い果たしてしまっていた感があったので、ラブリーデイが現役最強の名を恣にしていた。世代のレベルが低いとか、ラブリーデイはそれ程強くないとか、色々言われていたけれども、自分にとっては初の王道古馬GIで目にしたラブリーデイの存在は圧倒的で、1番人気で出走した天皇賞秋での、堂々たる先行策と直線での着実な抜け出し方は、あれほど安心して見ていられるレースは無かったと今でも思うほどだ。馬券的にも、京都大賞典天皇賞秋・ジャパンカップと、大変お世話になった。

 

それにしても、競馬の世界の移り変わりは速く、激しい。去年の今頃なんて、まさかキタサンブラックが現役最強馬になっているとは思わなかったものなあ。母父サクラバクシンオーだから菊花賞は無理だと言われていたし、勝った後もフロック視されていて人気は低かった。それが今や、オールスターのそろう有馬記念で押しも押されぬ1番人気、ファン投票でも1番人気だ。2015年のクラシック世代と言えばドゥラメンテだったけれど、引退してしまった。それを思えば来年の今頃は、サトノダイヤモンドマカヒキが引退して、レインボーラインマウントロブソンが最強馬と言われていたとしても全くおかしくない。

 

去年の秋に活躍していた馬と言えば、ラブリーデイだけでなく、ショウナンパンドラも引退した。ストレイトガールも引退した。モーリスも引退するし、リオンディーズも、ホッコータルマエも引退だ。1年前はこれだけ綺羅星のように輝いていた名馬たちも、あっという間にいなくなってしまうのだなあ。明後日の有馬記念キタサンブラックマリアライトゴールドアクターなど、豪華なメンバーが出てくるが、このメンバーが一斉に走るのを見られる機会は二度とないと思って、真剣に見よう。

 

戦慄の子供たち

悪童日記』三部作の余韻に浸かるこの頃、個人的クラウス&リュカのテーマソングとしてアリプロの「戦慄の子供たち」をずっと聴いている。

 

光る眼で闇を読む

恐るべき子供達

 

生まれてきた時からずっと

愛とは凶器で

真っ赤に濡れた胸を掴んで

傷口に埋めた

 

生きるため、感情を殺し、傷つけあい、凶暴に育っていった双子の姿が思い浮かぶよう。

 

番って求め弄って

涙にならない痛みを

さあ口移しで分け合おう

 

眠る眼で闇を抱く

哀しみの子供たち

 

歌詞の中に”恐るべき子供達”というのがあるが、適当に検索していたら、同名の小説があるらしいことが分かった。「戦争と平和」とか「地獄の季節」とか、アリプロは文学作品からの引用が多いので、恐らくこれも意識的に引用してきた言葉なのだと思う。ジャン・コクトー恐るべき子供たち』、自分は知らなかったけれど結構有名な作品らしく、岩波文庫ほか複数の翻訳が出ていた。あらすじを見ると、『悪童日記』と雰囲気が近くて面白そうなので、年末に読んでみようと思った。

 

それにしても、改めて振り返って『悪童日記』は面白かった。三部作としても面白かったけれど、単体としても絶品だった。精神状態に余り良い作用を及ぼさないことが多かったので、この手の悪漢小説にはあまり触れないようにしていたのだけれど、やっぱり自分はこういう物語が好きだ。以前はともかく、今読んでみるとそう悪い影響ばかりでも無さそうなので、敢えて読まないようにしていた色川武大とか新橋遊吉とかも、読んでも大丈夫かもしれない。

 

アゴタ・クリストフ『第三の嘘』

 

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

 

 

悪童日記』『ふたりの証拠』に続く、双子の物語。年老いたリュカとクラウスが、かつてあった出来事の真実を語ります。

 

一作目・二作目と続き、一気呵成に読みました。完結編のこの物語、これまでの作品と比べてあまりにも切なくて、読了後、やるせ無い思いに沈められました。今までの物語は、全てリュカの嘘だったらしいです。しかも、『第三の嘘』というタイトルから、この物語自体も本当かどうか分からない含みがあります。どこまでが嘘でどこまでが真なのかというカラクリについては、複雑過ぎるので深く考えるのは諦めました。何と言われようと、一作一作を真実として信じるしかありません。しかし、今までのことが全て、そうであって欲しかった理想なのだと言われると、理想と現実という新たな重みや、理想にすがらざるを得なかったリュカの無力さも思いやられ、前作までの哀しみが、一方では喪失感に変わり、また一方では再び違う形で込み上げてくるようでした。『悪童日記』には、悪の魅力がありました。『ふたりの証拠』には、激しい憎しみや苦しみがありました。現在進行形の前作・前々作には若さがあり、良くも悪くも熱い血潮が流れていましたが、回想の形になってしまう本作にあるのは、全てを終えた後の虚しさだけです。回想なので、痛みも少ない代わりに激情もありません。そして、取り返しのつかないことになることが分かっているので、回想の中の双子に希望を持つことも出来ませんでした。

 

真相はより現実的なもので、双子の意思が介在する余地は全くなく、ただただ運命に流されるばかりでした。悲劇の始まりは、父親の不倫です。不倫発覚で逆上した母は父を射殺し、自身も物狂いとなってしまいます。修羅場に居合わせたリュカは流れ弾を受けて障害を負ってしまい、病院送りになり、独り残されたクラウスは、父の不倫相手のもとで暮らすことになります。そこへ折悪しくも戦争という大波が押し寄せたものだから、リュカとクラウスはお互いの手がかりを全く失ってしまいました。その後、リュカは外国へ逃亡し、クラウスは物狂いの母と暮らします。リュカは離れ離れになったクラウスのことを慕いますが、クラウスはリュカだけを想う母に苦しめられ、三人の想いはすれ違ったまま無情に時が流れます。数十年後、リュカは故郷を訪れますが、そこに再会の喜びはなく、クラウスはリュカを冷たく突き放すのでした。

 

子供の頃というのは、人生にとって本当に重要な時間なのだなと思います。『悪童日記』と『ふたりの証拠』で語られたのは、主に双子が10代から20代の頃の話でしたが、今作でのリュカとクラウスはもう老人です。少年時代・青年時代から死までの道のりは、あっという間なのです。本当は、物語で描かれている以上の年数を、それぞれの人生の中で過ごしているはずなのに、死の間際まで二人を縛っていたのは、子供の頃の出来事でした。誰かを愛するということを知らずに育ってしまった二人は、たとえ何十年の時間があろうとも、失ったものを二度と再び得ることは出来ない定めだったのか。ふと、色川武大の言葉を思い出しました。阿佐田哲也ペンネームで悪漢小説を物した無頼のこの作家は、とある随筆でそれまで歩んできた人生を振り返り、作家としての成功や自身の資質については謙遜するのですが、ただ一点、小さい頃に誰かを好きになる経験が出来たのは自分の人生にとって幸いだったと書いていました。人を好きになることは、その後の人生を大きく左右する大事なことなのだけれど、その小さい頃の一時期を逃してしまうと、なかなか体験出来なくなってしまうとのことです。しかし、これ程重いことであるにもかかわらず、子供自身はそれを選ぶことが出来ない。子供を育む社会や、大人たちに課された責任の重さを感じます。

 

リュカの思い、クラウスの思い、そして母の思いは、どれも報われることなく終わってゆきました。悪漢小説らしいと言えばそうかも知れません。クラウスは母のために自己犠牲的な生き方を貫いていましたが、リュカの方は荒れていて、病院で度々人の嫌がることを繰り返していました。そして、因果なことに、自由の国に渡ってからのリュカは、どうやらクララと不倫していた形跡があります。根は善良で禁欲的なのだけれど、かと言って宗教に救われることも無かった二人は、「書く」という行為に救いを見出します。そうして出来上がった作品は、辛うじて二人をつなぐ縁となり、『第三の嘘』となって結実しました。本書の解説によると、作者のアゴタ・クリストフ自身が、書くという行為に非常に強い思い入れがあったと言います。書かれたことの真偽は分からないままでしたが、それゆえに、リュカとクラウスにとってある意味唯一の真実であった書くという行為について、アゴタの言葉をもっと聴いてみたいと思いました。

 

 

久々にイベントへ

日出処の天子』に感銘を受けていた所、ちょうど展覧会をやっているのを知って、弥生美術館の山岸凉子の展覧会に行ってきた。学芸員による解説がある日に合わせていったので、1時間ぐらい色々なお話しを有り難く聞いた。『日出処の天子』も『アラベスク』も当時は編集から大反対されたそうで、それでも強く訴えて発表した結果、大人気になったという。エピソードには何かと事欠かないみたいで、熟語を一つ聞いただけでその熟語をもとにしたストーリーをすぐに作り上げることが出来たとか、そんな話も聞けた。

 

山岸凉子自ら選んだ絵のベスト10があって、その中には見慣れた『日出処の天子』と『天人唐草』の絵もあった。日出処の天子の表紙は、月と桜を背景にして王子が描かれている。文庫本の表紙になっている絵で、作品のタイトルは日出るなのに、背景は月だ。冷たい月の生涯を歩んだ王子のことが、改めて思い起こされた。

 

今現在、連載している漫画があると聞いたので、その場で買ってしまった。『レベレーション』、ジャンヌダルクの話らしく、今から楽しみ。

レベレーション(啓示)(1) (モーニング KC)

レベレーション(啓示)(1) (モーニング KC)

 

 

 

同じ日の夜、ALIPROJECTの「A級戒厳令」のライブに行ってきた。会場はお台場のDiverCityという施設にあって、ここは複合施設なので広くて迷いそうになるのだけれど、アリプロの場合、衣装を見て間違いなくそれと分かる人が近くにいるので、一目瞭然で有り難い。アルバムの内容に合わせて、軍服を着ている人も見たっけ。

 

メインの「永久戒厳令」は、「あの空に楔撃たん」という一番高い音になる歌詞の所が好きで、この部分の絶唱を聴いた時には鳥肌が立った。ものすごい声量と高音。生の歌声は本当に感動する。

 

アルバムの曲以外だと、「リュウコウセカイ」が聴けたのが良かった。その他、ローゼンメイデンの曲をまとめて歌ってくれたが、これはアリプロの転機になった曲なので大事にしていきたいのだとか。年末も近いので、クリスマスソングを歌ってくれて、最後は「愛と誠」でお開きに。普段イベントみたいなものには行かないので、久々にこういう機会を得られて楽しかった。

 

アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』

 

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

 

 

悪童日記』の続編。残された双子の一人・リュカをはじめ、人心の荒んだ戦後の「小さな町」に住む孤独な人達が、誰かを求めながらも誰も得られず、心の傷を深めていく物語です。

 

前作の最後を見て恐れていたことが、果たして本当に起こってしまった……。目の前にある深淵を予感しつつ、それをどうすることも出来ないもどかしさを感じながら、この続編を読みました。今までずっと一緒にいた二人が離れ離れになったのだから、経験したことのない苦しみに二人は戸惑うはず。しかも、戦時中の略奪や戦後の圧制のために疲れ果ていた町には、とても主人公を受け止める余裕はありません。一人になった主人公はきっと誰かを求めるだろうし、それが恋愛なのか友情なのかはともかく、今までの生き方を想えばその誰かを傷つけずにはいられないだろう。常人には真似のできない悪事をやってのける双子が魅力的に映った前作から、一転して内面の脆さと破滅を描く今作との落差を受けて、悪漢小説という繋がりから『ゴッドファーザー』とその続編のことを思い出しました。

 

今作では文章の体裁も変わり、一人称での語りから三人称での描写に変わります。町に残った双子の一人はリュカと呼ばれていることが分かりましたが、前作とはかなり印象が違うので一人称と三人称との違いはこれ程大きいのかと驚かされます。前作の印象だと双子は才気煥発で商売も上手くて、哀しみを帯びつつも強かに世の中を渡り歩いているようでした。ところが、今作のリュカは町の人から「狂人」呼ばわりされていて、なおかつそれを気にしてはいけないと自分に言い聞かせているような所もあって、一見すると今まで通りの抜け目ない悪童なのだけれど、人生への疲れが所々に見え隠れしているように思えました。三人称から受けるそんな印象は、作中の町の人の視線とも重なっていて、司祭や党書記のペテールなど心ある何人かの人はリュカのことを強く心配しています。思えば前作でも、双子が巧妙にやってのけた女中殺しのことを司祭はちゃんと知っていました。今作でもリュカの悪童ぶりは健在で、物語終盤に読者をあっと驚かせるような事実も明らかにされるのですが、そういうことも町の人は大体わかっていたのではないかと思うのです。アリバイ作りみたいなことが得意なリュカは、罪に問われるようなヘマはしません。けれども周りの大人たちは、リュカのことをリュカ自身以上にちゃんと分かっていたのだと思います。

 

今作では年齢も境遇も様々なキャラクターが登場しますが、一番強く印象に残ったのは孤児のマティアスでした。相方を失ったリュカが次に自分の支えとして求めたのがこのマティアスでしたが、一方ではクララの元へ通ったり放蕩を繰り返したりと、リュカの愛情の焦点は定まりませんでした。マティアスは、良い意味でも悪い意味でも普通の子です。それゆえに、リュカが見ることの出来なかったことや見なくても済んだことを、子供ながらも見通していました。かつての自分を救うような気持ちからか、リュカはマティアスのことを慈しみ、スパルタ式の教育で生きる知恵を叩き込もうとします。醜いマティアスは学校で虐められてしまいますが、凶器をもって相手に立ち向かわせようとするリュカに対して自分はそんなことは出来ないと抗議します。そして、双子のクラウスと一緒だったために一人では無かったこと、美貌のために周りの大人たちから度々可愛がられていたことなど、リュカだからこそ出来たことをマティアスは喝破します。確かに、リュカと同じようなことをしろと言われてもそう簡単に出来るものではありません。前作『悪童日記』で、物語序盤で早くもリュカは生き物を殺す術を身につけてしまいますが、普通の人間にはそれが出来ないものなのです。その点、マティアスは読者の視点に近くて、私にとっては、リュカのことを魅力に感じつつもどこか好きになり切れない理由をマティアスが説明してくれたように思えました。

 

未亡人のクララや、同性愛を隠すペテール、父を愛したヤスミーヌなど、物語には孤独を抱えた人が沢山登場します。そんな登場人物たちの間で、色々な人間関係がありました。独りでは駄目だし、三人でも駄目、二人が一番安定する関係なのだけれど、相思相愛でない二人が繋がったり嘘が混じっていたりすると、却って破滅的な結果になってしまう。前作では、気に入らない人間は殺せばそれで済んでいたリュカですが、今作ではそうした悪事が祟って一番失いたくないマティアスを失うという結果を招いてしまいました。形は違えども、姉を愛していると自分に言い聞かせ、姉との同居生活を決意した結果、姉を殺すに至ってしまったヴィクトールの運命は、リュカの運命と似ています。生きるために仕方なかったとは言え、幼い頃に人工的に人間性を作り上げてしまったツケは大きく、マティアスの死を反省をする暇すらリュカに与えないまま、あっという間に20年30年の歳月が過ぎていく所には、運命の残酷さを感じました。一作目と比べると、謎の仕込み方が巧妙で、推理小説のように理知的になりすぎた感じは受けましたが、人間関係の難しさや心の傷の深刻さについて深く考えさせてくれる物語でした。