運は天にあり

内省の記録

宿曜との出会い

数ヶ月前、近所に占い屋が出来た。通るたびに気になっていて、いつか行ってみたいと思っていた。なかなかきっかけが無かったのだけれど、最近、占って欲しいことが出来たものだから、思いきって店に入ってみた。

 

占いをしてもらうのは初めてなので、事前に店のホームページを見てみる。所属する占い師のリストを眺めていると、占い師の名前というのは面白いなと思う。みんなバタ臭くて、宝塚の芸名のようである。スケジュールを見ると、「出勤」ではなく「出演」と書かれている。こういうものなんだ、と新鮮に思うことしきり。ここだけ、世界が違うみたいだ。

 

私はもともと、占いや運勢というものに全く興味は無かった。人間の力しか見えていなかったからだ。それが変わるきっかけになったのが、博打。競馬をやるようになって、運というものを強く意識させられるようになった。

 

競馬は人間の作ったものだから、人間の力で、パターンを読むことも出来る。しかし、パターンがわかるということは、同時にパターンが万能でないことを知ることでもある。人間社会のもっと複雑なことなら、成功も失敗も何かしら理屈をつけることが出来るだろう。競馬ほど単純で限られた仕組みの中だと、どうやっても説明のつかない結果も多い。クビ差ハナ差の勝ち負けなんて、理屈を超えている。おのずと、人智を超えた運の存在に辿り着く。

 

占いのことは全く分からないので、誰を指名するでもなく、行き当たりばったりで店に入っていった。一口に占いと言っても、タロットカードとか手相占いとか、色々な分野があるらしい。その中で、私が見てもらったのは、宿曜占星術を専門とする占い師。四十半ばぐらいのおばさんだった。アンケートに必要事項を記入したあと、向かいあって問答が始まる。

 

カードをめくって、出てきた内容にコメントをもらったりするのは楽しかった。はじめは勿論、占って欲しいことについて話をするのだけれど、占いだけでなく心理も良く診る人だったので、占い以外のこともかなり話した。例えば、私が昔服用していた薬のことなどを話しても、良く通じる。結局、30分料金なのに、1時間半も話してくれた。

 

深く印象に残った言葉があった。人間関係について、人の悪い面、短所ばかりを見てしまい、長所が見られないという話をした。すると、強いて長所など見る必要はないと言われた。長所と短所は裏表だから、短所が分かれば長所も分かったも同然なのだと言われた。

 

人の悪い面ばかり見てしまうことに、ずっと罪悪感があった。良い面を見ようと必死に考えるのだけれど、考えようとすればするほど、頭の中が真っ暗になり、見えない壁に妨げられ、それ以上先へ進めなくなってしまう。だから、この言葉はとても新鮮で、救いになった。どうして周りの人に関心を向けられないのだろう・・・と思い悩んだこともあったけれど、そうではなかった。短所ならスラスラ言える。言葉を変えれば、全て長所になる。それだけ、周りの人の個性を見ていたのだなと思う。

 

占いの世界を垣間見て、ちょっと視界が開けたような感じがした。新しい見方がひとつ増えたというよりかは、下流工程から上流工程へ視点が移ったときのような感じ。もっと広い視点に立って、人間を見ることが出来るようになった気がする。

 

宿曜占星術では、私の生まれは「柳宿」にあたるらしい。毒を持つ悪害宿のひとつで、独自の信念をもつ一匹狼の運命を持っている。柳のようにしなやかだけれど、その気性は激しく、善にも悪にもなれる資質を備えているのだという。

 

塩野七生『ローマ人の物語 ハンニバル戦記』

 

ローマ人の物語 (4) ― ハンニバル戦記(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (4) ― ハンニバル戦記(中) (新潮文庫)

 

 

ハンニバルのことを知りたくて、いくつか本を読んだ。文庫本の長谷川博隆『ハンニバル』は、ポエニ戦争のことが一通りわかり、研究史の解説や参考文献も充実して、入門書にぴったりだった。モムゼン『ローマの歴史』は面白そうだったのだけれど、訳が読みづらかったのでやめにした。塩野七生ローマ人の物語』は、やはり一番読みやすく、ポエニ戦争をもっとも魅力的に語ってくれた。

 

高校生の頃に読んでいた本なので、昔のことも思い出す。昔から近代よりも古代の方が好きだったし、古代ローマの小説なんて珍しかったものだから、シリーズ通して夢中で読んだ記憶がある。中でも、ポエニ戦争を描いた「ハンニバル戦記」は熱かった。孤高の英雄に弱かったので、ナポレオンや謙信などと並んで、ハンニバルは好きな人物の一人になっていた。

 

今、『ローマ人の物語』を再読してみると、今度はローマ側に魅力を感じることの方が多かった。ハンニバルの魅力は相変わらずだ。だからこそ、今さらそこよりも、思い入れの薄かったローマ側のことが相対的に面白く映ったのだ。

 

ローマ人の物語』は、叙述に飾り気が少なくて、小説というよりも歴史の本のよう。図書館に行っても、だいたい世界史のコーナーに置いてあるし。一人称でも三人称でもなく、もっと高く遠い視点から、淡々と出来事を語っていく。史上の人物の顔が近すぎない所が好きだな。顔が近いのは塩野さんの方で、隙あらばヌッと出て来て持論を語り始めたりする。それなのに、古代の世界に引きずり込まれるような没入感があり、当時のムードが活き活きと伝わってくる。

 

ポエニ戦争一のハイライト、カンネの戦い。史上類例のない完璧な包囲殲滅戦で、ローマ軍は7万の兵を一挙に殺戮される。ハンニバル視点で見たら痛快で仕方ないのだけれど、ローマからしたら絶望以外の何者でもなかっただろうな。私も競馬で1日で7万飛ばしてしまったことがあるけど、その時は顔面蒼白になったもの。勝負レースがことごとく外れ、気がついたら取り返しがつかないことになっていた。完全にお通夜状態で、何もかも投げ出したくなる。でも、頭を抱えながら、どうやって取り返そうか必死に考えるね。そこから、大きな勝負をするのは辞めにして、小さな勝ちを長く続けるファビウス作戦で行こうと決めるのも、ローマ人と同じだった。

 

ローマの執政官は任期1年で交代するため、様々な人物が登場する。グズと罵られながらも、ハンニバルに「負けないこと」を徹底したファビウス、何度も何度もハンニバルに挑み続ける不屈のマルケルス、奴隷軍団を率いるグラックス、猪突猛進のネロ、等々。たとえ失敗をしても、そのこと自体で責められたりしないシステムと文化がローマにあるので、執政官たちは個性をのびのびと発揮出来るようになっている。これがあるからローマは強い。どんな強敵を相手にしても、多様性を武器に組織の力で戦っていける所は、ローマという国の一番の強さだと思う。ただ、スキピオだけは例外で、この人だけはローマという括りを超越している気がする。

 

一番印象深かったのが、執政官マルケルスの死の場面。なかなかハンニバルを倒せない焦りと苦悩から、偵察中に襲撃を受けて頓死するまで、死の影が静かに迫って来ている感じが何とも言えなかった。マルケルスの死を知ったハンニバルは、遺体を丁重に葬るように命じたという。ハンニバルにとっては、本当に邪魔で仕方のないキャラだったのだけれど、不思議と強敵を倒したという達成感はなかった。サグントゥム攻撃にはじまるポエニ戦争は20年近くも続き、アルプスを越えたハンニバルは、本国カルタゴで過ごした以上の歳月をイタリアで戦い続けていた。その心中はとても推し量ることは出来ないけれど、往年の宿敵マルケルスが死んだ時に漂う、憎しみの果てのような寂しい雰囲気は、何となく分かる気がした。

IQと人間性

『アルジャーノンに花束』を昔読んだ。知的障害をもつ主人公が突如天才に変わり、主人公の見える世界や、周りとの関わり方が、大きく変わっていってしまう物語だった。この物語では、IQの違いから生まれる断絶が問題提起されていた。

 

先日、後輩が左遷された。仕事の進みがいまいち芳しくなかったので、見切りをつけられたのだと思う。今年の4月に入ったばかりなのに、早すぎると思った。もう少しうまいやり方がなかったのかと思う。

 

今の上司はとても頭の良い人で、物識りで頭の回転も速い。しかし、それゆえに人を人とも思っていないような所があり、この後輩に対して、いつも理詰めで攻めるようなことばかりしていた。こういうタイプにありがちだけど、絶妙に嫌な言い回しとか粘っこい声音をするものだから、側で聞いているだけでもこのやり取りはイラついた。チームの空気はとても重い。しかし、そんな周りの感情などお構いなく、本人はおためごかしで恩着せがましいことばかり言っている。後輩の方も、今まで散々言い負かされて来たものだから、何を言われてもペコペコしている。

 

人間性から溢れたIQは、本当に邪魔で余計なものだと思う。IQの違いが断絶を生みやすいというのは正にその通りで、下手をすると差別や暴力にも繋がりかねないものだ。人間のもつ能力の一つでしかないはずなのに、ここだけは何かと格差を生む原因になるんだよな。智に溺れて情を知らない人間は本当によく見るし、なまじの賢さはかえって害になることの方が多いと思う。

 

この上司と、営業の人とを交えたミーティングが少し前にあった。営業の人が、なぜかずっと喧嘩腰だったのが不思議だった。そのうち、「頭のいい人はそう言うけど」とか「僕の方が現場に近い」とかいった言葉が出てくるのを聞いて、事情が飲み込めてきた。これまでに、上司がこの営業の人を理詰めでやり込めるようなことを繰り返して来たのだ。相手ははじめから感情的で、ムキになってしまっている。ミーティングはさしたる進展もなく、物別れのようなムードで終わる。こんなことをやってちゃダメだ、と呆れた。

 

相手が何を言っても否定するような人間関係というものがある。開口一番、「でも」とか「いや」とか否定の言葉が常習的に出てくるようだと、もうそう言う関係だと言っていいだろうな。上手に負けることがとても大事だと言うのは、博打打ちの色川武大の言葉。これは、大いに納得した。頭の良い人、弁の立つ人は完璧に勝ちばかり追いすぎる。正論を盾に、相手が何を言っても否定するような関係性は、暴力による支配と同じことだし、悪い結果にしかつながらないと思う。

 

私は、生まれ持った資質や能力よりも、その人の乗り越えてきた個人史に一番の魅力を感じる。能力の部分をどれだけ見せられようとも、今の上司に魅力を感じることは全くなかった。

 

自分の人間性で抱えきれない力は、思い切って捨てるべきだと思うな。それに見合う人間力が追いつくまで、中途半端な力に頼ってはいけない。そうじゃないと、身に余る能力が自分の身を滅ぼすことになると思う。才知に身を任せるような歳の取り方をしている人は、どうしてあんなに嫌らしく見えるのだろうか。どんなにすぐれたものを持っていても、それだけだと単なる才子。きっと、大成はしないだろう。昔は鋭敏さへの憧れもあったけど、今はもっと大きい器を目標にするようになった。

 

上西議員のこと

上西議員が方々で叩かれてる。ツイッターでサッカーチームの批判をしたとかで、ひどく怒ってる人たちがいるらしい。ネットは炎上し、ワイドショーでも盛んに取り上げられていた。

 

騒ぎのもとになったツイートを見てみたけれど、とても気にするような内容とは思えなかった。もっと酷い言葉はネットのあちこちに転がっているし、なにより議員を攻撃する言葉の方が聞くに耐えないものばかりだ。意識の高い説教好きの人たちって、どうしてこう鬼の首を取ったようにヒートアップするのだろう。上西さんが別のツイートで、例えば「おはようございます」と呟いただけで、山のような罵詈雑言が降りかかってくる。もう、売り言葉に買い言葉の範囲を遥かに超えている。ここまでくると、当のサッカーへの関心とは違う、別の要素が含まれているんじゃないかと思う。

 

税金泥棒と怒る人たちがいる。この怒りは、本当に中身のあるものなのか怪しいと思ってる。税金って、果たしてそんなに大切なことか? 勤め人だったら、ふつう源泉徴収で天引きされてるから、税金納めてる感覚なんて少ないと思うけどな。国家規模のお金の話になると、数字が途方もなくて実感が掴めないし。不公平に納めさせられているとしたら、差別だから怒るのも分かる。けど、税金なんてみんなが払ってるもの。人間の感情が、こんな抽象的なことで動くものだとは思えないな。

 

巨悪は表に出てこないし、搾取はもっと大きな権力の下で行われてる。そんなことは、皆んな分かってるはずなのに。上西さんへの批判には、ブスとかデブとか容姿を中傷する言葉が多い。残酷なことに、中学の頃の酷いあだ名を晒し、嘲笑するような記事もあった。ミソジニー権威主義、いじめの臭いがあちこちから漂ってくる。ワイドショーやネットの騒ぎの正体は、こっちにあると思ってる。

 

議員は、批判を受けてもどこ吹く風のようでいるから、見ていて辛いものがある。嫌われるってのは、相当負担になるものだよ。ましてこれだけ多くの人から。自分で平気に感じていても、内面には見えない痛みがどんどん蓄積されていく。奔放な言動の数々が、どうしても自傷行為に見えてしまうのだ。

激動の一日

日曜日、宝塚記念キタサンブラック惨敗。

 

大阪杯天皇賞と、春のGIを圧倒的な強さで連覇し、秋にはフランス凱旋門賞への挑戦も決まっていた。一体この馬はどこまで強いのだろう?と、誰もがこの馬に夢を見ていた。

 

ーー行ける所まで行ってみよう。

 

関係者たちがそう言って、史上最強馬への領域に踏み込んだ時、馬は動かなくなってしまった。

 

とにかく鍛えたかったと、異常な量のハードトレーニングを繰り返した調教師の言葉が、思い返せば不吉だった。いくら丈夫な馬でも限界は来る。超ハイスピードの天皇賞の死闘は、深刻なダメージを馬に与えていたことだろう。そんな中でも、レース前の調教まではちゃんと走っていたのだから、キタサンは相当内に秘めるタイプなのだと思う。

 

強くなればなるほど後には引けなくなるって、何のために生きてるのか分からなくなるな。人間にはまだ迷う余地があるけれど、競争馬には走ることしか許されないし。あれだけ強かった馬が、こんなに様にならない負け方をしてしまうということが、なんだか無性に哀しかったな……。

 

去年の宝塚も、マリアライト一世一代の大勝利ドゥラメンテ悲劇のラストランと、ドラマチックなことが重なったのを憶えている。多くの人の思いが集まるグランプリは、毎年必ず何かが起こる。

 

キタサン敗北で馬券も大負けしたあと、夕方から舞浜へ向かった。年に数度かのALI PROJECTのライブに行くためだ。

 

会場はディズニーリゾートの中にあった。初めて来るところなので、リゾートの中がこんなに広いのかと驚かされた。舞浜=マイアミビーチの由来にも大変驚き、道理で世界が違うと思った。ただ、ALI PROJECTのライブの場合、「この人についていけば辿り着ける」とわかる服装の人が必ずいるので、いつも迷わず助けられている。

 

ライブは、前半がゴシックロリータ編、後半がホラー編という二段構えの構成。豪華な舞台を前に、席が正面のかなり前の方だったので、もう呑み込まれるようだった。

 

中でも、「地獄の季節」を生で聴けたのが良かった。本当に良かった。ライブの途中から段々潤んで来るのだけれど、どこかでブレーキがかかってしまっていて、それが「地獄の季節」を聴いた瞬間に感極まった。アリカさんの声もまた絶好調の絶唱で……。個人的に、過去何回かで一番良かった。

 

こういう機会が、あとどれだけ残されているんだろうな。貴重な機会、来られて良かった。最近、悔いを残さないということを、生活の中で強く思っている。


色々あって、久々に気持ちの変化の大きい一日だった。

 

新説・春日山戦記

自作のゲームブックです。良かったら遊んでみてください。

 

リンクはこちら

『新説・春日山戦記』(ゲーム画面へ)

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ゲーム概要
長尾景虎(後の上杉謙信)の少年期から家督継承までを扱ったゲームブックです。
 
ゲームの進め方
  • 最初から始める場合は「ゲームを開始する」を選びます。
  • 以前の続きから始める場合は「ゲームを再開する」を選びます(ブラウザのクッキーが有効な場合のみ)。
  • ゲームがはじまったら、あとは選択肢を選んでパラグラフを進めていきます。
 
戦闘のヒント
  • ターンが回ってくるのは、士気が最も高い部隊です。射撃や牽制で士気を削っていけば、敵の強力な部隊の動きを封じることが出来ます。
  • 攻撃を受け続けた部隊は疲労が溜まり、ダメージを受けやすくなります。疲労は溜まるほど不利になり、自分のターンが回ってくるまで回復しません。兵数の多い敵は、間断なく攻めて疲れさせることで、倒すことが出来ます。
  • 突撃で敵を全滅させた場合、士気が下がりません。とどめの一撃を前衛部隊の突撃に任せれば、突撃の余波で連続行動が出来ます。

 

 

上越遠征記

先日、日帰りで上越に行ってきた。戦国の上杉家が本拠としていた、春日山城を見るためだ。

 

春日山城の城跡は、上越市内の春日山駅から少し歩いたところにある。標高189メートルの春日山に、かつての本丸跡や屋敷跡、謙信が篭ったとされる毘沙門堂などが残っている。ここらの土地は、なにぶん謙信の存在が大きいものだから、城跡も整備されているし、資料館も多いし、普通の公民館にさえ「春日謙信交流館」と格好良い名前がついているくらい、どこも謙信一色である。夏祭りには大河ドラマで謙信を演じたガクトがやってきて、大賑わいになったりもするらしい。

 

私は謙信が好きで、数年前に一度この地を訪れたことがある。今回再び訪れてみると、以前来たときより賑やかで、観光客向けのサービスが増えているように感じられた。

 

とある資料館では、甲冑を着て髭を蓄えた武将が入り口で出迎えてくれた。ようこそ殿、と言葉をかけられたので、どうやら来館者が殿、武将がその家臣という設定になっているらしい。武将だけでなく、受付には着物を着た姫も座っていた。前に来た時はこんなのなかった、すごいことだと思った。

 

ところが、他の来館者を見ると案外淡白で、武将に声をかけられても、しらっとスルーして通り過ぎてしまう。たまたまそんな雰囲気だっただけなのかも知れないけれど、皆ちょっと冷めすぎてないかと思った。確かに、入口正面の避けられない場所で、武将が「殿!」設定で結構グイグイ来るから恥ずかしいというのはある。けれども、あんまりにもスルーが続くのを見て寂しくなってしまったものだから、武将の声かけに積極的に乗ってみた。謙信のことや、城のことなど質問すると、色々教えてくれて面白かった。

 

しかし、そこでつい楽しくなってしまい、謙信について自分で考えていた自説を語りはじめたのが失敗で、とたんに話が長くなってしまい、顔には出さねどうんざりされてしまった。武将は、他の来館者の対応もしなければいけないのであった。うまいこといかないな。

 

春日山へ登ってみると、ここでも甲冑を来た武将とすれ違った。観光客を引き連れ、ガイドをしているようだった。城跡は思ったよりも人で賑わっている。ふとしたきっかけで行きずりの老人と会話になったのだけれど、今度はこちらが長話につかまってしまい、なかなか離れられなかった。歳が違うと話のテンポも違うので、切り上げるタイミングも難しい。

 

その老人から、よく晴れた日には山頂から佐渡島が見えると教えてもらい、そんなに遠くまで眺められるのかと驚いた。前に来た時は天気が悪く、とても佐渡島どころではなかったから、今日は見えるだろうかと期待した。ところが、麓の茶店でその話をしたら、とんでもない、柏崎の方まで行かないと佐渡は見えないと言われてしまった。どちらが本当なのか、山頂から島らしき影は見えた気がするけど、何の島かは分からなかった。

 

春日山の麓には林泉寺という禅寺がある。幼い頃の謙信が修行していたこともある、上杉家とは大変所縁の深い寺である。ここで、東村アキコ雪花の虎』という漫画を知る。謙信女性説にもとづいた、女謙信が主人公の歴史漫画で、作者がこの地に来て講演なんかもしたらしく、そのことが記事になっていた。

 

東村さんは、林泉寺所蔵の肖像画を見て女性説に確信を持ったらしいけれど、言われてみてみると、確かに優しく丸みがあって女性のように見える。大いに興味をそそられ、女性説について寺の人に聞くと、「本人に出てきて喋ってもらわないと分からないからねえ」。あれこれ論じても、ご本人登場でないと決着がつかないというのはもっともな話で、なんかいい言い方だなと思った。

 

4巻まとめて買った『雪花の虎』を読みつつ、夜の新幹線で東京へ。土産に買った笹団子が美味しかった。新潟名物へぎそばも買って帰り、家についてから食べた。これも美味しかったけれど、あとで近所のスーパーで全く同じ商品を見つけてしまい、拍子抜けすると共に、へぎそばの全国的知名度を思い知らされたのだった。